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タイポグラフィがデザインされた真っ黒な表紙

書籍名

文学という出来事

著者名

テリー・イーグルトン (著)、 大橋 洋一 (訳)

判型など

352ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2018年4月27日

ISBN コード

9784582744316

出版社

平凡社

出版社URL

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文学という出来事

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20世紀の最後の20年間に英米圏の文学研究・批評の分野で文学理論がブームとなった。本書の著者テリー・イーグルトンは、ブームの牽引者と間違われることが多いが、ブームの只中で出版された『文学理論―入門』(1983) は、英語圏の読者に各理論の概要を説明し、その有効性と限界とを示し、難解と思われていた文学理論を一般読者にも接近可能なものとすることに成功し、実際、多くの言語に翻訳され、高校生から他分野の専門家にいたるまで幅広い読者層を獲得した。それからほぼ30年後、著者によれば応用文学理論 (ポストコロニアリズム、ジェンダー理論、カルチュラル・スタディーズなど) の時代たる21世紀の現在、「文学とは何か」という根本問題が、いまなお、なおざりにされている。この大問題の解答を見出すべく著者は、本書において文学哲学に赴くことになる。
 
広範囲なリサーチのもと、著者は文学の構成要素として1)虚構性、2)道徳性、3)特殊な言語使用、4)非実用性、5)規範性という5要素を掲げる。そのうち複数の要素の組み合わせが文学を文学たらしめる条件となる。ただ議論の要点は、5要素の掘り下げにあるのではなく、5要素それぞれを安易に文学性とみなす議論を徹底的に批判することにある。文学哲学に対する、痛快きわまりない批判こそ、本書が誇るものである。
 
文学をめぐる考察において著者は従来の観点を批判するいっぽうで建設的な提言をおこなう。それは文学を、その形式とか内容とか、メッセージとか情報、その象徴性あるいは表象へと還元して考察するのではなく、文学を、そのふるまいの相において、つまり文学が何を行なっているのかという観点から考察する。
 
本書が目指すのは、文学を事実 (Fact) としてみるのではなく、むしろ行為 (Act) としてみる観点の開拓である。文学を対象としてみるのではなく、ふるまい・遂行 (Performance) としてみる。構造としての文学ではなく出来事としての文学に焦点が絞られる。要素やレパートリーによる文学の分類ではなく、要素やレパートリーをいかに有効に駆使するかというストラテジーを重視する。本書における、この動的な文学把握を、残念ながら日本における本書の書評者は把握しそこねている。本書の真価の発見は、これからの若い読者の柔軟な思考に委ねられている。
 
イーグルトンの前著『文学理論―入門』は私の翻訳で『文学とは何か―現代批評理論への招待』(岩波書店1985、文庫版2014) として刊行された。当時は文学研究や批評において理論を使うことは一般読者に違和感を覚えさせるとして出版社の判断で「文学とは何か」のタイトルに変更された。それから30年後、著者が、まさに『文学とは何か』と名付けておかしくない著書を刊行するとは!『文学とは何か』が本書のタイトルとして使えなくなったのは残念である。原著のタイトルの直訳である『文学という出来事』よりも、『文学とは何か』のほうが本書のタイトルには絶対にふさわしいのだから。

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 大橋 洋一 / 2018)

本の目次

はじめに
第一章  実在論者と唯名論者
第二章  文学とは何か (一)
第三章  文学とは何か (二)
第四章  虚構の性質
第五章  ストラテジー
原注 / 訳注
訳者あとがき
作品名索引 / 人名索引
 

関連情報

書評:
文字の定義はありうるのか
好書好日-朝日新聞デジタル 評者: 斎藤美奈子 (朝日新聞掲載 2018年7月28日)
https://book.asahi.com/article/11710094
 
後期ヴィットゲンシュタインの「家族的類似性概念」を用いる
評者: 遠藤 不比人 (成蹊大学教授) (週刊読書人ウェブ 2018年7月14日)
https://dokushojin.com/article.html?i=3752
 

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