東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

グレーの表紙に白いアウトラインで本棚のイラスト

書籍名

小説のしくみ 近代文学の「語り」と物語分析

著者名

菅原 克也

判型など

416ページ、四六判

言語

日本語

発行年月日

2017年4月25日

ISBN コード

978-4-13-083070-6

出版社

東京大学出版会

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小説のしくみ

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「小説といふものは何をどんな風に書いても好いものだ」とは、森鴎外 (1862-1922) が「追儺(ついな)」(1909) という短編に記している言葉です。これに倣って言うなら「小説というものはどんな風に読んでもよいものだ」ということになるでしょう。
 
愉しむために小説を読むということなら、それでいい。
 
ところが、いざ小説を論じてみようとすると、何をどう論じてよいものやら、途方に暮れてしまうことがしばしばです。
 
詩や小説といった文学作品は研究の対象になります。げんに大学の教室で教えられ、論じられているものです。論じ方は実にさまざま。論じ方を工夫することこそ、文学作品を対象とする研究そのもの、文学研究のいとなみそのものであると言えるかもしれません。
 
本書では、小説とはどう論じるべきかについて、一つの見通しを示しました。まずは、小説を語られたものと捉えること。小説がどのように語られているかを、テクストに即して考える方法を示すこと。そのために、語られたものとしての小説作品を論じる語彙を見つけだすこと。
 
議論の対象を内容の面から考えるか、形式の面から考えるかという二分法に立つなら、本書は小説の語りを形式の面から考えようとする立場に立ちます。表題に掲げた「しくみ」には、そのような意味をこめたつもりです。
 
では小説の形式、小説のしくみを論じるとは具体的にどのようなことでしょうか。
 
小説を読んでいて、たとえば「人生はまぼろし」という言葉が目に入ったとします。人の一生は幻だと考えるのは、とくに目新しい思想ではありません。読者のなかにはさまざまな反応があることでしょう。そんなことはない! なんて陳腐な。まあそうだろう。たしかにそうだ、等々。
 
読者の側の多様な反応は「人生はまぼろし」ということばが伝えるメッセージそのもの (内容) に関わると同時に、「人生はまぼろし」ということばの語り方 (形式) にも関わります。それは作中人物がふと洩らしたひとりごとでしょうか。対話のなかで発せられたことばでしょうか。どのような人生を経験した、どのような人物のことばでしょうか。あるいはそれは、語り手が語り手自身の思いとして語ることばでしょうか。
 
小説のしくみを考えるとは、「人生はまぼろし」といったメッセージが、小説のなかで誰によって、どのような場で、どのような状況で、どのレベルで語られているのか、またどのように読者に伝えられるのか、といったことを考えることです。それは、メッセージの内容について思索するための、準備作業のようなものだと言ってもいいでしょう。
 
小説についての議論が広く人々に共有されるためには、この準備作業じたいが重要である。著者としては、そのようなメッセージを込めた本でもあります。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 菅原 克也 / 2017)

本の目次

はじめに

第一章 テクストの相
1 三つの相――物語内容、物語言説、物語行為
2 太宰治「浦島さん」
3 物語内容とは何か
4 物語行為
5 語りに仕組まれる読みの方向
6 読みの方向と物語内容

第二章 語り手と語りの場
1 語り手という存在
2 語り手のさまざま――読者と向きあう語り手
3 語り手と物語世界
4 語りの階位
5 枠物語――外枠の物語と埋め込まれた物語
6 物語を作る語り手――永井荷風『墨東奇譚』
7 聞き手と向き合う語り手

第三章 語りの視点
1 心の中を語ること
2 焦点化――誰が知覚し、誰が語るのか
3 焦点化概念の変容
4 黒澤明『羅生門』と芥川龍之介「藪の中」の語り
5 芥川龍之介「偸盗」の語り

第四章 テクストの声
1 テクストから聞こえる声
2 森鴎外「山椒大夫」における話法の処理

第五章 語りと時間
1 小説の中の時間
2 順序
3 持続
4 頻度

終 章

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