漫画家にして好角家としても知られるやくみつる氏はまた、珍品コレクターでもある。かつて深夜テレビを見ての記憶に従えば、巨人・ヤンキースの主砲であった松井秀喜の手のひらにできた肉刺(まめ)の皮を大事に保存していたし、芸能人のたばこの吸い殻を膨大な数収集していた。現代では、奇矯なコレクターだと思われるだけかもしれないが、文化史的にみると、人間の本性に根ざし、極めて理に叶った収集活動を行なう人物だと言える。
キリスト教においては、キリストの足跡のような神の痕跡には、特別な力(ウィルトゥス virtus)が宿るものと信じられた。キリストや聖母マリアのように、死後天に昇ったと信じられた聖なる存在は、地上に遺体を遺さなかったがために、その痕跡が聖性の帯びる聖所とみなされた。一方、神が人間世界でその力を行使するための媒体(メディア)であった諸聖人たちは、その死後、遺体は地上に遺り、その魂は直ちに天上の祭壇に憩うものと考えられていた。そして、地上に遺る聖人の遺体は、最後の晩餐の折に復活し、新たな身体を得て、天上に憩う魂と再統合された。それゆえ、聖人については、地上のそこここに遺体が眠っており、それぞれの遺体が神の力が宿る媒体とみなされ、そこでは天上への回路が開かれるものと信じられていたのです。
やくみつる氏の宝物に立ち返るならば、松井の掌のまめの皮は、聖人の遺体の一部(いわゆる身体聖遺物 body relics)であり、芸能人のたばこの吸い殻は、神が接した場所と同様に、神や聖人との接触によって生まれた接触型聖遺物(contact relics)と言うことができるだろう。
身体的聖遺物と接触型聖遺物は、キリスト教世界において、神がその力(ウィルトゥス)を地上で行使するための重要な媒体であったが、こうしたものに特別なオーラが宿り、現代人でも、コレクションの対象にするというのは興味深い。キリスト教の聖遺物の原理は、近代において世俗世界にも影響を及ぼしたと言えるかもしれない。キリスト教世界における聖遺物が及ぼした様々な影響を、とりわけ造形との関わりの中で論じたのが本書である。どういうわけか、当初想定したよりもよく読まれたようで、講談社叢書メチエで刊行されたものが、改めて講談社学術文庫に加えられた。
聖遺物崇敬についての邦語による基本書として読むこともできるだろうけれども、著者にとっての隠れた主眼は、実は、聖遺物をめぐる様々な珍奇なエピソードの紹介にある。実際、サントリー学芸賞の選評では選者から「相当な「オタク」的アプローチ」を称揚(?)された。西欧中世における聖遺物崇敬と造形との密接な関わりを知ると共に、やたらと不可思議なエピソードを楽しんで貰えたら、望外の喜びである。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 秋山 聰 / 2020)
本の目次
第一章 聖遺物の力
第二章 トランスラティオ(聖遺物の奉遷)と教会構造
第三章 黄金のシュライン-聖遺物を納める容器
第四章 聖遺物容器のさまざまな形態
第五章 聖なる見世物-聖遺物/聖遺物容器の人々への提示
第六章 聖なるカタログ
終章 聖性の転移
関連情報
2009年度サントリー学芸賞(社会・風俗部門)受賞 (サントリー学芸賞 2009年)
https://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_ssah/detail/2009sf1.html
書籍紹介:
東大教師が新入生にすすめる本 (東京大学出版会『UP』4月号特集)
https://kw.maruzen.co.jp/nfc/featurePage.html?requestUrl=toudai2015/01/