哲学と社会心理学は探求対象の一部を共有している。それらはともに、自由意志、自己、行為者性、責任、因果等、人間にとって重要な概念について探求するとともに、これらの概念、あるいは人々がそれらをどう捉えているかをも問題にしようとしている。両者の共有部分では、実験哲学と呼ばれる領域も形成されている。
このことを前提に、本書では、両者のコラボレーションが生み出し得る新たな形を追求する。そのためには、まず、哲学と社会心理学の探求目的・探求方法・基本的前提にある共通性と差異について、より明確な認識を得る必要がある。これは、自由意志・自己等々の具体的なトピックについて、双方がどのようにアプローチしようとし、それぞれが互いにどのようにして相手の助けを必要とすることになるのかを、明晰な言葉によって語り直すことだ。
そのうえで、この作業を踏まえて、両者がコラボレーションを通じて、何をどのようになしとげようとするのかについての理念像を作り上げねばならない。本書では、それを「概念工学」という言葉で指し示そうとしている。
概念工学とは、われわれの生にとって、あるいは人類の生存にとって重要な諸概念を、よりよい社会やよりよい個人の生き方に貢献することが可能となるように、設計ないし改訂 (つまりエンジニアリング) することを目指す研究領域である。この概念工学という理念が、哲学と社会心理学の実り豊かなコラボレーションのための基盤となる、というのが本書の基本的な考えであり、それを新たな研究領域の構築へとつなげるために、以下のような構成で議論を行っている。
第I部の原理編では、概念工学について、編者二人が哲学側・社会心理学側それぞれの立場から、理論的な展開を論じている。
第II部の実践編では、心、自由意志、自己の各概念について、実際に概念工学的手法を適用する様を、読者に提示する。具体的には、各章で哲学側・社会心理学側の著者がペアになり、まず社会心理学側の著者が、その概念に関する心理学的知見を展望しつつ、当該の概念の主観的な表象のされ方、また操作・測定の方法が、心的過程、判断、行動にどのような影響を及ぼすのか、さらにはそれが社会のあり方にたいして含意することを論じている。哲学側の著者はその知見を受けて、関連する哲学領域での研究展開を論じるとともに、心理学的な知見を概念工学につなげる際の問題点、概念工学を実現するために必要な諸条件・論点、哲学に求められることについて議論を行っている。
第III部の展望編では、実践編を踏まえて社会心理学・哲学が概念工学にどう貢献できるのか、今後の課題は何であるのかを編者二人で再度検討している。
以上の議論を通して、概念工学の考え方、課題を読者と共有し、この新しい学際領域の構築基盤を作ることが、本書の目指すところである。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 唐沢 かおり / 2019)
本の目次
第1章 哲学の側から Let’s 概念工学! (戸田山和久)
第2章 心理学の側から Let’s 概念工学! (唐沢かおり)
II 実 践 編
第3章 心の概念を工学する
3-1 心理学の側からの問題提起 (橋本剛明)
3-2 哲学の側からの応答 (鈴木貴之)
第4章 自由意志の概念を工学する
4-1 心理学の側からの問題提起 (渡辺 匠)
4-2 哲学の側からの応答 (太田紘史)
第5章 自己の概念を工学する
5-1 心理学の側からの問題提起 (遠藤由美)
5-2 哲学の側からの応答 (島村修平)
III 展 望 編
第6章 心理学者によるまとめと今後に向けて (唐沢かおり)
第7章 哲学者によるまとめと今後に向けて (戸田山和久)