19世紀中頃、ダーウィンの進化論によってキリスト教の創造神話に終止符が打たれたころ、アジアのある宗教が西欧で注目を浴びていた。仏教である。仏教は創造神を否定し、キリスト教とはまったく異なる思想体系をもちながら、ユーラシア大陸に広く伝播していたからである。
近代に生まれた仏教への関心は、今なお続いていると言ってよい。神なくしてどのように倫理や社会秩序は成り立つのか。束縛から解放された自由とは、どのようなものか。こうした問題を、近代のはるか以前、イエスが生まれる五世紀も前から、仏教は論じてきたからである。
実際、仏教の言説には、現代人の心に響くものが少なくない。たとえば、ある仏典は、認識の主体などなく、認識器官と認識対象との接触から認識が生まれているのであって、「我こそが真理を知る者」と主張する者は自らの経験や見解に執着しているに過ぎないと説く。それは、神や宇宙摂理を教義の中心に置く諸宗教への批判として読むこともできよう。
本書は、仏教の原点に遡って、その思想を論じている。巷にはブッダの名の下で著者の信仰を語る仏教書があふれているが、それに対して、本書は、文献学に基づいて、古代インドの初期仏教思想を特定し、それを当時の歴史的文脈で読み解いたもの。いわば、仏教に関心のある方に送る、古代インドへの招待状である。
もちろん、この初期の仏教を実証的に論じるのは容易ではない。古代インドの言語であるパーリ語やサンスクリット語で伝承された仏典、さらに漢語やチベット語に訳された仏典を比較研究し、古代インド史を踏まえて読解して、はじめて何事かを語ることができるからである。
そこで、本書の前半では、まず古代インド社会に仏教が生まれる過程を概観した上で (第1章)、仏典の原形となる伝承を実証的に絞っていき (第2~3章)、後半では、そこで明らかになった思想を当時のインド社会の文脈で解説している (第4~6章)。
とくに次の二点で、まったく新しい研究方法を取った。第一に、日本語であれ、英語であれ、初期仏教を論じる際にはスリランカの上座部という一派が伝承したパーリ語仏典が主に用いられてきたが、本書では、インド仏教の五派 (上座部、化地部、法蔵部、説一切有部、大衆部) が共有した仏典の内容を特定した。さらに、それが紀元前後に遡るものであることを確認した。
第二に、そこで特定された仏典の内容を、当時、仏教と競合していたバラモン教、ジャイナ教、唯物論と比較し、仏教の思想史的位置を明らかにしている。このような比較によってはじめて、仏教の諸概念が当時の社会でどういう意味をもったのかが理解できる。
仏教思想の入門書としても読めるよう、文献学の分析作業に基づきつつも、細部にわたる説明は避けて、出来る限り明快に書くことを目指した。歴史や思想に関心のある人は、仏教と対決するつもりでぜひ読んでほしい。
(紹介文執筆者: 東洋文化研究所 教授 馬場 紀寿 / 2019)
本の目次
第一章 仏教の誕生
1 アーリヤ人の社会
2 都市化が新思想を生んだ
3 ブッダと仏教教団
4 ブッダのインド思想批判
第二章 初期仏典のなりたち
1 仏教の変容
2 口頭伝承された初期仏典
3 「法と律」から「三蔵」へ
第三章 ブッダの思想をたどる
1 結集仏典の原形をさぐる
2 諸部派が共有したブッダの教え
3 初期仏教の思想を特定する
第四章 贈与と自律
1 順序だてて教えを説く
2 「行為」の意味を転換する
3 社会をとらえ直す
第五章 苦と渇望の知
1 四聖諦と縁起の構造
2 主体の不在
3 生存の危機――苦聖諦
4 生存を作るもの――苦集聖諦
5 生存の二形態
第六章 再生なき生を生きる
1 「自己の再生産」を停止する
2 再生なき生――苦滅聖諦
3 二項対立を超える道――苦滅道聖諦
4 「アーリヤ」の逆説的転換
ひろがる仏教
あとがき
引用経典対照表 / 主要参考文献
付記 律蔵の仏伝的記述にあるブッダの教え / 図版出典一覧
関連情報
馬場紀寿さん『初期仏教 ブッダの思想をたどる』インタビュー (岩波新書編集部ホームページ 2018年10月14日)
https://www.iwanamishinsho80.com/post/_baba
著者解説:
著者からの紹介 (東洋文化研究所ホームページ)
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/news/pub1809_baba.html
書評:
多田 修 (浄土真宗本願寺派総合研究所研究員) 評 仏教書レビュー (浄土真宗本願寺派総合研究所ホームページ 2018年10月10日)
http://j-soken.jp/read/9822
ソコツさんの本棚:仏教の原点にして到達点。人類を導く〈ブッダ〉を学ぶ5冊 (彼岸寺 2018年10月1日)
https://higan.net/sokotsu/2018/10/buddha/