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オレンジと黒の表紙

書籍名

中世から近世へ 秀吉の武威、信長の武威 天下人はいかに服属を迫るのか

著者名

黒嶋 敏

判型など

296ページ、四六判

言語

日本語

発行年月日

2018年12月

ISBN コード

9784582477375

出版社

平凡社

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秀吉の武威、信長の武威

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1570年代からの20年ほどの間に日本は、戦国の騒乱で分断された社会が、織田信長と豊臣秀吉という二人の天下人によって統合されていく、いわゆる天下統一の過程を辿っていった。中央では信長・秀吉が統一を進めようとする一方で、地方では軍事的な地域権力者となった戦国大名が、お互いの勢力圏を持って林立している。彼らをすべて支配下に組み込んだ時、日本は「統一」されるわけだが、登場したばかりの天下人が彼らを従属させるのには時間がかかり、かといって武力で討伐していくのもまた様々なコストの浪費につながる。どうすれば彼らを従順に服属させることができるか、天下人は大きな課題に直面していたのである。
 
本書は、そうした天下人と大名の外交的な駆け引きの様子を、「武威」をキィワードにして考えてみたものである。武威とは、軍事的な武力そのものだけでなく、武力を持つ者が他者の服属を募り、敷衍して及ぼすさまざまな影響力をも含む言葉である。天下人が自らの「武威」を高らかに語り、そして地方の大名たちを服属させていく様子を、当時の古文書を読み解くことから考えてみた。時には眉に唾するような巨大な武威を語り、服属した後の戦争がない平和な状態を自分の手柄と強調して、武家政権の為政者として自分がいかに優れているかをアピールする。虚と実の入り混じった宣伝にも、天下人が熱心に取り組んでいた様子が見えてきた。
 
武威の語られた史料を読み込み、同時期の状況のなかで虚と実を検証していくと、信長と秀吉には大きな違いがあることも分かってきた。二人ともに戦国の合戦を勝ち抜いて台頭してきたのだが、「武威」の語り方、そして「武威」をもとにした服属の要求の仕方が、それぞれに異なるのである。その違いは、二人の天下人の個性の差ともいえるが、それぞれの置かれた政治的な環境の差異を示しているとも考えられる。そんな二つの武威を現代語に訳しながら聞き分けることで、この時期特有の、政治の言葉が持っているものの内実に迫っている。
 
天下統一というと、圧倒的な軍事力によって天下人が地方を飲み込んでいくようなイメージを持たれることが多い。しかし行使される大規模な武力の裏では、「武威」を語り、服属を求めようとする動きも確実に存在した。その天下人と大名のせめぎ合いもまた、この時代ならではの興味深い現象なのである。

 

(紹介文執筆者: 史料編纂所 准教授 黒嶋 敏 / 2019)

本の目次

序章 「武威」から見える天下統一の実態
天下人と戦国大名
武威と遠国
本書のねらい (1) 曖昧な「惣無事令」の再考
本書のねらい (2) 信長はどこまで達成したのか

第一章 秀吉の九州「停戦令」
秀吉、天下人への道
秀吉と九州の大友氏
九州停戦令を出す
事務レベルからの停戦令通達
なぜこのタイミングに出されたのか
大友氏を不安にさせるもう一人の当事者
毛利輝元の野望 / 島津氏は停戦令にどう対応したか
臣従していた島津義久
九州の国分け案をめぐって
はしごを外された島津氏
輝元の苦境と変節
豊臣勢の出陣という圧力
軍勢を送る側の状況
軍勢を迎える側の状況
豊臣勢を破った戸次川の戦い
政権内部でコンセンサスのない出兵
秀吉の薩摩入り、義久の降伏
妥協の産物だった戦後処理
新たな武威の提唱へ
それは「惣無事令」と呼べるのか

第二章 秀吉の奥羽「惣無事」
奥羽の伊達輝宗と秀吉
父から息子政宗へ
政宗による蘆名攻め
秀吉の紛争調停と軍事的圧力
上杉景勝の上洛と「三家和睦」
徳川家康「赦免」に揺れる東国
家康の上洛と東国問題の新展開
つかみにくい「惣無事」の年次
家康と富田一白と「惣無事」
富田一白の野心
それは関東・奥羽「惣無事令」なのか
北条氏の従属と領国の確定
政宗にも届く上洛の催促
摺上原の戦いで勝ちすぎた政宗
政宗ラインの返信は無視できない
政宗自身が上洛せよ
政宗、小田原に出馬する
秀吉の奥羽仕置
喧伝の変質と政権の成長 

第三章 秀吉の武威と静謐
古くからの因縁の秀吉と佐々成政
主従関係の起点をめぐる認識のズレ
越中攻めと軍事的な屈服
成政の肥後拝領
肥後一揆の戦火と混乱
切腹命令
公儀性ではなく慈悲を語る秀吉
秀吉による北条氏の弾劾
厄介な沼田領問題
北条氏政、上洛せず
秀吉のカリスマ性
対応する武力と静謐
秀吉の武威の特徴

第四章 信長と奥羽
織田信長という天下人
信長と奥羽の関係の開始
伊達輝宗と遠藤基信
信長からの返書
来年は武田攻めを行う
輝宗、応ぜず
長篠の戦果と影響
信長への一味は天下のため自他のため
信長が見た日本諸国の服属状況
将軍を超えた信長
信長と上杉謙信との訣別
能登と男鹿の感覚的な距離
謙信の死と内乱
柴田勝家の語る「天下」
信長の「一統」に期待する輝宗
信長の武威の変化

第五章 信長と九州
将軍足利義昭と九州
大友を始め手に入り候
義昭と島津義久
激情に身を焦がして
激情に流されて
義昭と瀬戸内海
島津氏による南九州の制圧
信長から大友氏への宛行状
大友―島津の和睦調停
前久による島津義久の説得
義久の真意は軍事同盟の受諾
両にらみの外交姿勢
九州における信長の武威

第六章 信長の武威と東夷
美濃から信濃への侵略
しおしおとした出陣
信長から京都への戦況報告
寿がれる信長の武威
浅間山の噴火と神々の戦争
ある僧侶が見た聖徳太子の夢
夢を武器に支援を取りつける
熱狂に火をつけたのは誰か
首を懸ける場所とその意味
信長と獄門の首
信長は中世的武威を発信したのか
実際の東夷の発信者
信長を将軍に推任する動き
見立ての政治学
将軍と「朝敵」
夢まぼろしの「静謐」

終章 「武威」から見えた二人の違い
信長の武威、秀吉の武威
それぞれの関心の所在が異なる
武威の系譜の過去とその後

◎史料編
 

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