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戦う鶏を観戦する人々の絵

書籍名

中世から近世へ 天下人と二人の将軍 信長と足利義輝・義昭

著者名

黒嶋 敏

判型など

256ページ、四六判

言語

日本語

発行年月日

2020年5月

ISBN コード

9784582477481

出版社

平凡社

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学内図書館貸出状況(OPAC)

天下人と二人の将軍

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戦国の混乱が続く日本では、乱世のなかに全国の統一を志した「天下人」が颯爽と現れ、時代を大きく動かしていくとされる。日本の首都である京都とその周辺を掌握した「天下人」は、地方各地の戦国大名を屈服させ、あるいは武力で討伐をし、自身の勢力圏を広げていく。この「天下人」となるのが、織田信長である。
 
この時期の政治史は、織田信長が京都に入る1568年から書き始められることが多い。しかし、信長という個性的な「天下人」を主役にしてしまうと、それ以前の室町幕府による政治の仕組みは古びた機能しないものとして後継に退いてしまい、ともすれば歴代の足利将軍も、いずれも無力な日陰の存在とされがちである。ただ、最近は戦国時代の室町幕府政治史の研究が積み重ねられ、それぞれの将軍の個性というものが見えてくるようになった。たとえば、室町幕府の最後の将軍となる足利義昭は織田信長に擁立されたことで有名だが、その兄で、十三代将軍になった足利義輝とは、政治スタイルが相当に異なっていたことが分かってきたのである。そうした将軍の視角から信長が登場する過程を捉えなおしたものが、本書である。
 
義輝は、京都とその周辺の掌握に手こずりながらも、じつは遠方の大名との通交に復権の活路を見出していた。将軍だけが持つ超越した地位を利用しながら大名たちの紛争に介入していき、巧みな通交で支援を引き出しつつ、それまでの室町幕府の政治拠点となっていた将軍御所とは異なり、先進的な軍事設備を備えた城郭を京都に築いていたのである。中央である天下と、それを取り巻く地方とが有機的に関連しながら、義輝の政治は展開していたといえるだろう。
 
ところが義輝は暗殺されてしまい、弟の義昭は信長と手を結んで将軍の座を射止めた。200年以上も続いてきた室町幕府の政治のなかでは、就任したばかりの将軍は君主として慎重な行動を取らなければならず、人々もそれを求めてきたが、義昭はそこに十分な配慮が出来ていたとは言い難い。しかも兄義輝の政治スタイルを継承していたように見えながら、将軍という役職の重さを認識せず、大名たちの紛争に介入する際にも自身の戦略を優先していった。義昭の政治には徐々に綻びが目立ちはじめ、その間隙をつくかのように信長は自身の基盤固めを進めることになる。ついに両者は敵対関係に転じ、本来は中立であるはずの将軍自身が軍事活動に身を投じるものの、結局は京都を追われてしまうのである。
 
このように、中央と地方の関連性から二人の将軍の政治スタイルに目を向けると、そこには大きな断絶があった。その絶妙なタイミングで、信長が政治の表舞台に登場したことに気が付くのではないだろうか。
 

(紹介文執筆者: 史料編纂所 准教授 黒嶋 敏 / 2021)

本の目次

はじめに
第1章 御所から城へ
第2章 足利義輝と遠国
第3章 理想の幕府を求めて
第4章 城破れて天下布武
終章 天下人へ継承されるもの
おわりに

関連情報

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参考文献として:NHK - 歴史秘話ヒストリア - 第404回放送「不滅なり!室町幕府足利ブラザーズの挑戦」 (NHKテレビ 2020年10月21日)
https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/442.html

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