やまと絵とは、中国・唐時代に流行した着色の絵画が日本にもたらされ、平安時代の貴族社会のなかで屏風絵、絵巻、肖像画、仏画など多彩なジャンルに展開したものをいいます。仮名や和歌などとともに文化の基盤を形づくり、中世(12世紀~16世紀)にも継承されました。公家から武家へと政権の中心が変遷する過程で、やまと絵の担い手も前者から後者へと変わっていきます。真水と海水が交わりあう河口の汽水域が豊かな生態を育むように、重層する支配者たちの美意識が相互に浸透し、文化に活気を与えたといえそうです。中世やまと絵の面白さは、幾度も繰り返される古典復古と、中国からもたらされた水墨画のような新しい視覚とが、時に葛藤し、時に融和することで、常に様式や表現を変化させ続けた点にあります。
本書では、いくつかの異なる方法で作品・絵師・注文主(パトロン)に近づくことを試みています。ここでは三つを挙げてみましょう。第一に、「「病草紙」の構図」(第I部第三章)では、画面の構図分析を行いました。この絵巻は、奇病や障碍を主題とする絵巻の二十一の場面が現存しています。描かれた建築や人物の姿勢に着目して補助線を引き、これを六つのパターンに分類しました。人物を三角形に配置して安定感を示す、あるいは対角線で画面を分割して空間の粗密を対比するなど、平安末期の絵師による視覚効果追求の手法の典型が浮き彫りとなりました。
第二に、日記・書簡・説話などの文字史料からパトロンや絵師の言葉を抽出し、絵画に対する評価や画業に対する考え方に迫りました。「絵巻マニアの絵巻評」(第I部第二章)では後白河上皇の発言を取り上げています。彼は、鎌倉から上洛した源頼朝に対し「関東にこんな素晴らしいものはないだろう?」と言って、自らが所蔵する絵巻を見せようとしました。しかし頼朝は丁重に断ります。文化の差によって、優劣の関係が生じることを避けたのです。「土佐光信のコミュニケーション」(第III部第五章)では、室町時代の絵師が公家や寺院の注文で仏画や絵巻を描いた後、絵の代金の返還を申し出た例、あるいは固辞した例を挙げました。絵師にとって絵画制作は対価を求める生業としてだけではなく、自らの信仰の表明手段でもあったことが見えてきます。そこからは、職人から芸術家へと自意識が変化する兆候が認められるかもしれません。
第三に、様式の比較です。「「道成寺縁起」の成立圏」(第IV部第六章)では、絵巻に描かれた複数の顔を抽出、これらと1530年代に奈良で描かれた二種の絵巻の顔とがきわめて近いことを指摘しています。年代と制作地が判明したことで、作品の具体的な注文主も浮上してきました。
私は、作品のもつ表現の美しさや技巧のすばらしさに惹かれて美術史の世界に足を踏み入れました。そして作品の内部を凝視し、時に外側の史料を眺めることで、人間の生々しい心の動きや、古い社会のありようが見えてきました。近年、インターネット上では、文献史料だけでなく、文化財のデジタル画像公開も急速に進んできました。新たなテクノロジーも駆使することで、さらに鮮明な美術史を描きだしたいと考えています。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 准教授 髙岸 輝 / 2020)
本の目次
第I部 中世絵巻論―制作と享受
第一章 中世における絵巻の収集享受と権力
第二章 絵巻マニアの絵巻評
第三章 「病草紙」の構図
第四章 メトロポリタン本「北野天神縁起絵巻」の図像と様式
第五章 「後三年合戦絵巻」にみる院政期絵巻の復活
第六章 「遊行上人縁起絵巻」諸本の様式と年代
第II部 初期土佐派論―公武権力と和漢の絵画
第一章 やまと絵の再生と革新―室町時代土佐派の成立と展開
第二章 「天稚彦草紙絵巻」と室町土佐派絵巻の展開
第三章 足利義教と美術―北山と東山をつなぐ
第四章 『看聞日記』にみる唐絵の鑑定と評価
第III部 土佐光信論―空間と心理
第一章 十五世紀絵画のパースペクティブ―土佐光信のリアリズム
第二章 「槻峯寺建立修行縁起絵巻」と修験のランドスケープ
第三章 ハーバード本「源氏物語画帖」の空間構成
第四章 「地蔵堂草紙絵巻」の心理表現
第五章 土佐光信のコミュニケーション―絵師と画料をめぐって
第IV部 戦国時代やまと絵論―都鄙の風景
第一章 「清水寺縁起絵巻」の空間と国土
第二章 室町・戦国時代の西湖憧憬―旅する眼に映った日本の「西湖」
第三章 土佐国綱兄弟筆「涅槃図」と土佐派の分流
第四章 「酒飯論絵巻」のなかの中世
第五章 「日蓮聖人註画讃」の転写系統とスペンサー本の位置
第六章 「道成寺縁起」の成立圏―湯河氏と南都絵所の関与をめぐって
第七章 やまと絵屛風の変容―室町から桃山へ