ヨーロッパやイスラームや東アジアは、それぞれ長い造形の歴史を持っています。日本美術史は、その中で、近世までは中国大陸と朝鮮半島、近現代にはヨーロッパ、アメリカの美術と深いつながりを持ちながら展開してきました。外国の人々も魅了する独特の美しさは、多くの時代・地域・分野にわたり、全貌を把握するのは容易ではありません。ですから日本美術史の概説というと、ほとんどは複数、多い場合は数十人もの専門家が分担執筆をしてきました。それをひとりで、縄文時代から20世紀前半まで、建築・彫刻・工芸・絵画・版画・写真に及ぶ通史として書いたのが、この本です。
もちろん、研究の草創期である明治期には、岡倉天心やアーネスト・フェノロサが単独で日本美術史を叙述していましたし、その後もいくつか同様の試みがされてはいます。それらと違いこの本は、過度にバランスに配慮することなく、時代区分をはじめとして著者が重要だと考える事項を重点的に取り上げ、かつ著者自身の見解を含めて最先端の研究の成果を積極的に提示しています。ひとりの研究者が語る日本美術史というくっきりした個性と、通説にとどまらない現在の関心や考え方とを伝える新しさとが、この本の特色といえるでしょう。参照すべき研究や扱えなかった問題・作例への案内として、この種の本としてはかなり詳しい註や参考文献が役立つように配慮してもあります。
放送大学の授業「日本美術史」の印刷教材として書かれた2008年版を改訂したものです。そういう性格の本なので、分量や章立て、挿図の数と質などさまざまな制約を受けており、内容もテレヴィジョンによる授業と相互に補完されるべきところがあります。しかし、1冊の日本美術史として通読できる書物でもあり、幸い受講生や一般の読者から好評をいただきました。中国語に翻訳して台湾で出版したいという申し出も受けています。「放送大学試験問題文削除事件」(『法学セミナー』741号、2016年) と題する文章に記しましたとおり、著者は予定の任期よりも早く放送大学の講師をやめたのですが、すぐに複数の出版社からこの本を刊行したいという申請をちょうだいしました。ありがたいことです。いずれは割愛した戦後の章も書き加え、カラーの挿図を多く入れて、全体を増補改訂して出版するつもりでいます。それまでは、日本美術史について知ろう、何かを調べようというときに最初の手がかりになる本として、まだしばらく役割を果たすことができるだろうと考えています。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 佐藤 康宏 / 2016)
本の目次
1 形の生命 -- 縄文時代・弥生時代
1. 縄文土器と土偶 2. 弥生土器と銅鐸 3. 原始の造形が教えてくれること
2 権力の形象 -- 古墳時代・飛鳥時代
1. 古墳の造形 2. 飛鳥時代前期 (六世紀中頃―六六三年) 3. 飛鳥時代後期 (六六三年―七一〇年)
3 シルクロードの終点にて -- 奈良時代
1. 平城遷都 2. 薬師寺と興福寺 3. 東大寺と正倉院 4. 唐招提寺
4 異形の神のいる場所 -- 平安時代前期
1. 山と木と仏 2. 真言密教美術の開花 3. 神像の出現
5 浄土の顕現 -- 平安時代中期
1. 平明なる意匠 2. 平等院鳳凰堂 3. 唐絵とやまと絵
6 装飾への耽溺と離反 -- 平安時代後期 (1)
1. 院政期の優美と機知 2. 新様式の胎動
7 絵巻は語る -- 平安時代後期 (2)
1. 「源氏物語絵巻」-- 饒舌な室内 2. 「信貴山縁起」-- 聖なる山の奇蹟 3. 「伴大納言絵巻」など -- 後白河院をめぐる絵巻群
8 新しい現実感 -- 鎌倉時代
1. 覚醒する仏たち -- 仏教美術の復古と新様 2. 王朝追慕 -- やまと絵と絵巻の展開 3. 現実の人間と土地の姿
9 描かれた都市 -- 室町時代
1. バサラと唐物数寄 2. 装飾の領分、墨色の空間 3. 都を描く
10 かぶきのデザイン -- 桃山時代
1. 金色 / 黒色 2. 南蛮ファッション 3. <傾(かぶ)く> 造形
11 転形期の精神 -- 江戸時代前期
1. 桃山から江戸へ 2. 浮世絵の誕生 3. 町衆の意匠
12 市民たちの美的欲望 -- 江戸時代中期 (1)
1. 長崎からの新風 2. 十八世紀京都画壇の革新 3. 洋風技法の広がり
13 早過ぎた近代 -- 江戸時代中期 (2)・後期 (1)
1. 錦絵の展開 2. 武士と町人の自己表現 3. 十九世紀江戸画壇
14 美術の明治維新 -- 江戸時代後期 (2)・明治期
1. 文化の大衆化と浮世絵・工芸 2. 江戸の残照 3. 国家のための美術
15 モダニズムの諸相 -- 大正・昭和期 (戦中まで)
1. 大正アヴァンギャルド 2. 複製技術の時代 3. 自由の希求、その敗北
人名索引
作品名索引
関連情報
五味文彦『毎日新聞』2008年9月21日朝刊
旧版の一部は、神奈川大学の「日本史」の入試問題に使用されたことがあります (2013-14年版大学入試シリーズ』、教学社、に掲載)