天皇の美術史 第3巻 乱世の王権と美術戦略 室町・戦国時代
『天皇の美術史』は、2017年から2018年に全6巻が刊行された日本美術史の新たなシリーズです。美術史のシリーズ物というと、カラー図版を数多く掲載した大型の美術全集が頭に浮かぶと思います。1980年代以前、高度成長からバブル景気のころまでは、こうした贅沢な大型企画が次々に進められ、研究の進展に寄与してきました。ところが1990年代以降、そのような企画は減少したため、美術史全体を通史的に俯瞰すると同時に、最新の専門的研究を掘り下げたシリーズ物の出版が渇望されていました。1990年代の『絵は語る』(平凡社)、2005年の『講座日本美術史』(東京大学出版会) は、そうした要求に応えてくれた良質なシリーズであり、いちど手に取ってもらいたいと思います。
『天皇の美術史』では、美術品を「作らせた人々」の側から見ていきます。古代から近代にいたるまで、美術の制作は権力者の注文によることが普通で、当時の「芸術家」は今でいう「職人」に近い存在であったといえるでしょう。彼らが選択し、表現した様式 (スタイル) は、天皇や武家政権トップの美意識や、国家の中における美術のあるべき姿を反映しているのです。
シリーズ第3巻の『乱世の王権と美術戦略』で注目したのは、「武家が政権の中枢を担うようになった鎌倉末から江戸初期において、衰退したはずの天皇が美術を制作・蒐集・鑑賞することでいかに権威を保持しようとしたか」、という問題です。高校の日本史で言及される中世の天皇は、おそらく後鳥羽と後醍醐のみでしょう。彼らは武家に敗れた旧勢力として描かれます。しかし、近年の政治史・文化史の研究においては、武家政権は常に天皇のもつ「文化の力」に一目置き、彼らと一体化することで権威の向上を目指したことがわかってきています。
第1章「天皇と中世絵巻」では、鎌倉末期の花園天皇による絵巻制作や鑑賞の記事を網羅して、絵巻マニアの熱狂的な行動を読み解きます。これらを相続した室町時代の天皇たちは、絵巻を特別な「お宝」として大切に保管し、室町将軍たちはこれを羨望のまなざしで見つめ、頻りに借用を求めます。軍事力や経済力だけが政権を支えるのではなく、小さな美術品もこれに対抗できるだけの文化的な力を発揮したことがわかります。
第2章「天皇と天下人の美術戦略」では、安土桃山時代に織田信長・豊臣秀吉・徳川家康が美術といかに向き合ってきたのかを考えます。室町時代の足利義満や義政は、日明貿易を通じて中国美術の巨大なコレクションを形成し、これらは室町幕府を倒した天下人にとっても垂涎の的でした。彼らは、安土城や聚楽第の内装に日本風と中国風の両方を兼ねた王者のイメージを描かせますが、これらの巨大建築には天皇の行幸が予定されていました。本章では、正親町・後陽成・後水尾という乱世を生きた天皇たちが、天下人たちと交えた「美術」をめぐる駆け引きの実態が明快に説かれています。
美術と政治の深い関係を読み解く一冊です。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 准教授 髙岸 輝 / 2018)
本の目次
第1節 花園天皇と絵巻の時代
第2節 『看聞日記』の造形世界
第3節 洛中洛外の絵巻ルネサンス
第2章 天皇と天下人の美術戦略
第1節 復興の世紀
第2節 首都と内裏の風景
第3節 豪壮なるネイション
第4節 レガリアの系譜