あたかも魂が入ったかのように、言葉が生き生きとした表情を持ち始める瞬間。あるいは逆に、言葉から表情が急に失われ、魂が抜けたように感じる瞬間 (たとえば、言葉のゲシュタルト崩壊の体験)。そうした体験のもつ言語実践上の意味と、その社会的な重要性を探るのが、本書『言葉の魂の哲学』です。
本全体の流れは次のようなものです。まず、中島敦の「文字禍」とホーフマンスタールの「チャンドス卿の手紙」という二篇の短編小説を主な題材にして、基本的な問いを浮かび上がらせます (第1章)。それを踏まえて、哲学者ウィトゲンシュタインと作家カール・クラウスの言語論をたどることで、本書の問いへの答えを探っていきます (第2章、第3章)。
特に、本書の後半で着目しているのは、「しっくりくる言葉を選び取る」という実践です。この種の実践を行うとき、私たちは類似した言葉同士を比較し、個々の言葉がもつ微妙なニュアンスの違いをとらえようとします。それは、「言葉を大切にする」という営みの、間違いなく重要な部分を成しているでしょう。けれども、そうやって言葉にこだわる必要性はそもそもあるのでしょうか。雑に言葉を使ったり、ありきたりな常套句を多用しても意思疎通は可能です。そうであるなら、類似した言葉の間で何を選択するか頭を悩ますというのは、言葉への過度の関心、言葉に対するフェティシズムにすぎないのではないでしょうか。
決してそうではないということを、本書では確認していきます。哲学者ウィトゲンシュタインの思考は、私たちの言語的活動に関して「しっくりくる言葉を選び取る」という実践がもつ重要な意味を明らかにしています。さらに、作家カール・クラウスは、この実践を行うことが、実は私たちが果たすべき極めて重要な責任 (しかし、実際にはないがしろにされている責任) だということを解き明かしています。私たちは、何かを正確に言い表そうと望み、類似した言葉の間で迷い、出口を見出すまさにその過程において、言葉の意味を十全にとらえ、自分自身の思考を紡ぎ出します。それは、出来合いの便利な言葉をただ反射的に繰り返すことで思考を停止する過程とは、まったく対照的なものにほかなりません。
言うまでもなく、私たちの生活は言葉とともにあります。古来、「人間はロゴス (言葉) をもつ動物である」とも定義されてきました。しかし、その肝心の言葉がいまひどく軽んじられているという批判が、よく見受けられます。社会の様々な場面で、あるいは、政治の場面で。
では逆に、言葉を重んじる、とはどういうことでしょうか。私たちは、「言葉を大切にしよう」と、それこそ常套句のように言うことも多いですが、その内実ははっきりしません。実際、言葉を大切にするとは、具体的には何をすることなのでしょうか。そして、その営みはなぜ重要と言えるのでしょうか。本書で最終的に模索することになるのは、こうした問いに対する答えです。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 准教授 古田 徹也 / 2020)
本の目次
凡例・略記表
第1章 ヴェールとしての言葉――言語不信の諸相
第1節 中島敦「文字禍」とその周辺
1-1 「文字禍」あらすじ
1-2 現実を覆う言葉、世界との親密さの喪
1-3 存在の不確かさ
1-4 文字はどうすれば息づき始めるのか
1-5 補足と前途瞥見
第2節 ホーフマンスタール「チャンドス卿の手紙」とその周辺
2-1 「チャンドス卿の手紙」あらすじ
2-2 言語への絶望
2-3 フランシス・ベーコンの言語不信との比較
2-4 現実の不完全な代理・媒体としての言語観
第3節 まとめと展望
第2章 多面体としての言葉――ウィトゲンシュタインの言語論を中心に
第1節 使用・体験・理解
1-1 言葉の理解は、言葉の使い方の理解に尽きるのか
1-2 親しんでいることと、親しみを感じることの違い
1-3 魂なき言語と魂ある言語
1-4 理解の二面性
1-5 まとめと展望
第2節 言葉の立体的理解
2-1 「ゲシュタルト構築」としてのアスペクト変化
2-2 「見渡すこと」による言葉の習得
2-3 多面体として言葉を体験することに重要性はあるか
第3節 「アスペクト盲」の人は何を失うのか
3-1 アスペクト盲の思考実験
3-2 アスペクト変化の体験は瑣末なものか
3-3 〈しっくりくる言葉を選び取る〉という実践
3-4 言葉の場、家族的類似性
3-5 多義的な言葉を理解していることの条件
3-6 まとめと、第1節の問いへの回答、第4節への展望
第4節 「言葉は生活の流れのなかではじめて意味をもつ」
4-1 人工言語――連想を呼び起こさない言葉をめぐって
4-2 生ける文化遺産としての〈魂ある言語〉――日本語の場合
4-3 「『シューベルト』という名前はシューベルトにぴったり合っている」
4-4 「意味」という言葉の故郷――アスペクトを渡ること
4-5 まとめと、第3章の展望
第3章 かたち成すものとしての言葉――カール・クラウスの言語論が示すもの
第1節 クラウスによる言語「批判」
1-1 稀代の諷刺家・論争家クラウス
1-2 言語不信から言語批判へ
1-3 言語浄化主義の何が問題なのか
1-4 形成と伝達――言葉の二つの側面
1-5 言葉の創造的必然性
1-6 まとめ
第2節 言葉を選び取る責任
2-1 「最も重要でありながら、最も軽んじられている責任」
2-2 常套句に抗して――予言者クラウス
2-3 「迷い」という道徳的贈り物
2-4 諧謔と批判の精神
2-5 〈言葉の実習〉の勧め
註
文献表
あとがき
索引
関連情報
2019年12月 第41回サントリー学芸賞 思想・歴史部門 (サントリー学芸賞 2019年)
https://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_ssah/detail/201908.html
書評:
渡辺保 (評) (毎日新聞 2019年7月29日)
https://mainichi.jp/articles/20180729/ddm/015/070/046000c
(書評) 『言葉の魂の哲学』 古田徹也 <著> (朝日新聞DIGITAL 2019年6月9日)
https://www.asahi.com/articles/DA3S13532746.html
本よみうり堂: 伊藤亜紗 (美学者・東京工業大准教授) 評 (読売新聞 2019年5月27日)
https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/review/20180528-OYT8T50067/
三浦隆宏 評 (南山大学社会倫理研究所『社会と倫理』(34) 137-141頁 2019年)
https://rci.nanzan-u.ac.jp/ISE/ja/publication/se/018435.html
http://rci.nanzan-u.ac.jp/ISE/ja/publication/se34/34-13miura.pdf
イベント:
ゲンロン主催イベント: 古田徹也 × 山本貴光 言葉を選び取る責任について ──古田徹也『言葉の魂の哲学』をめぐって (ゲンロンカフェ 2019年8月30日)
https://genron-cafe.jp/event/20190830/