東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

イギリス郊外の街の絵

書籍名

家のイングランド 変貌する社会と建築物の詩学

著者名

大石 和欣

判型など

418ページ、A5判、上製

言語

日本語

発行年月日

2019年8月30日

ISBN コード

978-4-8158-0959-1

出版社

名古屋大学出版会

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家のイングランド

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本書は神話化された「イングリッシュな家」のイメージを、19世紀から20世紀前半にかけての英文学のなかに辿り、「家」というトポスを介してこの時代のイングランドの社会と文化を写しとった「建築文学」研究書である。今までにない斬新な視点でイギリス文学と文化の奥深さを照射している。「家」はたんなる箱物ではなく、人が住み、コミュニティを構築し、想い出を宿し、時代を象徴し、同時に時代や社会によって育まれる生きた空間である。文学のなかに描かれた家はそうした「生きられた家」、いわば実存的かつ現象学的な空間として表象され、その背後には特異な社会や歴史的文脈が横たわっている。本書ではピエール・ブルデューの「ハビトゥス」の概念を理論的支柱としつつ、建築をめぐる文学的表象の複合混成態を解きほぐし、「イングリッシュな家」に託されたユートピア像とその背後にある現実の社会・文化的な文脈を浮き彫りにした。日常的な「生息空間」であると同時に文化を生み出す「心的構造」でもあるハビトゥスは、時代のざわめき、歴史と人間の肌理、人びとの生活の息づかいにたち現れ、文学のなかに忍び込んでいる。本書ではそれらを文学作品に表象された「家」の解釈を通してことばの上で再現した。
 
本書では、まず「理想の家」という「光」を際立たせる背景としての、大都市ロンドンの「闇」であるスラムを取り上げている。『ジキル博士とハイド氏』や『ドラキュラ』といった文学作品には、スラムに向けられた中流階級の恐怖と好奇心が埋め込まれている。そうした貧困化やスラム化をもたらす原因として見なされたのは政治・経済的自由主義であったが、それに対する批判は、ジョン・ラスキンやモリスをはじめとする中世社会への憧憬を生み、ネオ・ゴシック建築の教会が「ピクチャレスク」な象徴として都市の内部に築かれてゆく。
 
その一方で、スラムを抱えてカオス化した都市から距離を取ろうと、中流階級は郊外に移動していく。いわゆる郊外化現象である。しかしながら、郊外住宅はユートピア化されたピクチャレスクな外観とは裏腹に、実際には流動的で不安定な空間だった。19世紀末から20世紀初頭にかけて一世を風靡した郊外小説には、そうした実存的不安を抱えた (下層) 中流階級の人びとの生き様が浮き彫りになっている。
 
そうしたスラムや郊外住宅があればこそ、「イングリッシュな家」は理想化され、ステレオタイプ化されて社会のなかに流布することになる。E. M.フォースターの小説『ハワーズ・エンド』は、そんな「イングリッシュな家」を体現した田舎の古い農家屋を主人公に据えて、都会/田園、帝国主義/小英国主義、イギリス/植民地、過去/現在といった1900年代に絡みついている対立や矛盾を照射している。「イングリッシュな家」は幻想でしかない。同じようにイングランドのカントリー・ハウスもまた、貴族たちの政治・経済的な没落に伴い、大戦間期に急速に消滅していく。その結果として人びとが「イングリッシュな伝統」と見なすようになった幻影である。文化的実体を失って形骸化した「空っぽの貝殻」だからこそ、ノスタルジアがまとわりつき理想化されてしまう。その虚構性はデュ・モーリアの『レベッカ』やカズオ・イシグロの『日の名残り』のなかに明瞭に浮かび上がっている。
 
最終章では、独特な建築評論家でもあった桂冠詩人ジョン・ベッチャマンの建築論を分析する。彼は悪趣味と疎まれるようになったヴィクトリア朝のネオ・ゴシック建築にこそ、円熟した歴史の層が宿っていると説き、その保存による歴史感覚の継承を促した。この複層的な歴史は「複合混成態」というべきものであり、コミュニティや社会の歴史的紐帯として機能し続ける。それこそが「建築物の詩学」である。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 大石 和欣 / 2021)

本の目次

序 章 イングリッシュな家のハビトゥス
     1 イングリッシュな家と文学
     2 歴史と建築と文学
     3 本書の骨組(スケルトン)
 
第1章 闇の奥の家 —— スラムをめぐるまなざしと表象
     1 ディストピアの言説
     2 スラムと中流階級の家の対比
     3 チャリティを通して見つめた都市の最暗部
     4 「退化」と「恐怖」でつながるスラムと上品な邸宅
     5 覗き見趣味の巡礼
 
第2章 スラムに聳えるネオ・ゴシック建築
      —— 夢に終わった中世の理想
     1 封建主義の復権
     2 田園主義の具現
     3 ピクチャレスクな過去と現在
     4 「自由」と「秩序」と「雅量」と
       —— ラスキンがゴシック建築に見出したもの
     5 モダンな中世主義 —— ウィリアム・モリスの『ユートピアだより』
     6 スラムの跡地のネオ・ゴシック住宅
 
第3章 「混濁」した郊外と家 —— 不可解な空間
     1 ユートピアの幻影 —— 解釈できない空間
     2 「ピクチャレスク」の変質
     3 「没場所」としての郊外を読み直す
     4 郊外を流離う夏目金之助
     5 帝国内の異空間とマイホーム主義
 
第4章 イングリッシュな農家屋 —— 遺産の継承と社会
     1 「イングリッシュな農家屋」というハビトゥス
     2 流転する都市の景観
     3 田園への回帰
     4 田園都市の誕生
     5 「イングリッシュな家」の創造
     6 「つなぎとめる」建築物
     7 帝国の陰影
 
第5章 「空っぽの貝殻」—— 消えゆくカントリー・ハウスの幻影
     1 消えたカントリー・ハウス
     2 戦間期の不安 —— ダロウェイ夫人が感じる闇
     3 空虚な屋敷の原型
     4 回想のなかのカントリー・ハウス —— デュ・モーリアの『レベッカ』
     5 かつて僕はそこにいた —— 記憶のなかのブライズヘッド
     6 空洞化する「威厳」—— カズオ・イシグロの『日の名残り』
     7 カントリー・ハウスの現在と未来
 
第6章 建築物の詩学 —— ジョン・ベッチャマンと歴史的建築物
     1 奇矯なる国民詩人
     2 裏街道を迷走する
     3 建築物の詩学
     4 新生ゴシック建築
     5 盟友ジョン・パイパー
     6 ベッチャマンの教会賛美
     7 鉄道マニアとしてのベッチャマン
     8 ベッドフォード・パークの戦い
     9 伝統の再編成
 想い出の家 —— あとがきにかえて
 注
 引用文献
 図版一覧
 索 引
 

関連情報

書評:
光永雅明 評 (『西洋史学』通号279 p.106-108 2025年)
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000004-I034277315
 
ラウンドテーブル
大石和欣著『家のイングランド-変貌する社会と建築物の詩学-』をめぐって|坂下史・新井潤美・頴原澄子・大石和欣 (『都市史研究』第8号 2021年10月25日)
https://suth.jp/publication/toshishi_kenkyu_08/
 
金澤周作 評 (『史苑』第81巻 第2号p.141-149 2021年3月1日)
https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/records/20527
 
桐山恵子 評 (『英文学研究』第98巻p.39-43 2021年)
https://doi.org/10.20759/elsjp.98.0_39
 
滝川睦 評 (名古屋大学英文学会『IV』第53巻 2020年12月23日)
https://nagoya.repo.nii.ac.jp/records/31050
 
福原俊平 評 (『ヴィクトリア朝文化研究』第18号 2020年11月)
http://www.vssj.jp/journal/18/18-fukuhara.pdf
http://www.vssj.jp/journal.html
 
頴原澄子 評 (『都市史研究』第7号 2020年10月25日)
https://suth.jp/publication/toshishi_kenkyu_07/
 
伊達直之 評 (『図書新聞』第3426号 2019年12月7日号)
https://www.fujisan.co.jp/product/1281687685/b/1909760/
 
<本の棚> 田中純 評 (東京大学『教養学部報』第614号 2019年12月2日)
https://tps://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/about/booklet-gazette/bulletin/614/open/614-02-3.html
 
阿部公彦、川端康雄 評「読者アンケート特集」 (『みすず』 2020年1・2月合併号)
https://www.msz.co.jp/book/magazine/202002/
 
イベント:
【報告】「部屋と空間プロジェクト」 シンポジウム (東京大学東アジア藝文書院ホームページ 2022年2月15日)
https://www.eaa.c.u-tokyo.ac.jp/blog/20211227-symposium/
 
【報告】第4回「部屋と空間プロジェクト」研究会&第7回EAAブックトーク「大石和欣『家のイングランド:変貌する社会と建築物の詩学』合評会」報告 (東京大学東アジア藝文書院ホームページ 2021年10月12日)
https://www.eaa.c.u-tokyo.ac.jp/blog/report-20210910/
 
合評会 大石和欣著『家のイングランド 変貌する社会と建造物の詩学』 (都市史学会・ダブリン研究WG 2020年12月26日)
https://suth.jp/event/20201226/
 

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