「院政」という言葉からどのような印象を受けるだろうか?現代では、役職を退いたはずの人が実権を手放さず、陰で組織を牛耳るという、ネガティブな意味で用いられる。本来の日本史上の「院政」は、天皇の地位を退いた太上天皇 (上皇・院と呼ばれる) が、現天皇に対する父権を根拠に、政治の実権を握る方式である。
院政の開始は、中世の開始と軌を一にしている。後三条天皇 (在位1068~73) が、約170年ぶりに藤原氏出身の母を持たない天皇として即位し、摂関政治からの脱却を図るために、壮年のうちに譲位して、後継者選定の自由度を高めようとしたのが、そもそもの始まりである。後三条は譲位後まもなくして崩御したが、次代の白河天皇が本格的な院政を開始し、曽孫の崇徳にいたるまで三代の天皇の治世で権力をふるった。
現代語の院政は「守旧」や「老害」に通じる意味を持っているが、本来の院政は、むしろ新しい時代を開く進取の気概に満ちていた。天皇のもとでの精緻にして煩雑な政治手続きは、国土が荘園や公領に分節され、人々の武装化が進む時代には、もはや適合しなかった。天皇を頂点とする儀礼的政治回路を保全しつつ、院のもとに権力を集中させ、速やかな政治判断を可能にする院政は、社会を活性化する役割を果たした。活性化の果てにあったのが、保元・平治の乱や、治承・寿永の乱という内戦だったことは問題だが、その先には鎌倉幕府という武家の政権の誕生をみたのである。
院の権力行使は、院の好悪による人事権の濫用・旧来の秩序の破壊などの批判に落とし込まれ、その合理性や革新性が検証されることはなかった。一方で、天皇の配下にある制度は温存され、前近代を通じて強靭に継承されたのである。
平成から令和への代替わりは、即位の礼や大嘗祭など、さまざまな儀礼が実施される一方で、天皇の高齢化や次世代への継承などの問題が露わになった。何百年も前の先例が参照され、天皇制の背後にある歴史の厚さを感じる機会も多かったことだろう。本書は、「院政」をキーワードに、天皇の伝統や権威といわれるものを支える仕組みや、その内実に切り込んだものである。
日本人は長らく天皇について真剣に考えることを怠ってきた。それは同時に、時代に即した国家的な理念や構想の創出に、十分に挑んでこなかった姿勢に通じる。本書が叙述する中世天皇制のたどった道のりが、未来について勇気をもって考えるための道標となることを願っている。
(紹介文執筆者: 史料編纂所 教授 本郷 恵子 / 2020)
本の目次
第1章 院政以前―譲位と太上天皇―
第2章 摂関政治と後三条天皇
第3章 中世の開始と院政への道
第4章 白河院の時代
第5章 院政の構造
第6章 内乱の時代
第7章 公武政権の並立
第8章 院政と公武関係
第9章 中世後期の皇位継承
おわりに
関連情報
第1特集 天皇と日本史: 本郷恵子 院政の創始者、白河 天皇見直される「院政」の意味 (週刊東洋経済Plus 2019年9月6日)
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/21445
本郷恵子 譲位と院政が天皇家を維持してきた? (現代新書 2019年6月10日)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64794
本郷恵子 令和の次に生まれる、「運命を背負わなかった」天皇の姿とは? (現代新書 2019年5月14日)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64470
本郷恵子 「院政」から見えてくる、令和以降の皇位継承のあり方 (現代新書 2019年5月6日)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64321
書評:
工藤美代子 評 「権力」「権威」「権勢」の違いを深く考察するための指南書 (毎日新聞 2019年7月9日)
https://mainichi.jp/articles/20190709/org/00m/040/009000d
松澤隆 (編集者) 評 「「上皇」誕生の年に読む中世史の魅力と警鐘」 (論座 2019年7月12日)
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019071200011.html?page=1
草野真一 評 「万世一系はいかに維持されたのか? 125代にわたって続く天皇制の転換点」 (講談社BOOK倶楽部 2019年6月20日)
https://news.kodansha.co.jp/7769