アナキズムという言葉を聞いて、みなさんはどういう思想や実践を思い浮かべるでしょうか。歴史的に見れば、それは一切の権威への従属を退け、個人の絶対的な自由の実現を目指すものから、むしろ人間の共同性や相互扶助を強調し、権力支配とは無縁な自治的協同体の樹立を主眼とするものまで、その目標においても手段においても大きく異なる、きわめて多様な思想を包含してきました。
本書が提唱しようとしているアナキズムは、大きく括れば後者の流れに属するということができます。2020年に惜しくも急逝したデヴィッド・グレーバーは、アナキズムを「非中心性、自主的連合、相互扶助、ネットワークモデル」という四つの特質で定義しようとしていました。これらは今後実現されるべき社会の構成原理ともなるのですが、私が考えたのは、どこにそれが可能であることの根拠があるのかということでした。人間の相互性に信頼するというのでは明らかに不十分です。そのときに見えてきたのが、社会人類学者マルセル・モースが『贈与論』(1924) で行おうとした探求のもつ重要性でした。
アナキズムを考えるときに忘れてはならないこととして、それが一九世紀後半から二十世紀の後半にかけて生き生きとした思想でありえたのは、主としてマルクス主義的な共産主義、ソ連型の独裁的社会主義に対する対抗理念 (「左からの」批判者) としてであったということがあります。それは上からの社会革命に対する強い異議申し立てだったわけですが、他方でマルクス主義の理論的基礎をなしていた生産力中心主義 (生産様式が社会を決定するという史的唯物論) 批判は、少なくともアナキズムの側からはほぼ手つかずのままだったと言えます。
モースに発する経済人類学的探求が明らかにしたのは、あらゆる人間関係と社会の基盤となるのは、生産様式ではなく交換様式であること、それも商品経済を前提とする近代経済学の視野の外におかれていたような、社会構造のなかに深く埋め込まれた交換様式であることでした。そこに注目することではじめて、かつての階級闘争論や、アナキズムが一時それに頼った「行動する少数派」といった戦略とは異なるイメージと根拠に基づく社会変革への道筋を描くことができるのではないか。モース自身は協同組合運動にその可能性を見ていたのですが、詳しくは本書を読んでいただくしかありません。
最後に、手前味噌を承知で本書のアクチュアリティを二つ記します。一つは、生産至上主義、成長至上主義をいかにして乗り越えるかという回避不可能かつ焦眉の課題に応えようとするものであること、もう一つは、コロナ禍の今だからこそ考えるべきこととして、国家が果たすべき役割の再検討を促すもの、とりわけ、強力な権力の存在を、それを担えるリーダーと合わせて、期待し呼び求めてしまうことに対して警戒を呼びかけるものとなっていることです。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 山田 広昭 / 2021)
本の目次
二章 贈与のモラル
三章 国家と個人
四章 無力な首長と国家なき社会
五章 「ハウ」と戦争
六章 利潤なき市場経済
七章 労働力商品と剰余価値
八章 贈与と負債
九章 理論と倫理
一〇章 モースと社会主義 — 生産様式から交換様式へ
一一章 交換様式D
一二章 ネーション
一三章 可能なるアナキズム
関連情報
山田広昭「贈与のモラル……互酬性の原理とアナキズムの可能性」 (『談』no.120 2021年3月8日)
https://www.dan21.com/backnumber/no120/index.html
書評:
星野太 評 (『artscape』 2021年6月15日)
https://artscape.jp/report/review/10169248_1735.html
若森みどり 評 (『図書新聞』 2021年2月13日)
http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/shinbun_list.php?shinbunno=3483
平川克美 評「「贈与経済」ヒントに未来探る」 (『東京新聞』 2020年11月22日)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/69733
[読書]思想 山田広昭著 可能なるアナキズム マルセル・モースと贈与のモラル 半沢ファンにも懐深く (沖縄タイムス、ほか 2020年11月7日)
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/659770
https://www.chukei-news.co.jp/news/2020/11/07/OK0002011070b01_04/
沖公祐 評 (『週刊読書人』 2020年12月11日)
https://jinnet.dokushojin.com/products/2020%E5%B9%B412%E6%9C%8811%E6%97%A5%E5%8F%B7-3369%E5%8F%B7-%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E7%89%88
平井玄 評 (北日本新聞ほか (共同通信配信) 2020年10月31日)
イベント:
伊藤亜紗×山田広昭「身体のアナキズム」『可能なるアナキズム』(インスクリプト)刊行記念 (本屋B&B 2021年1月11日)
http://bookandbeer.com/event/20210111/
日仏文化講演シリーズ第354回:贈与交換と新たなアナキズムーマルセル・モースから出発して (公益財団法人日仏会館 2021年9月17日)
https://www.mfjtokyo.or.jp/events/lecture/20210917.html
森山工×山田広昭「マルセル・モースと贈与のモラル」『可能なるアナキズム』(インスクリプト)刊行記念イベント (本屋B&B 2020年12月18日)
http://bookandbeer.com/event/20201218b/