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白い表紙、緑の帯

書籍名

古典転生 崇高の修辞学

著者名

星野 太

判型など

288ページ、A5判、上製

言語

日本語

発行年月日

2017年2月

ISBN コード

978-4-86503-041-9

出版社

月曜社

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崇高の修辞学

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本書は「崇高」という概念についての研究書である。
 
私たちは、自分の力をはるかに上回る圧倒的な対象に接したとき、どこか畏れにも似た感情を抱くことがある。それは、美しいものに接したときに抱くような単純な快ではなく、快と不快が混ざりあった複雑な感情である。西洋の思想史において、この感情が人々の関心の対象となったのは18世紀のことであった。この時代、リスボン大地震のような大災害や、英国におけるグランド・ツアーとよばれる国外旅行を通じて、この両義的な感情への関心は否応なしに高まりをみせた。これが、本書がテーマとする「崇高」の近代的な起源である。
 
それから現在にいたるまで、この「崇高 (sublime)」という概念はもっぱら「美 (beauty)」の対概念として用いられてきた。というのも、伝統的な議論において、美は均整の取れた限定的な対象を通じて感じとられるのに対し、崇高はむしろ恐怖を喚起するような、巨大で曖昧な対象によって引き起こされるとされてきたからである。とりわけ、エドマンド・バークの『崇高と美の観念の起源』(1757) や、イマヌエル・カントの『判断力批判』(1790) を通じて、この「美」と「崇高」というカップリングは、美学という学問分野においてつねに中心的な地位を占めつづけてきた。
 
しかし、本書が注目したのは、こうした近代的な「崇高」観のなかで抑圧されてきた、もうひとつの系譜である。そもそも西欧におけるこの概念は、古代ギリシア・ローマにおける『崇高論』という謎めいた書物のなかで、はじめて本格的に論じられたものである (この著者は伝統的に紀元3世紀の「ロンギノス」とされてきたが、現在では紀元1世紀の無名作家であるという説が有力である)。これは詩・哲学・歴史といったジャンルを越えて、私たちの心を陶酔へと導く「崇高な言葉」について論じた、古代における類稀な文芸批評の試みであった。『崇高論』は、ほかの古代ギリシア・ローマの文献と同じく近代において発見され、その後のさまざまな文学的潮流に影響を与えたことで知られる。しかしながら、崇高さの見いだされる対象が自然や芸術へと移り変わっていくにともない、詩や散文における崇高さは、時代を経て次第に顧みられなくなっていった。
 
本書は、こうした「言葉」における崇高の系譜にあらためて光を当て、ロンギノスの『崇高論』と、その近現代における展開を時代ごとに論じたものである。そのさい、これに「修辞学的崇高 (rhetorical sublime)」という包括的な呼称を与え、近代において存在感を増した自然・芸術を対象とする崇高を「美学的崇高 (aesthetic sublime)」として、両者をあえて区別したのが本書の特色である。そのうえで、『崇高論』を受容したボワロー、バーク、カントといった近代の文学者や哲学者、さらには現代におけるドゥギー、ラクー=ラバルト、ド・マンといった思想家の各論を通じて、全体として本書が「修辞学的崇高」と呼ぶ系譜を浮き彫りにすることを試みた。
 
すでにのべたことの繰り返しになるが、近代において成立した美学は、もっぱら自然や芸術を対象とする崇高さに注意を傾けてきた。反面、そこで抑圧されていたのは、かつて (伝) ロンギノスや、後世の修辞家たちが論じた「言葉」における崇高さの問題にほかならない。こうした古代から現代までの「言葉と崇高」の問題に照準を絞ることで、本書は現代における「修辞学」の見なおしについても、いくばくかの貢献をなしえたのではないかと思っている。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 准教授 星野 太 / 2021)

本の目次

序論
 
第I部 『崇高論』と古代
第一章 真理を媒介する技術──「ピュシス」と「テクネー」
第二章 情念に媒介されるイメージ──「パンタシアー」と「パトス」
第三章 瞬間と永遠を媒介するもの──「カイロス」と「アイオーン」
 
第II部 変奏される『崇高論』──近代におけるロンギノス
第四章 崇高論の「発明」──ボワロー『崇高論』翻訳と新旧論争
第五章 言葉と情念──バーク『崇高と美の観念の起源』と言語の使命
第六章 「美学的崇高」の裏箔──カント『判断力批判』における修辞学
 
第III部 崇高なるパラドクス──二〇世紀における「崇高」の脱構築
第七章 放物線状の超越──ミシェル・ドゥギーと「崇高」の詩学
第八章 光のフィギュール──フィリップ・ラクー=ラバルトと誇張の哲学
第九章 読むことの破綻──ポール・ド・マンにおける「崇高」と「アイロニー」
 
結論
あとがき
参考文献
索引
 

関連情報

著者インタビュー:
芸術論の新たな転回 01 星野太 (1)  (Interview series by 池田剛介) それでもなお、レトリックを――星野太『崇高の修辞学』をめぐって1 (REALKYOTO 2017年3月5日)
https://realkyoto.jp/article/inteview-by-ikeda-kosuke01_1/
 
芸術論の新たな転回 01 星野太 (2)  (Interview series by 池田剛介) それでもなお、レトリックを――星野太『崇高の修辞学』をめぐって2 (REALKYOTO 2017年3月5日)
https://realkyoto.jp/article/inteview-by-ikeda-kosuke01_2/
 
芸術論の新たな転回 01 星野太 (3)  (Interview series by 池田剛介) それでもなお、レトリックを――星野太『崇高の修辞学』をめぐって3 (REALKYOTO 2017年3月5日)
https://realkyoto.jp/article/inteview-by-ikeda-kosuke01_3/
 
対談:
松浦寿輝・星野太 対談 酷薄な系譜としての“修辞学的崇高”『崇高の修辞学』(月曜社)刊行を機に (『週刊読書人』3189号 2017年5月12日)
https://dokushojin.stores.jp/items/5ef59bad561e1775b21b345e
 
書評:
桑島秀樹 評 (美学会『美学』第71巻1号 2020年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bigaku/71/1/71_169/_pdf
 
谷川渥 評「修辞学的崇高の新しい地平」 (表象文化論学会『表象』第12号 2018年4月23日)
http://www.getsuyosha.jp/hyosho/hyosho12.html
 
上村忠男 評「二〇一七年の収穫! 41人へのアンケート」 (『週刊読書人』 2017年12月15日号)
https://dokushojin.stores.jp/items/5ef33daa561e177c6481770e
 
渡邊雄介 評 (『REPRE』Vol.30 2017年7月29日)
https://www.repre.org/repre/vol30/books/sole-author/hoshino/
 
アートの本質と未来を考える。5月号新着ブックリスト:中島水緒 評 (『美術手帖』 2017年5月号)
https://bijutsutecho.com/magazine/insight/3875
 
イベント:
星野太『崇高の修辞学』刊行記念トーク「ロゴスとアイステーシス――美と崇高の系譜学」星野太×岡本源太 (MEDIA SHOP / gallery 2017年5月20日)
https://art-okadai.tumblr.com/post/160085399125/
 
「美学的崇高 vs. 修辞学的崇高?――崇高における像と言語」 星野太『崇高の修辞学』(月曜社)刊行記念トーク (NADiff愛知 2017年4月23日)
http://www.nadiff.com/?p=5788
 
関連記事:
紀伊國屋じんぶん大賞2018――読者と選ぶ人文書ベスト30 (紀伊国屋書店 2018年)
https://www.kinokuniya.co.jp/c/jinbun2018/

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