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馬と武士の絵

書籍名

PALGRAVE STUDIES IN COMPARATIVE GLOBAL HISTORY War and Trade in Maritime East Asia

著者名

Mihoko Oka (編)

判型など

282ページ

言語

英語

発行年月日

2022年4月7日

ISBN コード

978-981-16-7368-9

出版社

Palgrave Macmillan Singapore

出版社URL

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War and Trade in Maritime East Asia

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日本は海に囲まれた島嶼である。それゆえ、おのずと海外との繋がりは海を通って形成されてきた。そのため、外国との文化接触や外交、貿易などは、基本的にはすべて「海域史」である。とはいえ、日本を内側から研究する日本史研究者にとっての関心は、あくまで「日本から」みた他国との関係の歴史である。それは文化の交差に対する視点というより、「いかにして、外国の文化は日本に入ってきて、日本の文化の一部となったか」という議論に終始しがちである。こういった研究分野は「対外関係史」と呼ばれている。
 
視野を世界に移すと、歴史学の昨今のトレンドとして、グローバル・ヒストリーの流行がある。日本の歴史学がグローバル・ヒストリーの流行に影響を受けているかというと、それほどでもない。少なくとも日本においては、「各国史」研究は健在で、おそらく歴史を学ぶ学生 (日本史、東洋史、西洋史すべて) の90パーセント (この数字に根拠はない) には、自分が専攻するある国や、ある地域以外のことに興味はない。
 
グローバル・ヒストリーを日本で研究するということは、いわゆるスタンダードから外れてしまう危険性に繋がっている。グローバル・ヒストリーの研究ではゾミア (zomia)) 研究が脚光を浴びているが、実はグローバル・ヒストリーのトレンドに惹かれる研究者もまた、自分自身がマイノリティに所属するゾミア的人びとであるかもしれない。彼等は「各国史」の枠組みの中にいることを窮屈に感じたり、そこには自分の居場所がないと感じたりして、枠組みの外へ流れ出てしまう傾向がある。彼らに居場所を提供するのは、やはりグローバルな舞台なのである。
 
本書の執筆者は、16・17世紀の東アジアについて、交易と戦争を題材として用い、多民族が混交し、越境していく世界を描き、それらの複層的な構造を明らかにするという点では問題意識を共有している。日本に関係する章が多いが、決して「日本の歴史」を描くためではなく、東アジアの一地域としての日本と周辺国との歴史上の相互作用をグローバルに捉えようとしている。そこでは、この時代の特徴であるヨーロッパ (とくにポルトガル人) の参入がこの海域に一定の変化をもたらしたこと、明朝への朝貢システムの終焉と周辺国の政治的変動で、15世紀に維持されてきたような、東アジア海域の比較的平和な状態が崩壊していく様子が描かれる。
 
本書は二つのパートに分けられる。一つは明朝の朝貢システム崩壊前後の東アジアの交易状況、もう一つは、16世紀末に日本の豊臣秀吉が、中国征服を視野に入れて、膨大な数の軍隊を朝鮮半島へ送った侵略戦争である。近年、日本では秀吉の朝鮮侵略は、「ヨーロッパの拡張」に対抗するためであったという説が脚光を浴びている。その意味では、その侵略戦争はグローバルな動きの中での日本のレスポンスの一環としてみることも可能である。この説の正当性の検証を含めて、今後この視点からの朝鮮侵略の研究が盛んになるであろう。
 
第一部の鹿毛敏夫の論文では、15世紀後半から16世紀にかけて、西日本、とくに九州の大名たちがおこなった明朝への朝貢貿易の様相が明らかにされる。鹿毛は他の論文で、九州の戦国大名大友氏が明朝だけではなく、カンボジアのような東南アジアの王権とも外交と通商をおこなっていたこと、交易をめぐる九州の政治経済動向の変遷を明らかにしている。この本の章では、大友氏だけではなく、他の大名の交易形態や海運、大友氏の日明貿易の詳細が明らかにされる。
 
岡は、1550年頃の倭寇による東シナ海の交易にポルトガル人が参入する様子を、主にイエズス会史料やフェルナン・メンデス・ピントの『東洋遍歴記』の記述から分析した。
 
フジタニの論文は岡の論文との連続性がある。1557年にマカオに定住が許可されたポルトガル人たちは、いまだ収まらない中国沿岸の海賊撃退において、明の軍隊に協力した。マカオにポルトガル人が定住許可された時期の、ポルトガル人と明朝の関係についての研究は少ない。この時期のポルトガル語の史料やイエズス会の史料がそれほどないことに因る。フジタニは『明史』を中心に中国の文献を丁寧に分析し、同じ分野のヨーロッパ人研究者にとっては未知の歴史情報の紹介に成功している。
 
藤田明良の論文は、17世紀、日本の朱印船が渡航した地域の詳細が記された世界図の網羅的な研究である。江戸時代に写し継がれた世界図についての研究は、第二次世界大戦以前かなり盛況であったものの、戦後散逸して所在が分からなくなったものが多い。藤田は、これらの地図の一点一点の所在を可能な限り確認し、それらの類型を再整理した。これらの地図には、日本船が渡航した地域、非常に細かな商品のリストが付随しており、17世紀初頭のアジア間貿易を知る上での貴重な情報を提供している。
 
第二部 Japanese Invasion of Koreaは、秀吉の第一次派兵前後の明宮廷における、日明交易についての政治的な議論と具体的な動向の詳細を分析した中島楽章論文から始まる。明にとっては属国である朝鮮を侵略した秀吉の軍事行為は、明宮廷にとっても屈辱的なものではあったが、その一方で、日明間の朝貢貿易を復活させようと目論む宮廷官僚たちもいた。またそれは秀吉側にとっても望むところで、日明貿易の復活を成功させようとする、秀吉側の武将たちの動向がここでは明らかにされる。
 
朴は、侵略戦争の間に生じた軍功と恩賞をめぐって、明軍の中でも内部抗争が生じ、ひいては大規模な反乱へと発展した経緯の詳細を考察している。この章では、明軍による秀吉軍駆逐の様子が鮮明に描かれると同時に、褒賞の基準となる敵の首をめぐって、明朝の北軍と南軍の間で熾烈な内輪の戦いが繰り広げられた様子が描かれる。そこからは、必ずしも国家VS国家ではない戦争の一端を知ることができる。
 
久芳崇はこの侵略戦争中、明軍武将によって獲得された秀吉軍の鉄砲が、捕虜の日本兵と共に、四川省亳州で生じた播州之役/楊応龍の乱 (1594~1600) 鎮圧に利用された事実を明らかにする。戦争はその悲惨な実態もさることながら、ある種の文明交流の役割を果たしているという、普遍的で奇妙な事実の一例がそこで具体的に明らかにされる。
 
最後に米谷均論文は、日本の軍事行為の最中に掠奪されて日本へ連行された朝鮮人捕虜の送還に関するものである。この論文は日本語で既に刊行され、国際的にも優れた論文として評価されており、今回英語で刊行し、より多くの読者が利用可能になったという点で、大変有意義である。秀吉の死後、関ヶ原の合戦 (1600) を経て、日本の支配者となった徳川家康は、明や李氏朝鮮との講和に努めた。米谷の研究からは、対馬の宗氏が捕虜の送還に重要な役割を果たしていたことが分かる。それと同時に江戸時代初頭に日本に存在した朝鮮人捕虜の個人名や境遇なども詳細に明らかになる。近年ではこれらの朝鮮人捕虜が世界各地へと運ばれたことも知られるようになっており、地球上における秀吉が仕掛けた戦争の結果として生じた現象を知る上でも、非常に貴重な情報を提供している。
 
本書のイントロダクションには、この緒言とは別に、桃木至朗による「海からみた歴史」が日本の学校の歴史教育に果たし得る役割についての提言を主旨とする論文を加えた。桃木は日本の海域史研究を牽引してきた研究者の一人である。私も大学院生時代に、桃木が主宰する大阪大学の研究会に参加し、日本を外から見る歴史観の重要性を教わった。研究者として自分のアイデンティティが確立されていくプロセスにおいて、桃木の反骨精神を近くに見ていたおかげで、ナショナル・ヒストリーに埋没することなく済んだ。桃木は『海域アジア史研究入門』(岩波書店2008) の刊行を一つの区切りとして、海域アジア史研究を離れた。その後彼はグローバル・ヒストリーに若い研究者を誘う役割を担い、タコつぼ型の歴史研究の糾弾という刷新運動へと突き進んだ。海域アジア史研究が一つの研究分野、手法として日本で定着したのは、桃木の努力に負うところが大きい。しかしながら彼は安住を潔しとしないその性格からか、さらに険しい山、荒れた海へと進むことにしたように思える。それはすなわち、大学の歴史研究と一般や中学・高校で教えられる歴史の内容の乖離を埋めるという仕事であった。日本の歴史学一般と比較して、タコつぼ型の研究方法を用いないことを、多くの海域史研究者は自負している。しかしながらそれでも、研究者の中だけで分かり合えるような細かい事象のオモシロさへの執着を棄てることは難しい。すべての人文学の研究は、単なる「古典」の再解釈愛好であってはならない。人類社会のよりよい現在と未来に貢献することを意識しなければ、もはや学問としての価値はないとすら言える。人々が海を媒介に脈々とつないできた交流の歴史は、今こそ、現代の国際社会の成り立ちを再認識する上でのカギとなるのではなかろうか。
 

(紹介文執筆者: 情報学環 教授 岡 美穂子 / 2022)

本の目次

Introduction: The Meaning of the East Asian Maritime History—From a Japanese Perspective
Mihoko Oka
 
The Study of Maritime Asian History in Japanese Schools
Momoki Shiro
 
Picturing Actors on the Sea
 
Japanese Daimyōs as Sea Lords in the 15th and 16th Centuries: Their Involvement in the Japan–Ming Trade
Toshio Kage
 
The Origin of the Namban Trade: The Sea of Private Traders
Mihoko Oka
 
The Viceroy and the Portuguese: The Establishment of Ming Policy Toward Macao
James Fujitani
 
Edo Period Maps of the Old World: An Analysis on Their Textual Information of Ports and Trade
Akiyoshi Fujita
 
The Japanese Invasion of Korea
 
Another Altan Khan in Maritime Asia?: Controversies on the Revival of Sino–Japanese Tributary Trade During the Japanese Invasion of Korea
Gakusho Nakajima
 
Bloody Headcount: A Dispute Over Reward and the Mutiny of the Ming Southern Soldiers in the First Stage of the Korea War (1592–1595)
Wing Kin Puk
 
The Diffusion of Japanese Firearms in the Ming Dynasty at the End of the Sixteenth Century: From the Japanese Invasion of Korea to Yang Yinglong’s Revolt in Bozhou
Takashi Kuba
 
Repatriation of Korean Captives from Japan After Toyotomi’s Invasion
Hitoshi Yonetani
 

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