東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

白い表紙の中央に書籍名

書籍名

大日本近世史料 細川家史料二十七 細川忠利文書二十 公儀御書案文

判型など

382ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2022年4月4日

ISBN コード

978-4-13-093067-3

出版社

東京大学史料編纂所 (発行)、一般財団法人東京大学出版会 (発売)

出版社URL

書籍紹介ページ

学内図書館貸出状況(OPAC)

大日本近世史料 細川家史料二十七

英語版ページ指定

英語ページを見る

本書は、教員個人の著作ではない。東京大学の一部局が、19世紀から継続中の日本に関する史料研究・編纂・出版事業の成果物 (合計1,200冊以上) の1冊で、21世紀に書籍媒体 (紙の本) として出版された史料集である。
 
江戸時代前期の人が、和紙に筆と墨・崩し字で手書きして現代に伝存する文献史料をデジタル撮影し、担当教員2名 (日本近世史専攻) が読解、原稿作成、文書番号・文書名・校訂注 (底本の誤字脱字修正)・内容注 (人名・地名比定、かなで書かれた字句の漢字表記等)・説明注 (将軍徳川家光や主要人物の動向、事件、関係人物の死没等)・頭注 (本文記載内容の摘要) 付与、印刷所への入稿、校正 (写真・原本とゲラ (校正紙) との対比照合作業複数回) 等を進め、「例言」(史料群と底本、翻刻規則等についての解説文)・「目次」・「人名一覧」(記載された人名を50音順に配列し当該文書番号を挙げ、初出人物には説明文) も加えた。
 
原稿入稿から出版 (印刷・製本・納品) まで約1年の時間・工程と出版経費 (国の予算から国立大学法人東京大学へ措置され、史料編纂所に配分された運営費交付金が財源) とをかけ完成した。
 
国立国会図書館に納本し、一般財団法人東京大学出版会が販売、街やオンラインの書店で流通し、本学附属図書館や国内外の公共図書館・大学図書館等に配架されている (CiNii Research, WorldCat)。
 
以下、長くなるが5項目に分け、本書出版に至る経過・背景を含め詳しく解説する。
 
[1] 東京大学史料編纂所は、江戸時代の和学講談所の事業・蔵書・所在地 (東京麹町) 等を引き継ぎ、1869 (明治2) 年維新政府が設置した史料編輯国史校正局が前身で (明治天皇が直筆の文書を発し、政府首班三条実美を総裁に任命した)、事業・組織・人員の内閣から大学への移管や曲折を経、国内外に伝存する日本関係歴史史料 (文献・絵画等) の調査・研究と史料集出版による成果公開へ設置目的を転換し、1901 (明治34) 年から基幹的史料集の公刊を続けている (なお、第二次世界大戦下の困難 (徴兵・戦時予算・資源配分。印刷局受注力、交通・物流等)、史料疎開、戦後の予算不足で約10年間出版が中断し、その間に文学部附属施設から附置研究所となり、部局として独立した)。
 
[2] 『大日本近世史料』は、1953 (昭和28) 年3月に発刊された。日本の近世社会では、政治体制・社会組織・経済活動の変化に伴い、大量の史料が作成され、機能し、蓄積され、災害や戦乱・社会の変化を超えて現代に伝存している。史料編纂所では、近世史料に取り組むため1952 (昭和27) 年「第三研究部の在り方に就ての構想」を部長会議で審議・決定し (『東京大学史料編纂所史史料集』2001年、p289)、翌年「近世の主要な史料を編纂刊行する」本シリーズの公刊を開始した (第1回配本は、『上田藩村明細帳』上)。
 
史料編纂所の史料集のなかでは、遅く企画され、膨大な残存史料に限られた人員・予算で選択的に対応する事業を開拓し、維持継続し今日に至っている (明治時代からの「国史学」が古代・中世を重視して発足・展開した影響は大きく、史料編纂所や各大学の教員配置数にも及んでいる)。
 
[3] 「細川家史料」は、「旧肥後藩主細川家に伝来した文書竝に藩庁記録類」で (本書「例言」)、足利義輝、同義昭、織田信長、豊臣秀吉に仕え、山城国勝龍寺城主のち丹後国宮津城主細川藤孝 (幽斎)、紀伊・大和・丹後・小牧・九州・小田原・朝鮮半島・関ケ原合戦等に従軍し、徳川家康に仕え豊前小倉城主となった細川忠興 (三斎) に続き、十代から証人 (人質) として徳川秀忠に仕え、「忠」の偏諱 (名前の下の一字) を授けられ元服した細川忠利 (1586-1641、忠興三男、母は明智光秀の娘) の代にその基礎が形成された。
 
史料編纂所では、19世紀から細川侯爵家の文書や系譜史料の調査を続け、写本を作成して「史料稿本」・『大日本史料』・『史料綜覧』編纂に活用し、1950 (昭和25) 年設立の財団法人永青文庫草創期に、細川家熊本邸 (現在の熊本市北岡自然公園内) の複数棟の蔵 (現存しない) にあった史料の調査を開始し (山口啓二元教授 (1920-2013) の回想談によれば、背景には戦後の華族制度廃止、史料編纂所員山口・村井益男等の調査・保全への意欲、所蔵者の理解、藩政史・藩法研究高揚の潮流等があり、熊本大学が新設され (1949年)、現地保存も実現したという (1964年附属図書館寄託))、閲覧・調査・35mmマイクロフイルム (モノクロ) 撮影・写真帳編成を続け、2010年代以降はデジタル撮影に移行し、データ整理・蓄積・画像公開を進めつつある。
 
『大日本近世史料 細川家史料』は、1969 (昭和44) 年3月に発刊され、父細川忠興と子忠利間で授受された書状等が、計画的に翻刻・校注・刊行され続け、江戸幕府・幕藩体制成立期の細川父子が開拓した人脈から得た多様な記載情報が、同時代の一次史料として学界共有の財産となり、『大日本史料』第十二編の編纂や近世前期政治史・人物史ほか多方面の研究に活用されてきている (朝尾直弘「将軍政治の権力構造」(『岩波講座日本歴史10近世2』1975年)、山本博文『寛永時代』(吉川弘文館、1989年)、高木昭作『日本近世国家史の研究』(岩波書店、1990年)、藤井讓治『人物叢書 徳川家光』(吉川弘文館、1997年)、八田茂樹「細川家史料にみる近世大名の「食」に関する一考察」(『 熊本高等専門学校研究紀要』4、2012年) など)。
 
[4] 「細川忠利文書 公儀御書案文」は、熊本藩主細川忠利が、老中等の幕府役人・江戸城の女中・諸大名・旗本・諸公家・寺社・宇治茶師・商人等の諸方宛てに書状を発信した過程で、その案文を右筆 (ゆうひつ、物書ともいい、文書・記録を書く役人たち) が書き留め、冊子体で残された案紙集の総称である (ただし、大御所秀忠・将軍家光や天皇・上皇後水尾院等の上位者に宛て直接書状を発することは、身分制序列の厳格な当時、決してなかった)。大御所秀忠が他界し、将軍家光により豊前小倉を改め肥後熊本に移封された寛永9 (1632) 年の初頭から忠利が没した同18年3月途中までの分、計15冊の底本が現存する。
 
史料編纂所では、『大日本近世史料 細川家史料』十六「細川忠利文書」九 (1998年3月) から細川忠利の諸方宛て「公儀御書案文」の刊行を始め (山本博文・小宮木代良・松澤克行「刊行物紹介 大日本近世史料 細川家史料 十六」『東京大学史料編纂所報』33号、1999年3月)、同二十七「細川忠利文書」二十の本冊で、その完結を見た (2022年3月発行)。この間、底本以外の永青文庫所蔵史料に写された書状や、宛名方等に伝存する書状や忠利自筆書状等の原本・写真・写本の存在も意識して調査・編纂し (自筆の書状や江戸屋敷の息男光尚に預けた判紙で代理発信された書状は、「公儀御書案文」に残らない)、既刊分の人名比定の誤りを続刊巻末で訂正し続けている。既刊二十一・二十二・二十三・二十四・二十五冊等は、寛永14 (1637)・15年の島原天草一揆と原城攻略戦 (江戸・鎌倉から島原半島南端に急派された細川忠利・光尚父子指揮下の軍勢が攻め手の中核となった)、幕府の戦後処理に関する基本史料である。なお現在は、忠利の遺跡を継いだ光尚の諸方宛て書状案冊紙「公儀御案文」の翻刻公刊を続けている (『大日本近世史料 細川家史料』二十八・二十九)。

世界各地で文字が発明され、多様な文書が発信され残され、著名人 (日本中世以降の武将・天下人・大名・俳人、日本や世界の近現代政治家・作家・教育者等) の発信文書の原本や写しを選んで収集し、研究 (史料批判、読解、翻刻テキスト確定、年代・人名比定等) を加え、公刊した企画が多々あるが、発信者側で長期間作成された近世日本の良質・大量の文書案紙集も、重要な一次史料である (家康・秀忠・家光に仕えた臨済僧、以心崇伝の『本光国師日記』新訂刊本全7巻の自筆原本 (底本) 各冊表紙には、「案紙」と記されている。17世紀に作成されて伝存し、20世紀に公刊され、21世紀も活用される案紙集の典型例といえる)。
 
[5] 本書 (『大日本近世史料 細川家史料』二十七「細川忠利文書二十」) では、まず「公儀御書案文」等と題された冊子より寛永17 (1640) 年9月朔日から寛永18年3月13日までの細川忠利の江戸幕府老中・役人・諸大名等諸方宛書状案273件等を翻刻・校注した。寛永18年3月17日熊本で病没した忠利最晩年、最後の書状案集である。

つぎに、幕府年寄、老中等役人発の奉書を受信した忠利の請書案を「御奉書之御請之御案文」を底本に寛永11 (1634) 年2月朔日から寛永18年2月15日まで70件収録した。「公儀御書案文」とは別に仕立てられ、右筆が記録した案紙集で、寛永9・10年の請書は「公儀御書案文」本体に収録され、11年分は双方に重複して案文が留められ、以降別個の冊子に留められたものである。
 
忠利は、寛永17年6月以降肥後に在国しており、熊本で他界した。以下では、記載内容を絞って紹介する。詳細な解説は後掲の「出版報告」を、具体的な内容は実際に本書自体を一読願いたい。
 
寛永17年11月15日、尾張徳川家江戸本邸から出火した。将軍家光息女で尾張徳川家嫡男光友に嫁した千代姫 (当時家光の唯一人の実子) は、この時、春日局の手配で江戸城本丸に救出され、庇護されている (5999・6000号文書)。当時の上級領主の家では、血族による男系世襲相続が当然とされ (一夫多妻でもあった)、将軍家の娘は、特注品の道具・持参金や化粧料、奉仕者男女の人数を附され、嫁した後も生家の一員であり続け、経済的扶助や種々の配慮を終生受け、遺産相続・財産分与に預かった。
 
年来体調が優れなかった忠利は、農閑期に度々鷹狩をし (5917ほか本書前半)、寛永17年11月初頭、肥後山鹿で湯治するなど養生に努め (5963)、翌18年正月18日肥後八代城へ行き父忠興と会した (6023・15巻1407号)。その後に病状が悪化した。
 
症状は、2月23日附京都医師吉田浄元宛覚書案に詳述される (6052)。手足の痺れと萎え、舌のこわばり、発熱、頭痛、排泄障害、不眠に苦しみ、投薬を求め、右筆に書状を口述筆記させ、自らの手で在京の血族たちへの伝言依頼の追伸を加筆している。2月28日附では、幕府大老酒井忠勝に宛て江戸参勤が遅れる可能性がある旨を伝える (6053)。3月10日附書状案では、7日から下血し、10日までに36度に及ぶといい、吉田浄元に下向往診を求めた。右筆の仕上げた書状の日付下に花押(文字を図形化したサイン)を手で書くこともできなくなり、印判 (印章、判子) を捺して代用すると特記させている (6062・6063) (当時の書札礼=書翰作法で、花押のない印判状は、宛名への礼儀が薄いとされた)。
 
その後、忠利は、3月13日附で大坂町奉行久貝正敏に宛て「少験」を得たと称するが (6068)、系譜史料「綿考輯録」巻52所収「御煩之次第之覚」(高本慶宅子孫高本慶蔵家相伝) によれば、3月14日、医師高本慶宅の診脈を前に重篤となり、医師たちが手を尽くしたものの17日に絶命した (享年55)。
 
死の直前まで克明詳細な病状が、日々当人の発信した書状案紙に残り、重篤であっても江戸参勤に出立しようと表明する強い決意からは (6061~6070)、大名が将軍から課された参勤交代という奉公の責務の重みを痛感することができる。
 
なお、寛永17年6月13日の北海道駒ヶ岳噴火被害に関する記載にも注目されたい。蝦夷福山 (現在の福島郡松前町) に帰館・療養していた領主松前公広の同年9月9日附書状で忠利に詳しく報知され、忠利も公広から得た様相や自身の感想を諸方宛て書状で伝えている。本書および既刊分所収の書状群は、同時代の良質な史料であり、地震・火山活動の新たな歴史学の研究に活用されている。
 
本書は、史料原本所蔵者、公益財団法人永青文庫と寄託先、熊本大学附属図書館の理解も得、東京大学附置研究所が、半世紀以上担当者を配置・更新・養成して継続・蓄積している日本近世史料研究・編纂・出版事業の成果の一つである。
 
日本史・日本史学・近世史・江戸時代・大名の生活や文化・医学史などに関心を持たれる方々に、広くご一読願いたい。
 

(紹介文執筆者: 史料編纂所 教授 山口 和夫 / 2025)

本の目次

例言
目次
本文
 細川忠利文書20 
 「公儀御書案文」
  始:寛永17年 5798号 9月朔日 有馬直純宛書状案
  終:寛永18年 6070号 3月13日 柳生宗矩宛書状案
 「御奉書之御請之御案文」
  始:寛永11年 6071号 2月朔日 酒井忠世外二名宛請書案
  終:寛永18年 6140号 2月15日 松平信綱外二名宛請書案
人名一覧
奥付

関連情報

参照ウェブページ:
編纂(著作権者)・発行:東京大学史料編纂所
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/
発売:一般財団法人 東京大学出版会
https://www.utp.or.jp/book/b601077.html
史料原蔵者:公益財団法人 永青文庫
https://www.eiseibunko.com/
 
19世紀からの政府、東京大学の史料編纂事業についての解説付き史料集
東京大学史料編纂所編集・発行『東京大学史料編纂所史 史料集』 (2001年11月)
 
本書編纂担当者による出版報告文
山口和夫・林晃弘「『大日本近世史料 細川家史料 二十七』出版報告」 (『東京大学史料編纂所報』57号、p50-p51 2022年10月)
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/shoho0057/2021hensan.pdf#page=5
 
本書所収史料等による火山活動研究の成果
杉森玲子・前野深「史料からみた北海道駒ヶ岳1640 年噴火」 (『火山』 68巻2号、p59-p73 2023年6月) https://doi.org/10.18940/kazan.68.2_59
 
『大日本近世史料 細川家史料』(1969年発刊、2025年現在既刊29冊) 編纂担当者の一人の著書
山本博文『宮廷政治 江戸城における細川家の生き残り戦略』(角川新書、2021年9月、初出:『江戸城の宮廷政治 熊本藩細川忠興・忠利父子の往復書状』讀賣新聞社、1993年、のち講談社学術文庫、2004年)
 

このページを読んだ人は、こんなページも見ています