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書籍名

大日本史料 第十二編之六十三

判型など

490ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2023年4月28日

ISBN コード

978-4-13-090613-5

出版社

東京大学出版会

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大日本史料 第十二編之六十三

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『大日本史料』は、歴史上の重要事件を「綱文 (こうぶん)」と称する事件の概要をあらわす文章で示し、それに関連する史料を列挙した史料集である。典拠史料を収載した巨大な年表をイメージしてもらうとよいだろう。現在、平安時代中期から江戸時代初期までを第一編~第十二編に分けて編纂が進行中である。第六編之一と第十二編之一が刊行された1901年から現在まで、120年以上に亘って410冊余りが刊行されている。
 
第十二編は、徳川家康が征夷大将軍に任官した慶長八年 (1603) 年二月十二日から三代将軍徳川家光が死去した慶安四年 (1651) 四月二十日までの江戸時代初期を範囲とする。現在元和九年 (1623) を編纂中であり、本冊では三月二十一日条から五月十六日条までを収録した。以下に主な事件について紹介する。
 
元和九年は六月から閏八月にかけて徳川秀忠・家光の将軍父子が京都に滞在し、七月には家光が将軍職を襲う。すでに年初には諸大名の間でも将軍上洛の風聞があったが、二月に秀忠の甥でかつ婿に当たる越前北ノ庄城主松平忠直が幕府に対する不平分子として秀忠より隠居を命ぜられるという事件があり、内乱に発展する危惧もあったことからなかなか上洛日程は決まらなかった。忠直が豊後に配流されることが決まり、漸く四月十日になって翌月の後半に秀忠・家光が上洛することが諸大名に告げられた。それに合わせて五月十一日には上洛に供奉する者たちの守るべき規則も定められた。その他、今回の上洛に直接・間接に関連すると考えられる事件としては、四月七日には京都五山諸寺によって秀忠の誕生日の祈祷が行われ、四月二十二日からは将軍職継承の前提として秀忠から家光へ家臣が順次分与された。また四月二十八日には後陽成天皇の第五皇子大覚寺尊性が実兄の仁和寺覚深より灌頂を受けた。
 
本冊に収録した期間には、著名な人物としては三月二十一日に長門萩城主毛利秀就の家老である福原広俊、四月二十三日に北部九州の戦国大名であった筑紫広門、五月十六日に初代本因坊算砂が死去した。福原広俊は毛利氏の安芸吉田時代からの年寄を勤めた家系で、関ケ原戦後は徳川政権とのパイプ役として家の存続に尽くした。家康の信頼も厚く大名への取り立ての申し出もあったが、それを断って毛利家中に留まったとされる。筑紫広門は大友氏や島津氏といった有力大名に挟まれながらも豊臣秀吉に臣従することで大名として生き残ったが、関ケ原戦後に改易されて豊前小倉城主細川忠興・同忠利の食客として余生を送った。本因坊算砂は日蓮宗の僧侶で法名を日海と称したが、当代の囲碁の名手として有名で、現在まで続く本因坊の初代に数えられる。秀吉・家康の文化サロンに加わり、大名や公家たちとも広い交友関係があった。彼らの死去の事実を示す史料のみでなく、経歴や顕著な事績、人となりを窺い知ることのできる史料も収録したので、戦国末から江戸時代初頭の激動の時代を生き抜いた著名人の人生を史料で辿ってもらえれば幸いである。
 

(紹介文執筆者: 史料編纂所 准教授 及川 亘 / 2023)

本の目次

大日本史料
第十二編之六十三目次
  後水尾天皇
   元和九年
     三月
二十一日 安藝広島城主浅野長晟ノ江戸城天主台丁場ノ石塁崩ルヽニ依リ、
     幕府、長晟ヲシテ之ヲ修理セシム、是日、秀忠、其事成就スルヲ
     褒シ、長晟へ備前行光ノ刀ヲ与フ、
     長門萩城主毛利秀就ノ重臣福原広俊卒ス、
      毛利輝元ニ近仕シ、毛利家ノ年寄トナルコト等、
      関ケ原戦後、加判役トナリ、江戸ニ於イテ聞次ノ役ヲ務ムルコト等、
      広俊本人ノ身上ニ関スルコト、
      竝ニ毛利秀就ノ行儀ノコトニ就キテ毛利輝元ニ具申スルコト等、
二十七日 江戸小石川伝通院廓山〈正/誉〉ニ紫衣ノ永宣旨ヲ賜フ、
      筑後善導寺住持大通ニ紫衣ノ永宣旨ヲ賜フコト、
二十九日 萩原兼従ニ、日本書紀ノ侍読ヲ命ゼラル、
是  月 幕府、播磨明石城主小笠原忠真ニ帰国ノ暇ヲ與フ、
     四月
二  日 美濃揖斐城主西尾嘉教、卒ス、嗣無キニ依リ、幕府、其封ヲ除ク、
四  日 甲子待、
五  日 南都水屋社神楽ニ於イテ、奈良奉行中坊秀政配下ノ者ト大和郡山
     城主松平忠明家中ノ者、闘諍ス、
七  日 五山諸寺、秀忠ニ誕生疏ヲ進ム、是日、僧録ニ於イテ祈祷ヲ修ス、
八  日 山城知恩院法雲〈城/誉〉、諸檀林及ビ惣門中ノ掟ヲ定ム、
十  日 御本甲子秘記ヲ土御門泰重ニ貸与シ、革命・革令ノコトヲ勘申セシ
     メラル、
     秀忠、上洛ノ日程ヲ、諸大名ニ告グ、
      四月十日以前ノ秀忠上洛ノ風聞ノコト、
     豊前小倉城主細川忠利、小倉城廻リ土居・石垣ノ修理及ビ城下葦原
     ヲ埋立テヽ屋敷トスルコトヲ願ヒ、コノ日許サル、
十六日 陸奥刈田嶺噴火ス、
十八日 幕府、三河吉田城主松平忠利ニ帰国ノ暇ヲ與フ、
二十二日 秀忠、酒井忠世・阿部正次・伊丹康勝・戸田康長等ヲシテ、家光
     ニ附属セシム、
二十三日 旧筑後山下城主筑紫広門、豊前小倉ニ卒ス、
二十四日 日吉祭、
二十六日 秀忠、江戸城西丸腰掛所ノ制規十条ヲ定メテ、従者ノ非礼ヲ戒メ、
     又、大額・大撫付・下鬚及ビ太刀・大脇差・朱鞘等ヲ佩用スルヲ
     禁ズ、
二十七日 舞々御覧アリ、
      舞々与左衛門ノ受領ノコト、
二十八日 大覚寺尊性法親王、灌頂ヲ受け給フ、
     五月
二  日 京都二条室町、火災アリ、
     駿府城番松平康安、卒ス、子正朝、嗣グ、
十  日 秀忠、殿中諸番士ノ作法等ヲ戒飭ス、
     秀忠、阿波徳島城主蜂須賀千松〈忠/英〉ニ首服ヲ加ヘ、阿波守
     ニ任ジ、偏諱ヲ与ヘテ、忠鎮ト称セシム、尋デ、忠鎮、従四位下
     阿波守ニ任叙セラル、
十一日 秀忠、将ニ上洛セントスルニ依リ、供番ノ条規ヲ定ム、
十六日 初代本因坊算砂〈日/海〉、寂ス、
    (目次終)
 

関連情報

大日本史料・史料綜覧
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/dainihonshiryo_shiryosoran
 
書籍紹介 :
出版報告 (『東京大学史料編纂所報』第58号 pp. 55-58 2022年)
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/58

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