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白い表紙

書籍名

大日本史料 第二編之三十二

判型など

308ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2019年11月25日

ISBN コード

978-4-13-090082-9

出版社

東京大学出版会

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大日本史料 第二編之三十二

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『大日本史料』は、史料編纂所が編纂・刊行する日本史史料集の一つである。『日本書紀』に始まる六国史のあとを受け、仁和3年 (887) から慶応3年 (1867) にいたる980年を十六の編にわけて編纂するもので、現在は第十二編 (江戸時代初期) までが着手されている。
 
『大日本史料』は、事件や出来事を年月日順に整理し、その概要を「綱文 (こうぶん)」という簡潔な文章で表現し、「綱文」ごとにその論拠となる史料を列挙している。したがって、ある歴史事象を調べたいときは、それに関する綱文を見ていくことで、関連史料を一覧することができる。
 
第二編は、寛和2年 (986) の一条天皇の践祚から、応徳3年 (1086) の白河天皇譲位まで、いわゆる「摂関時代」と呼ばれる時代を担当する。本冊には長元5年 (1032) 4月から同年末までの出来事を収めた。時の天皇は藤原道長の外孫後一条天皇、関白は道長の長男頼通である。
 
第二編の担当時期における主要な史料は、貴族の日記である。宮廷の年中行事のみならず政務においても先例にならった手順や作法で行うことが重視されていたため、貴族たちは自らの備忘に加え先例を子孫に伝える目的で、政務や宮廷行事の様子、出来事を日記に記した。これらの日記を記主の地位や記述意図を勘案しつつ解読・分析し、政務運営のあり方や出来事の具体像を明らかにしていくことは、第二編の時代を研究する醍醐味の一つである。
 
長元5年には「賢人」と呼ばれた右大臣藤原実資の日記『小右記』、実務官人源経頼の日記『左経記』の記事があり、これらを中心とした史料から、この年は大旱魃であり、朝廷では祈雨のために内裏や諸寺社で大規模な祈祷や奉幣をひっきりなしに行ったことや、前年に出雲国司から杵築社 (現在の出雲大社) の倒壊や同社の託宣について報告があったため、天皇や朝廷は重く受け止めて対応を検討していたところ、社殿の倒壊も託宣も出雲国司のでっち上げだったことが判明するという大事件があったことなどがわかる。また、12月には富士山が噴火した。

『大日本史料』は、文学・宗教や美術等に関する史料も収録している。本冊では58頁にわたり、藤原公任 (966-1041) の撰述とされ長元五年の年紀が見える音義「大般若経字抄」を収めた。音義とは、特定の典籍の中から漢語を抄出し、発音や意味または和訓などを注記した書物で、言語学・国語学等における重要な資料である。
 
「大般若経字抄」では、たとえば大般若経第一巻にある「踝」を取り出して大書し、右側に小字で「音過」として音が「カ (クヮ)」であることを示し、下には小字で「ツフヽシ」と和訓を示す(この時代は「くるぶし」という訓ではなかった)。これらは音義史上重要な特徴ともされている。
 
こうした特徴を生かすため、文字の大きさやレイアウトを大胆に変え、原本の形態をできる限り再現した。ぜひ手に取り、平安時代の人々の言語世界を覗いてみてほしい。

 

(紹介文執筆者: 史料編纂所 准教授 伴瀬 明美 / 2020)

本の目次

(本書の目次は綱文の一覧となるため全部は掲出できないが、最初の1ヶ月は下記のようになる)
 
 後一条天皇
  長元五年
四月
一日 旬平座、
三日 政、請印、
   禎子内親王、御産ニ依リテ、少納言藤原義通ノ中御門宅ニ遷リ給フ、
四日 広瀬・龍田祭、
   関白左大臣藤原頼通、堀河第ニ移徙ス、
七日 擬階奏、
八日 平野祭、
上東門院御灌仏、
九日 梅宮祭、
   陣申文、
十一日 政、請印、
十七日 位記并ニ成選位記請印、
二十一日 賀茂祭、
二十二日 大風ニ依リテ、宇佐八幡宮ノ神殿等、顚倒ス、
二十三日 関白左大臣藤原頼通、賀茂社ニ詣ス、
二十四日 吉田祭、
     雷公祭ヲ行フ、
二十五日 賀茂斎院馨子内親王、初斎院ニ入御アラセラル、
二十七日 御悩ニ依リテ、三壇御修法及ビ大般若経并ニ法華経不断御読経ヲ行フ、
二十八日 丹生・貴布祢両社ニ奉幣シテ、雨ヲ祈ラシム、
是月 陽明門ヲ修造ス、
 

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