日本では中学生の頃から、モンテスキューは『法の精神』の作者で「三権分立」の思想家、ルソーは『社会契約論』の作者で「人民主権」を唱えた思想家と覚え込まされる。本書はなにより、そんな教科書的通念に抗ってモンテスキュー、ルソー、ディドロらの政治的著作を丹念に読み、その政治的・哲学的な意義を再考しようとする書物である。
本書が焦点を合わせるのは、啓蒙の哲学者たちの著作にくりかえし登場する「立法者」の形象だ。ここで言う「立法者」とは、古代ギリシア・ローマ以来、人民に法秩序 (ノモス) を与えることによって、人民とともに政治共同体 (ポリス) を創設し、政治共同体の歴史を創始する神話的人物を指す。啓蒙の哲学者たちは、この「立法者」に対して、きわめて両義的な態度をとった。彼らはいずれも、政治共同体の創設や再創設にあたって「立法者」を必要不可欠なものとみなしながら、同時に「立法者」が専制的権力を振るい、法秩序そのものをないがしろにする危険に警戒を怠らなかったからである。
その背景には、ルイ14世の治世のあと、18世紀フランスの哲学者たちが絶対君主政に対して抱いた根強い不信があった。そのとき、絶対君主政の最大の理論家ホッブズが、彼らにとって最大の先行者にして論敵として現れたのも当然だろう。ホッブズは、自然状態を戦争状態とみなす仮説から出発し、構成員相互の契約 (協約) と構成員各人の自然権の第三者への移譲によって、国家主権を基礎づけたのだから。ホッブズにおいては主権者 (君主) こそが、絶対的立法者として戦争状態に終止符を打ち、人民の上に君臨する。これに対して啓蒙の哲学者たちは、このホッブズの主権者がもつ絶対性を、その主権者に服従する人民との相対的な関係のなかに置き直そうとしたのだ。
だからこそ、啓蒙の哲学者たちはいずれもホッブズの自然状態=戦争状態の仮説の批判から始めて、法とは何か、そして政治共同体とは何かを問うことになった。その際、彼らに一貫するのは、支配 / 服従、統治 / 被統治という垂直的な関係に先立って、政治共同体の構成員の相互的・水平的関係が存在するという認識である。政治的で垂直的な関係は、その相互的・水平的関係から出発してそこに立ち返る回路の一環にすぎない。政治共同体が自己自身を維持するために自己自身に関係し、自己自身を統御する「政治的自律」の回路の一環である。この「政治的自律」の特権的手段が「法律」であり、その「法律」を創設する媒介とも触媒ともなるのが「立法者」である。だからこそ、フランス啓蒙の哲学者たちは「立法者」を、政治的自律の回路を創設し、新たな歴史のサイクルを開始すると同時に、政治共同体の外へ、あるいは歴史過程のなかへと「消え去る」べき存在として位置づけることにもなった。
以上が本書を貫く啓蒙の政治思想についての基本的な見取り図である。けれども本書の読者は、この見取り図が、モンテスキューの『法の精神』から、ルソーの『人間不平等起源論』と『政治経済論』、そして『百科全書』の項目「自然法」のディドロと『社会契約論 ジュネーヴ草稿』のルソーの対決を経て、最終的にルソーの『社会契約論』へと至る、本書の展開を通じて、どれほどの変貌を見せるかを目の当たりにするだろう。そもそも、「立法者こそが国民の〔一般〕精神にしたがわねばならない」と言うモンテスキューにとって、「立法者」は統治者であり、所与の政治共同体から出発して、歴史の因果連関に沿って働き、その歴史の過程のなかに「消え去る」べき存在だった。これに対し、ルソーが『社会契約論』で語る「立法者」は、先行する「社会契約」とともに、あくまで一切の「事実」の手前に位置づけられる「権利上」の存在であり、その任務は、国制に由来する一切の権限もなしに、主権者人民の「一般意志」を人民に適うように導き、自身が起草する法案への合意を獲得することにあるとされる。しかもその「立法者」が真の「立法者」であったか否かは、数世紀の後、当の「立法者」が残した法律の下に人民が存在し続けるか否かにかかっているというのだ。
本書の読解によれば、ルソーにおいては、歴史の手前に置かれた「社会契約」と「立法者」こそが、現に存在する統治体制の下に、あるいはその終局に、主権者人民の「一般意志」の出現を展望することを許す。そこには、ルソーがモンテスキューに対して働いた理論的転倒の帰結が認められるのだが、本書の核心をなすこのモンテスキューとルソーの関係については、ぜひ、読者自身で本書の長大な叙述を検討してみていただきたい。この書物が、一人でも多くの読者に、啓蒙の哲学者たちの著作をみずから読み直すきっかけとなることを願っている。
なお、本書の末尾には、ディドロの政治思想を論じる続巻の予告として、レナル / ディドロの『両インド史』のイエズス会パラグアイ布教区論が置かれている。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 王寺 賢太 / 2023)
本の目次
序 章 フランス啓蒙における立法者論の問題設定――政治と歴史のあいだ
1 立法者の孤独――創設のアポリア
2 歴史のなかの立法者――「18世紀フランス」というコンテクスト
3 「消え去る立法者」の理論的布置――「自然状態」からの分岐
4 本書の構成
第1篇 モンテスキュー ――『法の精神』
I 統治という回路――『法の精神』における法律・政体・歴史
1 モンテスキューの位置
2 法とその諸関係――『法の精神』第1篇
3 政体の原理・一般精神・習俗
II 一種の革命家――フランス中世法制史とモンテスキューの立法者論
1 『法の精神』第6部へのイントロダクション
2 簒奪なき諸革命――『法の精神』第30篇・第31篇
3 「新しい姿への変身」――『法の精神』第27篇・第28篇
第2篇 ルソー ――『人間不平等起源論』から『社会契約論』へ
III 自然状態からの飛躍と反転――『人間不平等起源論』における歴史批判
1 モンテスキューからルソーへ
2 「汝自身を知れ」――ホッブズとモンテスキューの回顧的錯覚の批判
3 「純粋自然状態」――社会の零度、歴史の零度
4 断絶と飛躍――脱自然化の過程
5 悪循環――契約ならぬ契約とその帰結
IV 主権論への転回、法の存立条件への遡行――『政治経済論』から『ジュネーヴ草稿』へ
1 民主政モデルから主権論へ――『政治経済論』
2 「暴力的な推論家」の審判――『百科全書』項目「自然法」におけるディドロの一般意志論
3 「独立人」と法の存立条件への遡行――『ジュネーヴ草稿』のディドロ批判
V 社会契約への遡行、社会契約からの反復――『社会契約論』における立法者論の転倒とその帰結
1 「われわれ」という発話――『社会契約論』第1篇
2 ルソーの消え去る立法者――『社会契約論』第2篇
3 法律に服従する人民――『社会契約論』第3篇
4 政治体と歴史――『社会契約論』第4篇
終 章 消え去る理想郷—— モンテスキューとルソーからディドロへ
1 ディドロと同時代の政治
2 イエズス会パラグアイ布教区をめぐる論争
3 神権政と共有財産制の理想郷?
4 裁かれる立法者たち
5 「立法」から「文明化」へ
注
あとがき
参照文献
略号一覧
関連情報
遠藤乾 評「読書委員が選ぶ『2023年の3冊』」 (読売新聞 2023年12月24日)
https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/reviews/20231225-OYT8T50104/
稲葉振一郎 評「『消え去る立法者』合評会 ( [2023年] 9月9日、慶応義塾大学三田キャンパス) を終えて」および「(続)」、「(続々)」 (shinichiroinaba's blog 2023年9月11日、9月12日9月14日)
https://shinichiroinaba.hatenablog.com/entry/2023/09/11/170656
https://shinichiroinaba.hatenablog.com/entry/2023/09/12/211114
https://shinichiroinaba.hatenablog.com/entry/2023/09/14/102706
淵田仁 評「時間と言語の政治学」 (日本ヴァレリー研究会ブログ 2023年7月12日)
https://www.paul-valery-japon.com/post/%E8%A8%80%E8%AA%9E%E3%81%A8%E6%99%82%E9%96%93%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AD%A6%EF%BC%9A%E7%8E%8B%E5%AF%BA%E8%B3%A2%E5%A4%AA%E3%80%8E%E6%B6%88%E3%81%88%E5%8E%BB%E3%82%8B%E7%AB%8B%E6%B3%95%E8%80%85%E3%80%8F%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80-%E6%B7%B5%E7%94%B0%E4%BB%81
遠藤乾 評「「統治」論争――古典に切り込む」 (読売新聞 2023年5月28日)
https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/review/20230529-OYT8T50038/
三牧聖子 評「暴君に堕さぬための覚悟」 (朝日新聞 2023年4月22日)
https://book.asahi.com/article/14890925
王寺賢太×仲正昌樹、書評と応答:
仲正昌樹 評「思想史研究書を読む醍醐味」 (『週刊読書人』3492号 2023年6月9日)
https://jinnet.dokushojin.com/blogs/news/20230609?_pos=1&_sid=4de07395c&_ss=r
王寺賢太「『消え去る立法者のために』――仲正昌樹氏の書評に応答する」 (『週刊読書人』第3497号 2023年7月14日)
https://jinnet.dokushojin.com/blogs/news/20230714?_pos=1&_sid=02bbdb456&_ss=r
仲正昌樹「混在する「言語行為」という用語――王寺賢太氏“応答”への“応答”」 (『週刊読書人』3499号 2023年7月28日)
https://jinnet.dokushojin.com/blogs/news/20230728?_pos=1&_sid=0ecace26c&_ss=r
王寺賢太「再び『消え去る立法者』のために――仲正昌樹への再応答」 (『週刊読書人』3501号 2023年8月11日)
https://jinnet.dokushojin.com/blogs/news/20230811?_pos=1&_sid=fc4505480&_ss=r
仲正昌樹「完璧を目指す思想家と矛盾を自覚する思想家——王寺賢太への再々応答」 (『週刊読書人』3503号 2023年8月25日)
https://jinnet.dokushojin.com/blogs/news/20230825?_pos=1&_sid=d21ece6ca&_ss=r
著者インタビュー :
混沌の先に2024「18世紀の啓蒙思想に学ぶこと 王寺賢太・東大教授に聞く」 (朝日新聞 2024年2月2日)
https://www.asahi.com/articles/DA3S15853849.html
公開合評会:
【映像】評者: 森川輝一・小泉義之・佐藤淳二、応答: 王寺賢太 (京都大学人文科学研究所 2023年10月22日)
https://www.youtube.com/watch?v=WOLFfN6kbpY
慶應義塾大学三田キャンパス 2023年9月9日
https://www.l.u-tokyo.ac.jp/futsubun/news/wp-content/uploads/2023/08/30bccc82080e9df3e6bebd654014b8c3.pdf