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フェミニズムとクィアから見る多様性 ダイバーシティ&インクルージョン研究 04

掲載日:2021年11月1日

このシリーズでは、様々な観点からダイバーシティ&インクルージョンに関連する研究を行っている東京大学の研究者を紹介していきます。

総合文化研究科 教授 清水晶子

―― 東大の学部時代は英文学、シェイクスピアを勉強されていたそうですね。どんな経緯でフェミニズムやジェンダーの研究に進まれたのでしょうか。

私が大学にいた頃の1990年代のシェイクスピア研究は、英文学研究の中でも一番ジェンダーやセクシュアリティの話がしやすい領域の一つでした。特に英語圏にはフェミニストのシェイクスピア研究者や、ゲイ・スタディーズとシェイクスピアの有名な専門家がたくさんいて、純粋に面白かったんですね。今まで聞いたこともないような議論や観点がたくさん出てくるところでした。私自身がシェイクスピアを面白いと思うところが、ジェンダーやセクシュアリティに関する議論と呼応する部分だというのは、最初からありました。ただ、それをどう面白いと言ったらいいのか分かっていなかったのが、いろんな論文を読んでいくうちにわかっていったんですね。

学部の卒論は「十二夜」について書きました。シェイクスピア時代には女優ではなく少年俳優と大人の男性俳優が男女を演じていました。主人公の女性が男装して、自分の好きな男が他の女に恋文を出したりするのを手伝ったりします。その過程でその好きな男が片想いをしている相手が彼女を男性だと思って好きになってしまったりする。ある意味では男と女の話なのですが、かといって異性愛というのとも違うところや、周りの男性から男として見られることで彼女自身の行動の選択の幅が変わり、それが彼女を取り巻く恋愛関係に影響していくところなど、とても面白い作品です。

そのまま東大で英文学修士を取ったあと、もっとはっきりとフェミニズムの基本を勉強したいと思い、イギリスのカーディフ大学に留学しました。当時カーディフでは、私もたくさん論文を読んでいた、とても有名なフェミニストのシェイクスピア研究者が「文化・批評理論センター」の所長をしていて、女の人が組織のトップなのもカッコいいなと思ったんです。そこでセクシュアル・ポリティックスの修士号を取り、さらに博士課程に進みました。

―― 今は何を主に研究されているのですか?

昨年開室した駒場キャンパスセイファー・スペースにて。現在はオンラインでの活動が中心だが、2022年4月からは、ジェンダーやセクシュアリティ学に関心のある学生が気軽に立ち寄れる場所にしたいと話す

ずっと興味を持ってきたのは身体の話です。大学の時、自分が摂食障害でもあり、社会学や心理学からのアプローチもあるかと思いますが、私は違う面に関心を持っていました。周りから見られている自分の身体と、自分が感じている、あるいは自分がこうであってほしいと思う自分のあり方は、普通は一致しないですよね。女性の場合特に、身体に関してのある種の社会的、文化的な要請が非常に強く、それに合致するかどうかが、サバイバル(生存)に関わってくるところがあります。あるいはそう思わされるところがある。自分とは絶対一致しない理想像に近づかないと生きていけない、そのギャップを自分が生き延びられるような形でどう調整していくことができるかにすごく興味があります。

ただ、留学から日本に帰ってきた当時、日本はフェミニズム運動に対するバックラッシュ(揺り戻し)が酷い時代に入っていた。日本の状況を何も知らずに留学し、シェイクスピアよりフェミニズムの方が好きだと思って転向して博士号を取って、これからこの分野を研究しようと思って帰ってきたら、日本では保守系の政治家が「ジェンダー」という言葉自体を使っちゃいけないとか言い出していたのです。上野千鶴子先生とか大沢真理先生(二人とも東大名誉教授)のような方たちの功績はもちろん大きかったとはいえ、日本では大学教育の場でのフェミニズムの広がりは十分なものではなかった。英語圏のフェミニズムとかジェンダー学とかの話が断片的に伝えられることはあっても、政治的・思想的な潮流や、社会的な背景など、基本的なことをある程度まとめて教わる機会がない。そのため、私の場合、研究よりもまずそういうところを伝えていかなければいけない、という気持ちの方が強い形で、キャリアが始まっています。

―― 基本的な内容とは、19世紀末から20世紀前半に高まった女性参政権運動を指す第1波から現在進行中の#MeTooに代表されるような第4波までの世界のフェミニズムの歴史なども含まれますか?

含まれますね。私が大学院で指導している院生たちは自分ですごく頑張って勉強してきた人が多いですけれど、でも普通に考えて、自分の大学に先生が一人いた、あるいは授業が一つあるという状態では、全体像は見えない。そこは学部の頃から自分一人で勉強していくしかない、ということが多い状況、若い研究者が手探りで勉強して巣立っていくしかないような状況が、私の頃から30年間続いています。それは非常に問題だと思います。

そういう状況を少しでも改善する方向で、東大の前期教養課程では、今年度から、ジェンダー・セクシュアリティ論系の選択科目の授業を2つから4つに増やしました。日本では、セクシャル・マイノリティ、フェミニズム、クィアスタディーズ(多様な性を関連づけて考察する学問分野)を勉強したいと思っても、1、2年生のときに蓄積できるものがすごく少ない。そのことが、日本でジェンダーやダイバーシティ問題を組み入れた形での研究をやりにくくしていると思うんです。専門で研究するか、何にも知らないかの二択しかない。それは日本の大学教育の弱いところだと思うので、少しずつ底上げしていければと思っています。

ダイバーシティ関連でいえば、障害を持つ人、在住外国人、民族的なマイノリティなどの問題についても、個別の先生方が扱っていらっしゃることはあっても、必ず授業が行われるような体制にはなっていません。市民運動にアクティビストとして加わったり、ウェブメディアなどに入って運動を盛り上げたりしている人たちの中に、大学でその分野の教育を受けた人たちがもっといても良いと思うんですね。大学教育を自分たちの経験とつなぎ合わせて広げていくような人たち。日本の大学はそういう人たちをまだ十分には輩出していないと思いますし、社会にもそうした人たちの活躍の場がまだ少ないと感じています。でも、活躍の場が少ないから大学も力を入れないという悪循環に陥っていてもダメなので、そこを変えないといけないと思います。

1912年、ニューヨーク市の街頭で「女性に参政権を」と書かれたタスキを身にまといデモ行進する女性たち  写真クレジット:American Press Association, copyright claimant, Public domain, via Wikimedia Commons
2019年、ニューヨークで行われた「クィア解放マーチ」の様子  
写真クレジット:Freeman Studio, Sydney, Public domain, via Wikimedia Commons

―― 大学で授業をするときに心がけていることはありますか?

ジェンダーやセクシュアリティに関していえば、東大で一番多い学生の層は多分、異性愛の、シスジェンダー(性自認と生まれたときに割り当てられた性別が一致している人、トランスジェンダーの対義語)の男子たちです。その層に向けて話をすることはすごく大事ですが、それだけだと、マイノリティの学生は結局いつも「話題」として出てくるだけで、想定されたオーディエンス、想定された学生からは外れてしまうことになる。ですから、私の授業では、ちょっと趣向を変えて、マイノリティの学生を最初のオーディエンスとして設定するようにします。例えば「男子学生のみんなはこういう経験があるよね、女性はまた別かもしれないけれど」ではなく、「女子学生の/同性愛者の/トランスのみなさんにはこういう経験があるよね、男子は/異性愛者は/シスジェンダーの人たちはちょっと違うかもしれないけれども」という感じ、でしょうか。

それとも関連するのですが、もちろん学生の中には、セクシュアル・マイノリティまたはジェンダー・マイノリティの当事者もいますし、自分の恋人や友人や家族が当事者だという学生もいることは、常に念頭に置いています。その時、研究者が知っていることと、個別の状況の中で当事者が知っていることとは、違うこともありえるわけです。私は学術的な蓄積や歴史的な経緯などについては話せるけれど、当事者、あるいは当事者に近い学生の方が詳しいというような事柄も当然ある。ですから、基本的には「皆さんが知らないことを教えてあげる」のではなく、「皆さんの中には私よりわかってる人もいますよね」という感覚で臨んでいます。

 

取材日: 2021年8月12日
取材・文/小竹朝子
撮影/ロワン・メーラー

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