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座談会・東大140年、回顧と展望 |広報誌「淡青」36号より

掲載日:2018年7月18日

東大140年、回顧と展望

消えた「大学」、大学と身分闘争、ディシプリンと組織、空間としての東大、掛け算の歴史……

 

2027年に150周年を迎える東京大学では、すでに150年史編纂の構想が動き始めています。このほど、本学の歴史に詳しい佐藤先生の呼びかけで、大学の歴史に一家言持つ5人の論客が文学部図書室に集結。過去の140年をどう捉えるか、150年史のあるべき形、一つの節目を越えた東大の将来像という3つのお題を念頭に置きながら、しばし座談に興じました。

  • 佐藤●加藤先生は昨年10月の140周年記念講演会に登壇され、「東大の歴史 日本の歴史」という、たいへん興味深い題名で講演されました。
  • 加藤●東大のルーツをたどると「大学本校」「大学南校」「大学東校」※1が出てきますが、「本校」は途中で消えています。昌平学校を継承し国学と漢学を担っていた組織が1877年の東大創設時に消え、洋学中心の南校・開成学校を継いだ法・理・文3学部の和漢文学科に縮減されてしまう。明治政府の判断は、天皇を政治から離し、神格化することでした。後にバランスを考える元老がいなくなった瞬間、天皇の神格化が進み、日本は帝国主義の道をたどります。国家も東大の学問もそれで毀損された。近代日本が負ったものを国家須要の学問を行う大学が担ったという歴史を忘れてはいけない、という意味での題名付けでした。150周年の際には東大の起源をどこに置くかも含めて書くべきだという思いもこめました。
佐藤教授写真

佐藤健二 Kenji Sato
人文社会系研究科教授(研究科長)。歴史社会学。著書に『浅草公園 凌雲閣十二階』(弘文堂)、『柳田国男の歴史社会学』(せりか書房)ほか。

分野の選択には身分闘争の面も

  • 橋本●国家と大学の話で私が思い起こすのは、東大紛争の際、大学解体、反大学が唱えられたことです。明治百年のタイミングで、東大の帝国主義的な体質を全共闘側が問いかけたわけです。我が国初の大学が国家とどう向き合うかというと、やはり国を担がざるをえない部分はあった。しかしそれに対する自己反省はやはり必要だったろうと思います。国を代表しつつ、東大が担わなかった分野もあります。他大にある福祉学部などは東大には生まれませんでした。東大には、近代学術のコアになる分野を担ってきた反面、そぎ落としてきた部分もあり、その選択には国家や大学の意志が働いていた。そこに教員の身分闘争の面があったことも見逃せません。たとえば、大学東校が担っていた医学は、武士には遠い分野でした。東大に医学部が入ることで医師や医学の地位が上がるという側面があったように思います。国学と漢学の話も、そうした文脈上にあったのかもしれません。
  • 藤井●身分の話でいうと、東京大学では卒業生全員が学士号をもらえたのに、工部大学校では優等生だけがもらえました。工学部の前身の一つである工部大学校は階層が低かった。創設時からある法・理・文・医は地位が高く、後から加わった工や農は少し下、という感覚が学内にはあったと思います。「身分」というと語弊がありますが、東大では各学部の力が大きく、いまも総合大学になりきれていない部分がありますね。東日本大震災後の授業再開時期を決める際に顕著でしたし、先日、学外の人に、授業の始業時刻が全学で揃ったという話をしたら、「なにを今さら? 」と大笑いされました。
  • 橋本●これだけカリキュラムの運用がバラバラな大学も珍しいでしょうね。
  • 宇野●台風の日には特に感じます。他大学だと本部が授業の有無を判断してホームページで一斉通知しますが、東大は学部ごとに対応が違います。
  • 佐藤●秦の故事をみても、「帝国」には暦と貨幣と度量衡の統一は不可欠なんですけどね。分科大学の連合でしたからね。
  • 橋本●ディシプリンの点では、学部はがっちり固め、新しい分野はそれ以外で担うという傾向が東大にはあると思います。
  • 藤井●学部はずっと10前後のままですが、全学センター※2や機構は数多く生まれてきましたね。
  • 宇野●東大は文明の配電盤として発達した、と言われますが、西洋学問の輸入にばかり強調点が置かれてきたのは、少し偏った理解でしょう。江戸時代の学問といえば朱子学や陽明学、対抗して荻生徂徠らの儒学が発展し、多様な学問が展開した後に明治維新がありました。苅部直※3さんが指摘するように、文明の素地が江戸時代にあったからこそ西洋の学問を受け入れられたはずです。思うに、近代国家に役立つ存在というイメージだけで大学を語るのは時代に合いません。たとえば社会科学と人文学という区別は19世紀的ですが、こうした分類自体が現在まで固定化されています。これまで研究所、全学センターや機構を増やすことで対応してきましたが、学部の構成は基本的に変わっていません。伝統を大切にしたい反面、ある時代の枠組みが固定化しすぎるのはよくない気がします。
  • 佐藤●文学部でいうと、ディシプリンの再生産は研究室を抜きに語れません。明治30年代に留学から戻った人たちが土台をつくった。いまも、組織・制度としては未整備ですが、実質は講義が行われる教室ではなく、学生と教員が交流し、参考図書を備えた研究室が専門分野を支える構造が大正期には明確につくられました。では法学部では? あるいは工学部ではどうか? 各部局の構造の存立の事情をたどると面白いでしょうね。
  • 橋本●明治30年頃までは、どの学部でも教員には行政官の意識が強かったはずです。講座制ができ、俸給制の適正化もあって、自分の学問分野に責任を持つという意識が生じました。大学教授という身分意識の誕生、研究室体制の確立、ディシプリン再生産の機運の高まりはパラレルだったでしょう。

歴史を書きたくなる画期とは?

  • 加藤●私は、いつ書きたくなるか、から年史を問いたいと思います。何か画期をなすことがあったときに人は歴史を書こうと思い立ちます。法人化の失敗も可能性も描けることこそが、150年史を書こうと動き出したいまを表す画期なのかもと思うのです。私見ですが……。
  • 佐藤●100年史※4編纂を機に大学史史料室(現・文書館)ができましたが、150年史の編纂はどういう形で資料を共有し残すか。電子的な技術を活用しながら大学史をどう考えていけるかは、研究基盤をどう支えるかにもつながるでしょう。
  • 宇野●50年史、100年史の頃は、過去が失われてしまうことへの危機意識があったのでしょう。150年史ではAIの影響が大きい気がします。近代日本の何を継承して世界に開くか。それを考えるのが150年史のタイミングだと思います。
  • 藤井●工学部の学科は100年史の後に大きく変化しました。造船のように消失した学科がある一方、生命工学のように新設された学科もある。産業構造の変化や企業の需要に応じた部分もあります。150年史では、制度的な学科史よりもむしろ、どういう研究がされたのか、社会と研究がどう関わってきたかを書いたほうがよいのではないかと思います。たとえば理系では各専門でディシプリンを支える基本技術があります。生命工学なら、血液を扱う際にどの大きさの穴を通せばいいか、というろ過膜の技術でしょうか。その膜の開発が関連する研究や連携する社会をすべて変えてしまう。こういう技術がどの分野にもある。それらを継承せずにAIに移行するのは危険です。AIに何ができて何ができないのかを、学部教育から意識させたい。たとえば机をつくるにはどういう材料でどう組み合わせるか。電気が全く使えない世界でどうするか。足元を知らずに頭上の部分を知るだけではまずい。基本技術と先端技術は共存しているのです。
加藤教授写真

加藤陽子 Yoko Kato
人文社会系研究科教授。日本近現代史。著書に『戦争まで』(朝日出版社)、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)ほか。

  • 加藤●私は人間が書かれなければいけないと思っています。東大の研究者の列伝を皆で書き加えていくイメージを温めています。興味を持つ人が自由に閲覧できるよう知を集めて公開する。たとえば台湾の人は日本語ができなくても漢字をたどれば大部分の意味はわかります。文系のアジア圏への発信では、日本語で粗々でも出す意味が大きいと思います。
  • 佐藤●100年史は通史と部局史と参考資料という3 部構成でしたが、150年史ワーキンググループではテーマ史という領域を検討しています。以前に日立の社史を調べたら、鉱山の坑道で必要な掘削や運搬や照明などの技術を自前で開発し修理製造しているうちに、エレベーターや新幹線、造船からコンピュータ、家電も原発も様々な機器を生みだす巨大な会社連合ができていました。電力という力がどんなモノを通じて、いかに社会と人間の生活を変革していったかが、ひとつの「企業」の歴史から見えて面白かったんです。東大ならばそういう切り口で近代の大学の歴史を語れるかもしれません。。
  • 橋本●いいですね。読者はどう設定しますか。本は売れたほうがいいですよね。
  • 佐藤●家具として飾るだけの本ではもったいないですね。理想は若い人が大学で学ぶ価値を感じられる本、でしょうか。
  • 宇野●研究者がこれまでの学術を振り返るための基礎資料と、東大の学術を世間に知ってもらうための読み物という、その両方を狙っていいのでは。
  • 加藤●憧れも大事ですよ。漱石の三四郎にしろ、鴎外の『雁』の医学生にしろ、東大人が素敵な存在として語られていました。未来に向けて憧れが感じられるコンテンツを加えたい。ろ過膜のような技術は、たとえばノーベル賞の研究も支えていますよね。研究を支えることの価値も憧れに結びつくかもしれません。
  • 藤井●ノーベル賞をもらうのは一人ですが、その候補は毎年10人ほどいます。同水準の研究がそれだけあり、その人を支える人が周りに多数いる。大学はそういう場でもあることを発信したらいいと思います。面白い研究はたくさんあるのに、学外にうまく見えていない気がします。
  • 加藤●日本史学には100人ほど学生・院生がいますが、彼らの意欲を支えるのは主に有期雇用の副手です。文理を問わずかもしれませんが、研究の現場を支える彼・彼女らの役割は実は非常に大きい。そこに光をあてて誰か書いたら……。
藤井教授写真

藤井恵介 Keisuke Fujii
工学系研究科教授。建築史。共著に『日本建築様式史』(美術出版社)、『建築の歴史』(中公文庫)、『関野貞アジア踏査』(東京大学総合研究博物館)ほか。

大学の場の力が知を発展させた

  • 宇野●高校生に訴えるのはスター研究者でしょうが、学問の深みを伝えるにはその周辺に目を向けるのもいいかもしれません。大学では、場の力が知を維持し、発展させてきた側面が大きいですから。
  • 橋本●たしかに各学部や研究室で継承するディシプリンをどう拡大再生産していくかが、これまでの年史でうまく言語化されていない気がします。
  • 佐藤●たとえば文学部学友会の『会報』など、研究室を基盤に編集され、そうした情報を伝えていた冊子はたくさんあったはずですが、狭い範囲だけでしか共有されなかった。これを期に学内でアーカイブするため、卒業生への呼びかけも必要です。
  • 加藤●評価という点でいうと、卒業生にも昨今の大学ランキングに忸怩たる思いを持つ人は多いと思います。比較の中で自らを捉えるという視点はこれまでの東大にあったのでしょうか。
  • 佐藤●いまは国際比較が盛んですが、明治の頃は少なくとも数値には関心がなかったでしょうね。
  • 藤井●理系では、1970年代にポスドクとして国内より進んだ外国に行くのが普通になりました。いまは外に出なくても足りるし、外から研究員や留学生がやってくる。工学部も中国人留学生がかなり多いですが、彼らが皆帰国して活躍するとしたら、東大は博士号を与えて返すサービス業をやっているようです。
  • 宇野●東大で優秀に育てた後、日本でも活躍してもらえるといいんですけどね。ランキングが下がり、優秀な留学生は博士号を与えて返すだけでは二重の意味で敗けです。ただ、希望もあります。私の演習には中国や韓国からの留学生が参加してくれますが、日本の学生が関心を持たない日本の過去の学問の歴史に興味をもって研究してくれる人が多いのです。
橋本教授写真

橋本鉱市 Koichi Hashimoto
教育学研究科教授。高等教育論。著書に『高等教育の政策過程』『専門職の報酬と職域』『大学生 キャンパスの生態史』(玉川大学出版部)ほか。

  • 藤井●私の研究室も全く同じです。日本人学生が興味を示さない過去のテーマでも留学生は別です。日本人学生には面白さが伝わっていないのか……。
  • 加藤●これは歴史研究者の高望みかもしれないのですけれども、全ての学部にその学問の「史」に関わる研究者を置けばいいと思います。そうすれば各々の学問の面白さを直接伝えられるはず。
  • 藤井●150周年の記念事業としては破格かもしれませんが、どういう学術の系譜に自分が位置するのかを全教員が提出するといいのではないでしょうかね。理系だと、どんな実験道具を使ってきたか、文系だとどんな本を書いてきたかも含めて語っていったら、面白い歴史になりそうに思います。
  • 橋本●個人の研究プロフィールの整理からディシプリンの概要が把握できれば、非常に興味深い試みになりますね。
  • 佐藤●200年史となるとデータも含めた大きな枠組みでの全集のような書籍が必要かもしれませんが、150年史は少し自由にやってもいい気がするんです。
  • 宇野●実際、データをただ文章化しただけではやはり不十分です。過去の学問の見方を言語化し、再利用できるようなものにしたいですね。
  • 藤井●ケンブリッジやオックスフォードに公式の大学史はないと聞きます。大学史の本はあっても著者ベース。だからこそ自由に書ける。150年史も著者責任の形にしていいのでは。
  • 佐藤●藤井先生ならテーマは「空間として発展してきた東京大学」でしょうか。
  • 宇野●アメリカのトップ校に行くと、キャンパスが必ず古さと新しさを共存させていて、それが大学の格を決めている気がします。
  • 加藤●東大に観光や下見でやってくる海外の方の記念撮影はほぼ古い建物の前ですよね。
  • 藤井●もし新しい建物より古い建物のほうがいいという人が多ければ、本郷はオックスフォードのような素敵なキャンパスにできるでしょう。壊さずに改良しながら使う工夫が上手な建築家が東大にはたくさんいますから。
  • 橋本●忘れがちですが、大学という組織としては職員側の歴史も必要でしょう。
  • 佐藤●評議会や教授会の資料とか、学生資料とか、倉庫に眠る事務文書は膨大です。ただ、個人情報の問題もあり、活用を進めるには全学を巻き込む工夫と合意が必要でしょうね。
宇野教授写真

宇野重規 Shigeki Uno
社会科学研究所教授。政治思想史。著書に『保守主義とは何か』(中公新書)、『政治哲学的考察』(岩波書店)、『民主主義のつくり方』(筑摩選書)ほか。

過去の知を可視化して次に進む

  • 宇野●こうしてみると、150周年に向けて、文書、学問技法、建物まで、全てを保存し資産化する機運を高める必要があるようです。ただ、単なる過去の記録というだけでは合意を得にくいですね。過去の知を体系化し、可視化して次に進むのに不可欠な材料だと示すべきです。
  • 佐藤●われわれがイメージしている歴史には、「足し算の歴史」と「掛け算の歴史」があると思うのです。たとえば真っ白な年表に事実をたくさん書き込んで足し合わせた結果が歴史だと思われている。しかし、これは決定的に不十分です。現在の関心が掛け合わされなければ、そもそも意味が生まれず、歴史にならないという考えに私は立ちたい。現在の関心と問題意識なしに、史料は何も語らない。150年史はさまざまな問題関心が掛けあわせられた東京大学の歴史になるといいと思います。
(2018年1月4日、文学部布文館にて)

はみ出しトーク

  • 宇野●加藤先生、私とボールペンが同じですね。
  • 加藤●シグノ0.5mmが好みなんです。
  • 橋本●私はジェットストリーム0.7mmです。
  • 宇野●お持ちのファイルは……。
  • 橋本●京大式カード!
  • 加藤●通常は編年式でまとめていますが今日は140周年講演会の部分を入れ替えてきました。
  • 佐藤●加藤先生には知的生産の技術史も書いてもらいましょうか!?

 

撮影/貝塚純一

(脚注)
※1 大学南校は蕃書調所や開成所の流れを汲む洋学校。大学東校は種痘所や医学所の流れを汲む医学校。南と東は本校から見た方角。
※2 現在、総合研究博物館、低温センター、アイソトープ総合センター、環境安全研究センター、人工物工学研究センター、生物生産工学研究センター、アジア生物資源環境研究センター、大学総合教育研究センター、空間情報科学研究センター、情報基盤センター、素粒子物理国際研究センター、大規模集積システム設計教育研究センター、政策ビジョン研究センター、高大接続研究開発センターと14の全学センターがある。
※3 法学政治学研究科教授。当該の指摘は著書『「維新革命」への道』(新潮選書)に。
※4 『東京大学百年史』は1977年から1987年に刊行。通史3巻、資料3巻、部局史4巻の計10巻からなる大著。『東京帝国大学五十年史』(上下册)は1932年刊。国史学科の副手だった大久保利謙(大久保利通の孫)が実質的には一人で原稿を書いたといわれる。


※登場する先生方の肩書きは刊行時のものです。

※本記事は広報誌「淡青」36号の記事から抜粋して掲載しています。PDF版は淡青ページをご覧ください。

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