ステレオタイプに陥らないために──「男性脳・女性脳」の言説
男性・女性の違いを説明する際に「男性脳・女性脳」という表現が使われることがあります。「男性脳・女性脳」は科学的な根拠に基づく概念なのか、単純化された言説はなぜ問題なのか、認知神経科学者の四本裕子教授(総合文化研究科)に聞きました。
多次元的なヒトの脳
── 「男性脳・女性脳」という概念に科学的根拠はあるのでしょうか?
「男性脳・女性脳」の概念は、性別による脳の違いについて言及したものですが、そもそも「性」とは非常に多元的な概念です。社会的・文化的に定義される「性」(ジェンダー)が多様であるように、生物学的に定義される「性」(セックス)も複雑です。生物学的に定義される「性」には、遺伝的な染色体で決まる「性」、精巣や卵巣で決まるホルモンの分泌と関係する「性」、セクシュアル・フェノタイプと呼ばれる表現型の「性」などがあり、人によってはそれらが必ずしも全て一致するとは限りません。一方で、男性・女性というカテゴリーを完全に無視して考えることもできません。
誤解のないように言うと、男性500人の脳と女性500人の脳を測定してグループ間で比較すると、色々なところに差が出てきます。しかし、その差は、「男性脳・女性脳」が想定する「性別による違い」とは異なるものです。一般的に「男性脳・女性脳」という表現で伝えられている言説の背景には、「男性と女性は脳が違うから、得意なことや苦手なことが違う。お互いの違いを認め合い、分業して社会を回していくべきである。」という思い込みがありますが、この言説に科学的根拠はありません。多次元の解析を行うと、男性500人全員の脳・女性500人全員の脳に特定の性質があるというわけではなく、“モザイク的”な個人差がみられることが分かります。
例えば、自分という個人に、職業や出身地といったアイデンティティとなる軸がいくつあるか考えてみてください。ジェンダーやセックス以外にもあらゆる軸があることに気づくでしょう。脳は機能や形で百以上に分割することができるので、それぞれの脳の部位だけで考えても百以上の軸を持っていることになります。計算理論的には、いくつもの軸を取り入れた多次元な脳の解析が可能です。脳科学は、“モザイク的”に見える個人差の解像度を上げて、多次元のものとして理解しようとしています。そこからは、性別によって得意・不得意が決まるというような単純な結論は出てきません。
── それでも社会に蔓延する「男性脳・女性脳」は、なぜ問題なのでしょうか?
まず、「男性脳・女性脳」の問題を理解するためには、脳を測定したときに出てくる違いがどのように作られるのか、考える必要があります。脳には、遺伝的な要因だけでなく、社会的要因が影響します。つまり、どういう教育を受けてきたか、どういうスポーツや楽器に親しんできたかなど、環境や訓練によって脳は変化します。20代、30代の男性・女性の脳をそれぞれスキャンしたときに出てくる違いを、生物学的に定義された生まれつきの「性」によるものだと断定することはできないのです。
しかし、「男性脳・女性脳」の分類は、生まれつき男性と女性の脳に「違い」があるという誤認に基づいています。社会が脳を変えるという科学的な事実があるにもかかわらず、生まれながらにして男性と女性の得意・不得意が異なる、という誤認に従って分業を進めると、今の社会にある格差・差別が助長されてしまうかもしれません。そして、ジェンダー・ステレオタイプの強化につながりかねません。そういった悪循環を防ぐためには、「男性脳・女性脳」の分類をする前に、社会構造の中にある違いに目を向けるべきだと考えています。
例えば、世の中には右利きの人と左利きの人がいますが、「右利きだからこの学問分野は向いていません」ということはあまり言いません。それなのに、なぜジェンダーの話となると「男性脳・女性脳」で得意なことが違うと決めつけられてしまうのか、とても不思議です。人間は複雑かつ多様です。社会を男性と女性に二分割するのではなく、もう少し解像度を上げて一人一人の得意・不得意や好き・嫌いを尊重していく方が、皆にとって有益な社会になっていくと思います。
── 社会によって作られる「違い」について、実際にどのような研究がありますか?
男性と女性それぞれの競争心を測定する面白い研究があります。バケツにテニスボールを入れるゲームに2つの参加方法があるとします。一人でバケツにボールを入れ、入ったボールの数に応じて報酬がもらえるという方法。もう一つは、誰かとペアで参加し、競争に勝てば一人で参加したときよりも多い報酬がもらえ、負けたら報酬はゼロになる、というものです。男性と女性のグループにどちらの方法で参加するか聞くと、アメリカの大学生を対象にした調査では、男子学生のほうがペアでの競争を、女子学生のほうが一人で参加する方法を選ぶ傾向がみられました。
男性優位で知られるマサイ族を対象に同じ実験をすると、やはり男性がより競争を好みました。ところが、女性優位で知られるインドのカーシ族は、女性の方が競争を選ぶという結果になりました。社会構造が違えば、同じ実験で逆の結果が得られるほど、社会の持つ力は大きいと言えます。もちろん、生まれつきの遺伝やホルモンも人間の行動や選択に影響しますが、社会が変われば色々なことが変わってきます。この実験は、遺伝や生物学的な「性」で物事を決めつけることがいかに無意味なことであるか、良く示していると思います。
平均値と多様性
── 大雑把なカテゴリーに分類できない多様性は、脳科学の研究にどのように取り入れられてきましたか?
20年前は、様々な分野の研究の中心が男性でした。例えば、痛みの研究では雄のマウスが、車の衝突実験では男性の身長・体重に合わせたダミー人形が使われてきました。他にも、工事現場の重機シートやハーネスのサイズは、欧米の白人男性を基準に作られてきました。認知神経科学の実験でも、右利きの男性が「人間の基準」だと考えられており、右利きの男性だけを測定した実験結果をもとに論文が発表されていました。しかし、最近では、白人男性の一律な基準に当てはまらない多様な性別や人種の人々が、結果的に不利益を被ってきたことが考慮され、ずいぶん状況が変化しています。
私自身は、ヒトの脳の中で感覚・知覚に関する情報処理がどう行われているかについて研究しています。その際、男性と女性の差を調べる場合は別として、あえて性別で切り分けた実験は行いません。一方で、特定の部類の人たちだけに偏らないよう、男性と女性の両方を被験者としてデータを取り、バランスに配慮しています。また、何を明らかにしようとする研究なのかしっかりと表明し、過度に一般化しないことが重要だと考えています。大学で行う実験には、大学生を中心に、だいたい18歳~24、5歳くらいの年齢の参加者が集まります。そこから得られる「若者のデータ」が、すべての世代に当てはまるとは言い切れません。もし、ヒトの認知神経科学的側面が年齢によってどう変化するかについて研究するのであれば、幅広い年齢層の人たちを調べる必要があります。
── 実験結果を社会に向けて発信する際に、気をつけることはありますか?
平均値を用いてある集団の特徴を探る方法は、重要な科学的アプローチです。しかし、平均値からある程度の距離を置いて、社会を構築している個々人を尊重する態度が同時に求められると思います。横軸に何らかのスコアを取り、縦軸に人数を書くと、平均に近い人たちの数が多く、極端な結果を出した人の数は少なくなるので、ベル型のカーブになります。平均値を生み出した分散があること、つまり、高いスコアと低いスコアを出す多様な人達がいることを忘れてはいけません。集団の特徴を個人に帰属させることはできないのです。
一般的に、シンプルな話であればあるほどコミュニケーションが取りやすく、私たちは非科学的な単純化されたカテゴリーの罠にはまってしまう傾向があります。最初の情報発信が科学的に正しいものであっても、それがプレスリリース、ネットニュース、SNSでの発言、を通して伝言ゲームのように伝えられるうちに、情報が単純化され、最終的には科学的根拠のない言説として広まってしまう可能性があります。「男性脳・女性脳」の思い込み同様、一度広まった言説を訂正するのは大変です。間違った言説が広まり差別や格差が助長されてしまうことを防ぐためにも、研究者は、実験から得られた知見を社会に還元するときに、過度に一般化するべきでないという視点を持ち続けることが大切だと思っています。
四本 裕子
総合文化研究科教授
1998年東京大学文学部卒。米国マサチューセッツ州ブランダイス大学大学院に留学。視覚記憶の数理モデルの研究により、2005年にPh.D.(Psychology)を取得。ボストン大学、マサチューセッツ総合病院、ハーバード大学でリサーチフェローとしてMRIを用いた脳機能研究に従事。慶應義塾大学特任准教授、東京大学大学院総合文化研究科生命環境科学系・准教授を経て2022年より現職。共著に『基礎心理学実験法ハンドブック』(2018年、朝倉書店)、監訳に『APA心理学大辞典』(2013年、培風館)などがある。
取材日:2024年2月16日
取材:寺田悠紀、ハナ・ダールバーグ=ドッド