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「草の根の中国」を追いかけて 4つの農村の定点観測から浮かび上がる「本当の」中国

掲載日:2021年4月2日

江西省花村で、自転車の荷台に乗り保護者を待つ幼子 © 2021 田原史起

14億の人口が生み出す世界の「工場」と「市場」。強権化する一党独裁体制。一方、経済発展の裏で深刻化する都市と地方の格差・・・。

メディアを通じて伝わる中国の姿はさまざまですが、総合文化研究科の田原史起教授は、中国社会の実態を、独自のフィールドワークによって明らかにしてきました。田原先生が関心を寄せるのは、激変する大都市でもなく、都市化の波に巻き込まれて変貌する郊外でもなく、緩やかな変化を受け入れつつ、さまざまな資源を組み合わせてその時々の課題解決に当たる「平凡な農村」の姿です。

2001年以降、駒場キャンパスで教鞭をとりつつ、夏休みや春休み期間を利用して、現地調査を何十回も繰り返してきた田原先生。外国人の訪れることのない奥地に足を運び、村民と信頼関係を築きながら、村落が何を課題だと考え、解決しようとするのかを丹念に記録しました。中でも特徴の異なる4つの村を定点観測しまとめた著書『草の根の中国 村落ガバナンスと資源循環』(2019年)で、2020年11月、一般社団法人アジア調査会の「アジア・太平洋賞」大賞と、研究機関やNGOからなる連携組織地域研究コンソーシアムの研究作品賞をダブル受賞。これまでの「悲惨な中国の農村」というイメージを打破した画期的な作品と高く評価されました。

原点は自転車旅行

田原先生はそもそもなぜ中国、それも農村に興味を持ったのでしょうか?原点は、広島県山間部の農村で育った中学時代を経て、周囲の環境に違和感を覚え続けた高校時代、「楽しくない日常を抜け出したくて」始めた、自転車での一人旅だったと話します。

総合文化研究科の田原史起教授。駒場キャンパスの研究室は香が焚かれ、間接照明で照らされ、まるでカフェのような雰囲気だ © 2021 東京大学

一橋大学に入学し、上京した大学2年の夏に中国への自転車旅行を敢行。中国を選んだのは、たまたま知り合いのカメラマンに中国は道もいいし旅しやすい、と勧められたからでした。上海から長江沿いの道路を800キロほど走り、身振り手振りで宿や食堂を探しながら、武漢を目指しました。

1987年当時、中国はまだ完全な発展途上国。「今からは考えられないぐらいの衝撃がありました。食べ物も、(皿の上に)何が載っているか分からない得体の知れないものを食べていたけれども、楽しかった」と振り返ります。

ただ、現地の人の暮らしを知りたい、という思いは、1か月ほどの旅行では満たされることはありませんでした。

「旅人というのは、現地の暮らしは全然わからないんだなと思いました。それが悔しかったので、いつか暮らしに入り込んで、どっぷり普通の人の暮らしを経験して、ルポライターか何かになりたいと思っていました」

1950年代の「土地改革」(中国の社会主義政策の一環で行われた地主制度の廃止と農民への土地分配)について書いた論文で博士号を取得し大学教員になってからも、旅をして人と会い、そこで得た情報を元に論文を書くという「鈍くさいやり方」にこだわってきました。「田舎育ちの自分こそ、最近まで中国人口の8割が住んでいた農村に入り続ける意味があるはずだという使命感も感じていた」といいます。

「ジャーナリストもファーストハンドな情報が大事。シリアで(人質として)捕まったジャーナリストも、日本に迷惑をかけたとか批判されたけど、彼らが行かなければファーストハンドな情報は取れない。ましてや、中国の農村で命の危険があるということはめったにないですから、行かなきゃ、と。中国農村については皆、間接的な情報で想像して、悲惨な状態が問題だ、と言っているけど、実際にちゃんと見ている人があまりいないのが問題だと感じていました」

村落を生き物のように捉える

田原先生が調査で訪れた4つの村の場所  © 2021 田原史起

訪れた4つの村、「果村」「花村」「石村」「麦村」(プライバシー保護のため先生がつけた愛称)は、地理的条件、歴史や風土がそれぞれ異なっていました。先生は、それらの村を比較して人間に喩えます。例えば、山東省の果村は、沿岸部のリンゴやブドウ、サクランボなどの果物の産地で、人民公社時代の「生産隊」の枠組みをある程度生かしつつ、集団で農業や工業に従事しコミュニティを維持する「社会主義農村の優等生」。中部に位置する江西省の花村は、村民の長期出稼ぎによる留守児童「問題」については祖父母などの血縁者のサポートによって解決されているものの、村のリーダー的存在の影が薄いことから「学校の成績などはあまり気にしない、自由きままな「風来坊」」と評しました。

西南部の貴州石村の子供たち。山岳地帯特有の厳しい自然環境に囲まれ出稼ぎ率が高いが、大学に進学する若者も多い © 2021 田原史起

「何回も行って、比べたときにじわじわと分かってくるものがある。一つの村しか行かないと、中国の村はこうだ、というふうになりがちですが、4つぐらいあれば、これもある、あれもある、いろいろだな、ということで、よりバランスの取れた見方ができます」

こうした地道な研究を通じて訴えたかったのは、「当たり前に人が生きているんだということ」でした。

「村がどういう問題にぶつかってどう解決しているのか、そこでどういう資源を使っているのか。全然悲惨な内容じゃない生活、当たり前の日常を想像する材料を出したいと思いました」

皮肉にも、先生が本を執筆する時間的余裕ができたのは、近年、外国人研究者に対する中国政府の締め付けが厳しくなり、現地調査ができなくなったから。2016年、西北部の甘粛省麦村に入ろうとしたところ、それまで協力的だった村の幹部に入村を拒否されました。これ以上続けると調査に協力してくれた人に迷惑がかかると考え、2018年3月の江西省花村への訪問を最後にフィールドワークを中断しています。

それでも、田原先生の農村研究への情熱が褪せることはありません。今後は、中国の「県」に対象を広げて、文献調査を中心に研究を続ける予定です。全国に2000ほどある県は、それぞれ人口約50万人からなる中国社会の基本的なユニットで、真ん中に県城と呼ばれる都市があり、周りを農村が取り囲んでいて、細胞核のある細胞のような形をしています。

「都市化」の実態を理解する

中国政府はこの10年ほど、「都市化」政策を推し進めています。農民を都市に移住させ、都市の恵まれた教育や医療へのアクセスを与えることで、都市と農村との格差を解消しようというものですが、その「都市」とは実は、北京や上海などの大都市ではなく、これらの県城が想定されていることがわかってきたと話します。

甘粛省麦村の棚田。この景観は人民公社時代に完成した © 2021 田原史起

「県内の農村から、出稼ぎでちょっと現金収入を貯めた人たちが自分の県の中心地でマンションを買う、というのが実際に政府がシナリオとして描いている都市化。となると、それは何を意味するのか。その人たちはどういう風に暮らし、どう農村と繋がっていくのか、ということを考えたい。『細胞』の構造が分かれば、中国全体に対する理解も深まります」

一方、大学院で中国を研究する日本人が少なくなりつつあることに危惧を抱いています。現在、先生の研究室に所属する学生4名は皆中国からの留学生で、日本人はゼロ。文系研究者のポスト確保の難しさや、日本社会における嫌中感情の高まりが多少なりとも関係しているのでは、と話します。

「中国の学生が来るのは良いのですが、そちらの方がマジョリティになってしまって、日本人参加者がいると逆にゼミが「多様化」するという皮肉な現象が起きています。『嫌な国』だからこそ知らなければいけないのではないでしょうか。中国を脅威と感じる気持ちは、中国のことを知らないことから来ている。中国の現状がなぜこうなっているのかということを、歴史も含めて探っていくことが大事だと思います」

取材・文/ 小竹 朝子

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