パラリンピックへの貢献をいまも続ける12年前の総長賞受賞学生たち|平松竜司・藤原清香|オリパラと東大。
~スポーツの祭典にまつわる研究・教育とレガシー
半世紀超の時を経て再び東京で行われるオリンピック・パラリンピックには、ホームを同じくする東京大学も少なからず関わっています。世界のスポーツ祭典における東京大学の貢献を知れば、オリパラのロゴの青はしだいに淡青色に見えてくる!?
機能解剖学 X リハビリ医学 |
12年前の総長賞受賞学生たち
パラリンピック北京大会の選手村で微笑む2人の若者。 日本選手団の活躍に貢献したことで2008年度の学生表彰「東京大学総長賞」を受賞した、農学生命科学研究科博士課程4年の平松竜司さんと医学系研究科博士課程3年の藤原清香さんです。 12年を経た現在、2人はそれぞれ東京大学で教員として活動しています。
現場仕込みのパワー計測で車いす陸上を支援
平松竜司 農学生命科学研究科 助教 HIRAMATSU Ryuji |
東大自転車部で中・長距離の選手としてペダルを漕いでいた平松さんは、2003年のパラサイクリング(パラ自転車競技)世界選手権の日本チームに帯同したのを機にパラスポーツの世界に入りました。その後、アテネ大会では出場選手のサポート役として、北京では日本選手団の本部役員として、ロンドン大会ではパラサイクリングのチームマネージャーとして、リオ大会では日本スポーツ振興センターの一員として選手を支えました。5個のメダルを獲得した藤田征樹選手を筆頭に日本のパラ自転車陣が4大会連続でメダルを獲った陰にはいつも平松さんがいたわけです。
「やってきたのは主にパワー測定です。ペダルにかかる力をセンサーで測って分析する。人は普通、限界まで力を出し続けられませんが、数値を見せて説明すれば納得して限界ギリギリの練習を続けられる。選手のステージを上げる支援です」
2018年からはパラ陸上の強化に携わり、同じ車輪系ということで車いす競技を中心に見ています。研究対象として競技に関わる研究者はいても、週4で荒川河川敷に早朝赴き、時速30kmで走る選手の横を自転車で併走できる人は少ないはず。選手が人生をかけて限界に迫るには信頼できる研究者がともに走り続けることが重要です。
パラリンピックの最終競技となる車いすマラソンは東京開催。在京者の注目は高まります。さて、平松先生の現在の所属は獣医解剖学教室。獣医学と車いすマラソンの関係はいかに? 「車いすレーサーというのは、手を使って高速で移動する人類です。四足で走る動物の前肢との比較により見えてくることがある。今後はその辺りにさらに切り込む予定です」
四肢欠損児がメダリストに学ぶスクールを実施
藤原清香 医学部附属病院 講師 FUJIWARA Sayaka |
高校の体操部時代に平均台で着地に失敗し、靱帯を切って引退した経験から、スポーツドクターを志した藤原さん。東大医学部整形外科入局後の妊娠を機に国立障害者リハビリテーションセンターへ移り、パラスポーツと出会いました。この分野での経験を積んだ後、北京パラリンピック日本選手団本部の帯同医に。北京大会の派遣準備から大会後までの数ヶ月が大きな転機となったそうです。
「障害を持つ人にどこか気の毒な印象を抱いていましたが、選手らと出会い、彼らのものすごいパフォーマンスを間近で見て障害者観が変わりました」
車いす5000m決勝では選手がクラッシュに巻き込まれる事故が発生。数日後に行われるマラソンの金メダル候補でしたが、重症のため日本へ緊急搬送になりました。北京への出発直前に代表選手の一人が化学療法をしているとわかり、その選手が大会後まもなく亡くなるという悲しい出来事もありました。
「障害者のスポーツには、医療が関わる重篤な事態に直結する緊張感がありました。自分はすごい世界に来たんだな、と」
その後、カナダで小児の義手の臨床を学んだ藤原さんはリハビリテーション科に四肢形成不全外来ができたのを機に東大に帰還。2017年から東京大学スポーツ先端科学研究拠点で四肢欠損児らがパラリンピアンらに学ぶスクールを実施しています。
「病院ではおとなしい子どもがグラウンドでは元気よく動き回るんです。驚きの発見でした」
IOCのスポーツドクターの資格を得た数少ない日本人である藤原先生は、東京大会ではオリ・パラの両方で選手村に入る予定。高校生の頃に志した道が形を変えて現実となりそうです。