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海とともに歩んだ総長の研究室 ~海中ロボットから「海洋観測の民主化」へ

掲載日:2021年9月28日

海と東大。
すべての生命の故郷にかかわる研究・教育活動集

あらゆる生命の故郷であり、地球の生物の生存を支えている海に関する科学を世界で進めるための「国連海洋科学の10年」。2021年はこの大きなキャンペーンがスタートした年です。そして東大は今年、海とともに歩んできた科学者を新総長に迎えました。工学、物理学、生物学、農学、法学、経済学……。様々な分野の事例が映し出す東大の海研究と海洋教育の活動について紹介します。
海中ロボットから「海洋観測の民主化」へ

海とともに歩んだ総長の研究室

深海をはじめとする海洋の調査・観測のための工学、そして応用マイクロ流体デバイスの研究開発に携わり、主に海をフィールドにエンジニアとしての道を歩んできた藤井輝夫総長。20年の歴史を擁する藤井研究室で2006年から苦楽をともにしてきた生産技術研究所の木下晴之先生に、総長と藤井研究室が進めてきた研究について聞きました。

木下晴之
生産技術研究所特任助教
KINOSHITA Haruyuki

藤井輝夫
総長
FUJII Teruo

平塚総合海洋実験場にて試験中のOMNI第3世代機

子どもの頃にアポロ11号の月着陸をテレビで見て感激したという藤井総長。その後、月は探査が進みましたが、未知の世界が広がっていた深海に興味を持ち、海中工学の分野に進みました。海洋の調査では調査船で出かけて採水しサンプルを持ち帰って調べるやり方が主流でしたが、藤井先生がこだわってきたのはそれとは少し違うスタイル。深海まで探査機で装置を運び、その場で調べるという手法です。

「水圧や温度が違う場所までサンプルを持ち帰るとどうしても状態が変わってしまいますが、採取の現場で分析できればその心配はありません。また、分析結果から次の調査地点を決めてすぐに動ける利点もあります。たとえばマンガンイオンの成分が濃い水域があれば、その周辺を詳しく調査することで熱水活動がわかるかもしれません」と木下先生。

実際、藤井研究室は2010年に沖縄沖で新たな熱水活動を発見する成果をあげています。そこで活躍したのは、無人探査機に搭載したマンガンイオン定量分析装置。深海の現場で取り込んだ海水に試薬を入れて成分を光らせ、センサーで検出する装置です。その心臓部には、藤井先生が理化学研究所に在籍した際に着想した、微小流路内で極微量の液体を操作できる装置、マイクロ流体デバイスが使われています。数百ミクロンの世界では慣性力や重力より表面張力や粘性力が強く働き、マクロなスケールでは実現が難しい流体操作ができます。従来はガラスに細かい溝を彫って作るのが主でしたが、微細構造を有する鋳型とシリコーンゴムを使えば流路を安価に量産できることがわかり、マイクロ流体デバイスの世界に新しい潮流が出始めた頃でした。

「極限環境である深海へ探査機で運ぶには、なるべく装置が小さいほうがいいんです。マイクロ流体デバイスの応用先として深海に着目したのが藤井先生の慧眼だったと思います」

微生物の遺伝子を検出する装置や生物の痕跡を見るATP分析装置を開発する一方、研究室にフランス人研究員が着任したのを機に、マイクロ流体デバイスで細胞培養を始めるなど、医療分野への応用も開始した藤井研究室。シャーレと違い、マイクロ流体デバイスでは時間的にも空間的にも部分的な操作が可能なため、細胞の培養環境を自由にコントロールできるのが大きなメリットでした。医工連携は、ポンプやバルブをはじめとする液体制御のノウハウを深海で培ってきた研究室の柱の一つに育ちました。

マイクロ流体デバイスを使ったマンガンイオン定量分析装置が遠隔操作で動く探査機「ハイパードルフィン」に搭載され、熱水鉱床発見を実現しました(2010年9月)。

海の情報を皆で集めて皆で活用

1992年に藤井先生が開発した自律型海中ロボット「ツインバーガー」。

そして、総長に就任する前の藤井先生が挑戦していた新たな取組みが、OMNI(Ocean Monitoring Network Initiative)です。これは、誰もが入手できる部品を組み合わせて観測装置を作り、広大な海のデータを皆で集めて活用しようというオープンソース型プロジェクト。地表の約70%を占める海洋には、気候変動や食物資源や天然資源など、人類が抱える様々な問題を解決する鍵が潜んでいますが、詳しい調査が行われているのは全海域のたかだか5%程度にすぎません。

「海洋のデータをたくさん集めるには専門家だけでがんばってもダメ。研究者に限られていた海洋観測の担い手を市民に広げる試み、藤井先生の言葉でいえば「海洋観測の民主化」が必要です」

始まりは2016年頃。当時、所長として生産技術研究所の改革に携わった藤井先生は、対話を重ねる中でデザインの重要性に気づき、この分野で名高い英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)との協働でデザインラボを立ち上げました。デザイナーと研究者が何もない段階から問いを共有し、対話を重ねながら新しいものを生み出すのが身上です。

デザイナーたちはまず、所内の全研究室を巡ってどんな技術があるかを探りました。集めた技術を書き出して俯瞰すると、組み合わせてできるアイデアが渾々と湧き出で、そこから多くのプロジェクトが始まります。若き日の藤井先生が師匠の浦環先生とともに取り組んだ海中ロボットによる観測の系譜に、ニーズありきで考えるデザイナーのエッセンスが組み合わさって生まれたのがOMNIでした。

百均で買える部品で装置を試作

円筒形コンテナ型のOMNI第1世代機、モジュール型の第2世代機、3ヶ月のテストを経たプラグ&プレイ型の第3世代機。家庭にもありそうなプラ容器が使われています。

観測装置の試作が繰り返され、一つの到達点となる第3世代機ができるまでに約半年。百円ショップで買える防水のプラ容器に電子回路を積み、GPSの基板、温度センサー、塩分濃度センサー、太陽光パネルや通信アンテナをウレタン製のフロートと支柱に取り付けて、サッカーボール大の観測装置が約4万円でできました。従来の装置に比べると手軽さは段違いで、キットがあれば誰でも組み立てられます。機能は限定されますが、三崎の海で3ヶ月テストしたところ、順調にデータを収集し、基地局経由でウェブにリアルタイムで表示することもできました。

「もちろん課題はあります。太陽光充電のために電力量が限られ、カメラの搭載はまだ難しいです。藻などが付着するとセンサーの精度が落ちるため、泥臭い調整が必要です。でもそれでいい。試作し、試用して、問題がわかれば一つひとつ潰していけばいいんです」

技術面の改良とともにチームが注力したのは、ワークショップを開いて様々な人たちと対話することでした。逗子の学校に出かけて中高生たちと、渋谷のカフェでクリエイターたちと、鎌倉の起業家支援拠点で地元の人たちと、オンライン形式で小学生たちと……。ライフセーバーは海水浴場の水温を知りたがりましたが、漁師との対話で聞けたのは深い部分の水温が知りたいとの声。表層と深層の水温の違いが魚の行動習性に影響するからです。お客さんを案内するダイバーから聞けたのは、透明度が知りたいとの声。事前に透明度がわかれば、その日その時間に潜るのに最適な地点がわかるからです。ある島では工場排水が環境基準をクリアしていることを示すために窒素やリンの濃度を測定したいという声も聞けました。

「まず実例を見せるのが重要。装置を触ってもらうと地域のニーズがどんどん出てきました。研究者は最先端の技術に目を向けますが、確実に安く使える技術のほうがよい場合もあります。イノベーションはそうした技術の組み合わせから始まると思っています」

海洋とワイン産地の共通点とは?

OMNIチームが6月に逗子海岸で実施したマイクロプラスチック調査ワークショップの様子。地元の小学生とそのご家族が、レクチャー、ビーチの砂をふるいにかけての採集や海水サンプラー試作機の試用、データ分析までを3時間半かけて体験しました。https://www.designlab.ac/omni

昨年度末まで日本工学アカデミーの海洋調査グループのリーダーを務めていた藤井先生は、海を知り新たな恵みを拓く「海洋テロワール」構想をまとめて2021年3月に提言しました。「テロワール(terroir)」とは、フランスのワインの産地について使われる言葉で、その地域固有の気候や土壌、歴史などを総合した地域の特徴を意味するものです。陸地と同様、地域の海ごとに価値を生む力があり、それを引き出すためには私たちがその海についてよく知る必要があるというコンセプトです。

「OMNIはその実践の一つ。こうした構想が根にあると、最先端技術を研究する人も、研究者ではない一般の人も集まりやすいはず。自ら策を示すというより皆で問いを共有して考える場を作るのが役割だと信じ、OMNIの仲間を増やす努力を続けています」

新総長が就任した今年は「国連海洋科学の10年」の開始年。科学者もデザイナーも市民も東大も、グローバル・コモンズとしての「海」により深く関与していくべき時期を迎えています。

 

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