海とメリトクラシー/八木信行 水産物が問いかける一人勝ち社会の是非
すべての生命の故郷にかかわる研究・教育活動集
あらゆる生命の故郷であり、地球の生物の生存を支えている海に関する科学を世界で進めるための「国連海洋科学の10年」。2021年はこの大きなキャンペーンがスタートした年です。そして東大は今年、海とともに歩んできた科学者を新総長に迎えました。工学、物理学、生物学、農学、法学、経済学……。様々な分野の事例が映し出す東大の海研究と海洋教育の活動について紹介します。
漁業経済学 |
海とメリトクラシー
八木先生が編者を務めた『水産改革と魚食の未来』(恒星社厚生閣/2020年7月刊)。2018年の改正漁業法成立を機に多分野の専門家が水産改革を論じています。
農産物や工業製品と違い、自然の恵みである水産物では所有の感覚が弱まると指摘するのは、国際水産開発学研究室の八木先生。日本をはじめ世界各地の漁村を例に、成功を個人の能力だけに帰するメリトクラシーと勝者総取り社会の是非を問いかけています。
海は人間社会のあり方を考えるためのヒントを私たちに与えてくれます。勝者が総取りする社会の是非もその一つです。
日本には水揚げ金額を漁業者間で均等配分する漁業があります。プール制漁業と呼ばれ、沿岸のハマグリやイセエビ漁などでしばしば採用されています。これらの漁業の解禁期は1年のうち数週間から数ヶ月と短く、操業日には集団で操業し、1日の漁獲物は一カ所に集められセリが行われます。もし漁業者個人がバラバラに操業してバイヤーに売ろうとすれば、「あなたから買わなくても売ってくれる人は他にもいますから」と買いたたかれるリスクもありますが、漁獲物全体をまとめて販売すればこれを防ぐことができます。またその売上げを均等配分すれば、コミュニティー内の相互扶助にも役立ちます。更に水産資源の乱獲を防ぐ意味もあります。均等配分されるとはじめから分かっていれば、漁業者による過度な漁獲競争は抑えられるからです。
プール制漁業以外でも、水産物を村落内で分かち合いの対象としている例があります。沖縄県石垣島でフィールドワークをしていた研究室のメンバーから聞いた話です。島内白保地区では長老女性がIターンの新規居住者に対し「あんた、そろそろサカナ持ってきなさいよ」と声をかけるそうです。サカナの贈答をきっかけとして新参者が地域に溶け込むことを慫慂する仕組みといえそうです。
ではどうして対象がサカナなのでしょうか。この長老女性は、Iターン者に農作物や工業製品を持ってきて欲しいとはリクエストしないそうです。農産物などはお金を出して購入しなければならないものも多く、このため個人の所有物との感覚が強くなり、無償での供出を要請しにくい性質があるのでしょう。一方で天然の魚やイカなど、いわゆるサカナ※は、集落の目の前にあるサンゴ礁内の浅瀬で素人でもつかまえることが可能です。漁獲作業と漁獲後の運搬に人手はかかりますが、その前には飼育などの人手はかかっていません。そもそも海で植物プランクトンが日光を受けて光合成をし、それを起点とした生態系の食物網で育ったものです。よって農作物などよりも個人の所有物としての感覚は希薄になり、天の恵みとしてみんなで分かち合う対象とされやすいのでしょう。
陸上における経済活動では、成果を均等配分しようとすれば文句が出ます。多く生産した者が実績に応じた配分を要求するからです。しかし陸上であっても経済的な成果は、個人の能力や努力だけではなく、他者からの補助や自然の恵みに帰する側面も一部に存在しています。個人の実績だけで成果が得られていると見なすメリトクラシー、ひいては少数の個人が一人勝ちになり勝者総取りをする行為について、その是非を海とサカナが私たちに問いかけているように思えます。