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現代アートはどうして難しいの?→松井裕美|素朴な疑問vs東大

掲載日:2022年11月24日

素朴な疑問vs東大
「なぜ?」から始まる学術入門

言われてみれば気になる21の質問をリストアップし、その分野に詳しそうなUTokyo教授陣に学問の視点から答えてもらいました。知った気でいるけどいざ聞かれると答えにくい身近な疑問を足がかりに、研究の世界を覗いてみませんか。

Q.19 現代アートはどうして難しいの?

いたずら書きのような線とか絵の具を塗りたくっただけとかただの便器とか……。現代アートってなんであんなにわかりにくいの?確信犯?
A.答えではなく問いを引き出すから
回答者/松井裕美
MATSUI Hiromi
総合文化研究科 准教授

芸術の概念を変えたデュシャンの影響

BOÎTE-EN-VALISE(トランクの箱)
《大ガラス》や《美しい吐息》や《泉》など69点におよぶデュシャン作品をミニチュア化して詰めたおもちゃ箱のような作品。かつてデュシャン自身が創ったものが、現代アート作家のマチュー・メルシエの監修のもと販売されました(書籍扱い)。「デュシャンがこれを創ったときの感覚は、私たちがいまこの箱を開けて触って楽しむのと近いはず。オリジナルとは、作者とは、複製とは何かと考えさせられます」

現代アートとは何か。時代的には主に20世紀に創られた作品を指しますが、加えて、現代的な特徴を持つことも重要な要素です。その特徴とは何かを考えるのに欠かせないのが、デュシャンです。ピカソは絵画や彫刻などのジャンルの概念を変えましたが、デュシャンは当然と思われている価値体系や日常生活の根底にあるシステムを問い直し、芸術自体の概念を変えました。そうした問いから出発した芸術が現代アートの主流の一つであると言ってよいと思います。

既製品の香水ボトルに顔写真をつけた《美しい吐息》という作品があります。顔写真は自分が女装したもの。作者名はデュシャンの女性の分身であるローズ・セラヴィ。撮影したのは写真家のマン・レイ。商品と作品の違いは何かという問いとともに、作者は誰なのかという問いを示し、オリジナリティの概念をひっくり返しています。ところが、2009年にオークションでこの作品に10億円以上の値がつきました。オリジナリティとは何かを問う作品がオリジナルとして高い価値を得、本来の意味が変わりました。 

東大の駒場博物館には、デュシャンの《大ガラス》の、1980年のレプリカがあります。レプリカ作りに参加し、デュシャンが残した説明書をもとに複製に取り組んだ当時の人たちには、自分がしていることにはどんな意味があるのか、どうして作者はこんな表現をしたのかなど、ただ作品を観ただけの人とは違う問いが生まれていたでしょう。このレプリカ作りは、美術館で距離をおいておとなしく観ないといけない通常の姿勢とは違う形の、デュシャンが望んだ作品との本来の関わり方を示していたのではないでしょうか。

日常生活とは別の視点から何かを問う

マルセル・デュシャン《花嫁は彼女の独身者達によって裸にされて、さえも》(通称《大ガラス》東京ヴァージョン)

フィラデルフィア美術館に収蔵されているオリジナルをもとにした複製が四つあり、その一つが駒場博物館に常設展示されています。高さ2m超の巨大オブジェの複製プロジェクトの詳細はこちらで読めます→

現代アートはなぜ難しいのか。それは問いを立てさせるためだと思います。何かの答えや気持ちよさを与える作品もありますが、それだけではなく、いったい何を意味しているのか、何がここで問われているのかといった問いを考えさせるのが現代アートの特徴です。答えを出すのではなく、問いを引き出して考えさせるから難しい。日常生活とは別の視点から何かを問うことができるのが現代アートです。現代アートのファンの中には、作品がもたらすひらめきや居心地の悪さや答えがすっきり出ないことなどを楽しんでいる人も多いと思います。ファンでなくとも、感性だけでなく知性に訴えるものを求めたい性分が人にはあるのではないでしょうか。

現代アートが苦手な人は、気持ちよくなるわけでもないものをさも価値があるように見せられて怒るのかもしれませんね。実は私も昔は苦手でした。感性的に楽しめるもののほうが好きで、ピカソのキュビスムの作品はピンと来なかったんです。でも、作品を観てどうしてこの構造になったのかと考えるうちに、知的な興味が掻き立てられました。留学して外国語を使うことの難しさに直面したとき、それがキュビスムの絵を観たときの難しさに重なるように感じました。自分の問題と重なると思うと、作品の難しさは特別な意味をもって迫ってきました。絵を観ているうちにふと問いが飛び込んできて、それが自分の問題とかぶさり、作品が寄り添ってくるような感じがしたんです。

自分の問題と重なれば作品が近づく

アートがどの段階から難しくなったとか、どこから現代アートになるのかなどということは、本質的な問いではありません。美術館の中でも外でも、何か気になるものがあって訴えかけるものがあったら、それを大事にすることが一番よい体験になります。また、美術館に展示された作品すべてを理解するのが重要なわけではありません。一つでも自分に近い問題と感じられることのほうが重要だと思います。

私はキュビスムを研究してきました。最近は、昔から芸術家が取り入れてきた解剖学の知見がキュビスムの作品でも使われていたことを敷衍し、シュルレアリスムの作品で解剖学イメージがどう使われているかを調べています。60~70年代のコンセプチュアルアートにも刺激を受け、特に当時の女性芸術家が作者としてどう考えていたのかに興味があります。芸術の世界も男性本位でしたが、それに違和感をおぼえ、確立された価値基準を崩しながら男性中心のアートシーンや社会を問い直した女性アーティストもいました。特に注目するのはメアリー・ケリーの《産後資料》という作品です。出産をテーマに、使用済みのおむつとか子どもの落書きとか会話などの記録に自身のコメントを加えて展示したもの。母として、また芸術家としての葛藤が、緊張感をもって表されています。精神分析やフーコーの言説を取り入れているため、知識がない観客を寄せつけない作品だとの批判もありましたが、私にはやはり自分の問題と重なるものとして迫ってくるのです。

Q.人はどうして絵を描くの?
A.ギャップや対話が楽しいから、かも

 絵を描くことは自分の内にあるものを外に出す行為ですが、その都度、自分の中にあったイメージとは少し違うものになるはず。自分のイメージと絵とのギャップが楽しいから、というのが私の一つの答えです。お絵かきする子どもが楽しそうなのはまさにそれ。頭にあった○のイメージを絵にしたら少しいびつな○ができたりして、ギャップが楽しい。そこにイメージと絵の対話が生まれ、さらに、その絵を目にしたほかの人との対話も生まれます。自身との対話が生じ、ほかの人との対話の媒介にもなる。だから人は絵を描くのではないでしょうか。難解な現代アートも様々な対話を生むと思います。
松井研究室に掛かっていたのは、紙に糸を貼り付ける独自の作風が特徴の現代アート作家・盛圭太さんの作品《Bug report》。「遠目だとドームの設計図のようですが、近づくと糸がモノとして見える。距離による視覚の変化が面白いです」
松井先生の本
キュビスム芸術史』(名古屋大学出版会、2019年)
美術にとどまらない多面的な広がりを見せたキュビスムの展開を明らかにした、第32回和辻哲郎文化賞受賞作。
 

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