世界を股にかける東大人はもちろん
教員だけではありません。
淡青色の大学を卒業したという共通点を持つ
知の冒険者3人の姿を紹介します。

南極から死の谷まで走行距離15万km超
自転車で辺境に挑戦するサラリーマン
大島義史さん - OSHIMA Yoshifumi
(文学部卒業)
有休を使って30カ国をめぐる
高校時代に自転車旅を始めた大島さん。当時没頭していたゲームの世界を、リアルに体験しているようで面白かったと振り返ります。本格的に自転車旅にのめり込んだのは大学時代。東大入学祝としてマウンテンバイクを得たことが運の尽きだったと言います。
日本横断後、駒場図書館で読んだ『ナショナルジオグラフィック』がきっかけで挑んだオーストラリアのアウトバックを皮切りに、アラスカ、東南アジアなど14カ国を自転車で駆け抜けました。大学4年間での走行距離は5万km以上。メーターが上がっていくのが、経験値稼ぎのようで面白かったと話します。
卒業後もサラリーマン生活を続けながら、20年以上自転車での冒険を続けてきました。有休を使い、月5千円の小遣いとボーナスを資金に約30か国。50度以上の熱波に襲われ一睡もできなかったカルフォルニア州のデスバレー国立公園、オーストラリアのシンプソン砂漠、ミャンマーの密林など、秘境や辺境が中心です。2016年には、日本人として初めて自転車で南極点に到達。7日間で150km以上走行しました。
「絶対無理だということをやってみたいんです。失敗も多いのですが。驚きたい。可能性に賭けてみたい。最近はその傾向が強くなっていて、冒険の難易度が上がっています」
そのための準備も怠りません。毎日5時に起床し、腕立て伏せ、腹筋、背筋、20kmラン後自転車で出勤。在宅勤務日は、基本的に空気椅子やつま先立ちで仕事をこなしています。「普段の会社生活も全てが冒険のためにある。難しいからこそ面白いんです」


固定観念を捨てる
直近の自転車旅は2023年と2024年の2期に分けて縦断した「エンプティ・クォーター」と呼ばれるルブアルハリ砂漠。オマーン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、イエメンの4カ国にまたがる世界最大級の砂漠です。
UAE→サウジ→オマーンまで、計2215km。50~100mくらいの高さの砂丘が延々と続く地帯を、時には自転車を押したり、担いだりしながら33日間で縦断しました。
「恐怖もあります。死への恐怖もそうですし、何より孤独が怖い。でも49対51ぐらいで好奇心が勝つんです」
現在計画中の旅は北海道の天塩川。雪、水、氷の全てを楽しめるのが、長さ256kmに及ぶこの川です。
「自転車は陸の上を走る、という固定観念を一旦捨てて、液体や固体の中を進むという発想です。自転車を押しながら川の中を進めるのか。試したいです」



『会社員 自転車で南極点に行く』(小学館、2016年)

休学して世界23カ国サッカー旅を敢行
スポーツの価値を高めるコンサル業へ
石丸泰大さん - ISHIMARU Yasuhiro
(教養学部卒業)
父の反対を押し切って出発
小学生の頃からサッカーに打ちこんできた石丸さんは、文三合格を決めて入学し、ア式蹴球部に入りましたが、大学生活は続きませんでした。FLYというプログラムを利用して1年休学したのです。
「高校の先輩がFLYの経験者でした。支援を受けて好きなことをやれるから最高だと聞き、自分も、と」
FLY Programの希望者は、計画案を提出し、審査を経て最大50万円の支援金を受けます。石丸さんの計画は、世界一周サッカーの旅。サッカーを切り口に世界と密に関わる試みが評価され、採択の通知が。でも、そこに壁が現れました。東大を出て日本の銀行ひと筋で活躍してきた父に反対されたのです。
「父は早く社会に出ることにこだわりました。でも、何をしたいのかわからぬまま社会に出るのは、社会に出るのが遅れるよりずっと怖かったんです」
行きたいと言い続け、母の後押しもあって、やっと承諾をもらえた石丸さん。大学の支援金、貯めたバイト代、それに父が貸してくれたお金を手に、まず向かったのはカンボジアです。現地のクラブにSNSと電話で交渉してインターンの機会を獲得し、ピッチに広告を置いたりユニフォームを洗ったりフットサル大会を企画したりと濃い2ヶ月を経験。土台を築いた後は、マレーシアのアジアサッカー連盟本部を訪問。ヨーロッパではサッカーに関わるビジネスマン諸氏に教えを乞い、日本代表選手と交流する幸運も。アフリカでは貧困層の子にサッカーを教えるボランティア活動に計2ヶ月従事。南米ではスタジアムを巡って非日常の熱狂に酔いました。
「特にブエノスアイレスのボカの本拠地、ラ・ボンボネーラが強烈で。プレーの一つひとつに会場全体がうねる感覚に痺れました」


旅のなかで得た感覚を仕事に
9ヶ月の旅のなかでサッカーの力を再認識し、帰国後は蹴球部に復帰。プレーの傍らプロモーションユニットでスポンサー獲得に尽力したことが、現在の仕事につながりました。プロモーション業務でお世話になった恩人が就任した日本屈指のスポーツ系コンサルティング会社に今春加わり、アナリストとしての業務をこなしています。
「スポーツほど多くの人生を豊かにできるコンテンツは他にないはず。でもその継続・発展にはお金が必要。サッカーに限らずスポーツ事業者の収益向上に貢献したいんです」
サッカーでは周りを活かし活かされながら点を決める選手に憧れたという石丸さん。スポーツコンサルティングというピッチでも、チーム連携からのゴールを狙います。


無人島の海鳥浮気調査で培った研究者の心で
大学の知を社会へ還元
坂尾美帆さん - SAKAO Miho
(新領域創成科学研究科自然環境学専攻博士課程修了)
雑な性格ゆえの路線変更
盛岡の高校から東大に入学した坂尾さん。薬に興味があったので当初は薬学部志望でしたが、サークル活動が多忙で進学選択に必要な成績を挙げられず、気になっていた幹細胞の研究ができる教養学部へ。当時話題の分子生物学に携わる研究室に進み、細胞培養の実験を繰り返しましたが、カビが生えてしまうことが続いたそうです。
「ホコリが入るので手がシャーレ上を通過するのは禁止、といった細かい掟がたくさんあるんですが、雑な私には守れず……。見えないほど小さいものを扱うのは不向きだと思いました」
そんなときに国立科学博物館で出会った、バイオロギングの企画展。展示を担った大気海洋研究所の佐藤克文先生に話を聞き、自分の現況を伝えたところ、だったら面白いテーマがあるよと教えられたのは、オオミズナギドリという海鳥の浮気調査でした。
「雛の育ての父と遺伝的な父が違う割合が高そうだと言われていました。ちょうど、遺伝子を解析できる人が研究室に少ない頃だったようです」
佐藤研究室に移ってからは、岩手県山田町の無人島に5年間通い、地面に巣を作るこの鳥の親子を調べました。繁殖期は真夏。約50の巣を夜間に巡り、脚に記録装置をつけ、羽をサンプリング。DNA解析の結果、父と雛が親子でない確率は約15%と判明しました。
「海鳥としては高い数字です。この鳥は雌雄の体格差が小さく、メスが交尾を拒否できるので、他のオスの子の存在はメスの浮気を示します」


研究すべき人を支えるプロに
佐藤先生との共著論文は学術的にも社会的にも注目を集めます。でも、坂尾さんは研究者の道を選びませんでした。理由の一つは、島で4年追いかけたつがいをクマに食われたショック。もう一つは、お金です。
「優秀な先輩たちが全く研究費をとれなかったり、ポストを探すのに苦戦していたりするのを見て、研究を続けるのが難しい現実を見ました。だったら私は研究を続けるべき人を応援したいな、と」
技術移転機関(TLO)の存在を知り、インターンを経験。大学の知をお金に変え、そのお金が研究に返ってくる循環に魅力を感じた坂尾さんは、2019年に東京大学TLOに入社。研究者との密な相談をもとに、これまでに約250件の案件を担当し、現在約30の研究室を担当しています。
「種の段階から花が咲くまでを近くで見られるのが醍醐味です。最近は薬につながるかもしれない技術の支援にも携わっているんです」
目指すのは東大の知と社会の橋渡し。武器になるのは、無人島仕込みの研究者心です。
- 東京大学TLO
1998年設立。「10年後の未来をよりよくする」が社是。これまでのライセンス事例に、プレゼンのAI評価サービス「プレトレ」、特殊ペプチドを用いた創薬開発プラットフォーム、東大生協食堂「焼きあごらー麺弥生」など。


淡青色の宇宙飛行士たち
これまで5人の宇宙飛行士が東大から輩出しています。1997年にスペースシャトル・コロンビアに搭乗し、日本人初の船外活動を行ったのは土井隆雄さん。2008年には2回目の飛行で国際宇宙ステーション(ISS)日本実験棟の任務に携わりました。2005年にスペースシャトル・ディスカバリーに乗った野口聡一さんは、2009年にロシアのソユーズ、2020年にはスペースXのクルードラゴンで宇宙へ。山崎直子さんは2010年にディスカバリーに搭乗。このときISSには野口さんが滞在中で、2人の日本人が同時に宇宙飛行を行いました。古川聡さんは2011年にソユーズに搭乗し、ISSに約半年滞在。2023年にクルードラゴンで再び赴き、今年3月に帰還しました。大西卓哉さんは2016年にソユーズでISSへ。2回目のISS滞在が2025年頃に予定されています。そして日本人として14年ぶりに宇宙飛行士候補者に選ばれた諏訪理さんと米田あゆさん。来たる本番に備え、訓練を重ねています。
- 土井隆雄さん(工学部卒、工学系研究科修了): 1997年、2008年飛行
- 野口聡一さん(工学部卒、工学系研究科修了): 2005年、2009年、2020年飛行
- 山崎直子さん(工学部卒、工学系研究科修了): 2010年飛行
- 古川 聡さん(医学部卒): 2011年、2023年飛行
- 大西卓哉さん(工学部卒): 2016年飛行
- 諏訪 理さん(理学部卒): ?年飛行
- 米田あゆさん(医学部卒): ?年飛行


次代の冒険者を育むプログラム
東京大学は、学生がそれまでの自分と異なる文化や価値観に触れる取り組み「体験活動プログラム」を2012年度から実施しています。参加人数はのべ4000人超。卒業生をはじめとする社会の皆さんの支援に支えられた、知の冒険者の育成につながる試みの一端をご覧ください。








