東京大学学術成果刊行助成 (東京大学而立賞) に採択された著作を著者自らが語る広場

野尻湖の写真

書籍名

市民参加型調査が文化を変える ―野尻湖発掘の文化資源学的考察―

著者名

土屋 正臣

判型など

424ページ、A5判、上製

言語

日本語

発行年月日

2017年6月

ISBN コード

978-4-902078-46-6

出版社

美学出版

出版社URL

書籍紹介ページ

学内図書館貸出状況(OPAC)

市民参加型調査が文化を変える

英語版ページ指定

英語ページを見る

日本で行われている発掘調査のうち、9割以上が「行政発掘」である。多くの人々が想像するであろう、考古学者が学術的な目的で実施する発掘調査は、全体の1割にも満たない。行政発掘とは、道路建設や工業団地造成などの工事によって破壊される遺跡を事前に調査し、記録にまとめる行政手続きである。この行政発掘を担当する埋蔵文化財行政は、多くの場合、各教育委員会の所掌となっている。

埋蔵文化財行政が教育委員会の所掌となっているのであれば、当然、発掘調査のプロセスや成果は、人々の自発的な学びにつながるような教育的目的に還元されると誰もが思うだろう。しかし、現実はそうなっていない。

第一に、発掘調査の日数や費用が極めて限定されていることに理由がある。開発事業を前提とするため、開発工事のスケジュールに合わせて調査できる日数が規定される。また、発掘調査の費用は、開発事業者が負担するため、過度な負担とならないよう配慮せざるを得ない。そのため、教育的な施策を組み込みがたいのである。

第二に、発掘調査は学術性の担保が要求されるため、素人である市民の直接参加は歓迎されていないという理由がある。

そして第三に、高い専門性をもった担当職員が、知識や素養を身につけていない市民に分かりやすく、丁寧に教え、導くべき (科学コミュニケーション論では、「欠如モデルという」) といった社会教育行政の“伝統”がある。実際には、少なくとも行政=オカミに「オシエソダテ」られる成人は、存在しないにもかかわらずである (松下1986)。

近年、文化財保護法や地方教育行政の組織及び運営に関する法律が改正され、教育分野だけでなく、都市計画や環境、福祉、観光といった分野の中で文化財を活かそうという議論が活発化しつつある。本書は、こうした議論の重要性を認識しつつも、あえて教育行政の中に文化財保護行政、埋蔵文化財行政が存在することの意味を問い直した。

本書が分析の対象に選んだのは、長野県信濃町の野尻湖畔において、1962年から現在まで継続的に学術発掘を実施している「野尻湖発掘」である。野尻湖発掘の特徴は、ナウマンゾウやオオツノジカ等の化石、旧石器などが発見されるという資料上の性格だけでなく、小学生から大人まで、地質学や考古学の知識の有無に関わらず誰もが調査や研究に携わることができる点にある。

野尻湖発掘は行政発掘ではないし、調査・研究領域は考古学に限定されてもいない。したがって、そのまま行政発掘の新たなモデルにはなり得ない。本研究で筆者がこだわったのは、誰もが発掘調査や研究に参加できるシステムである。

分析の結果、異年齢や異分野の人々が、共通のフィールドで調査や研究に直接携わることで、段階的かつ継続的な学びが可能となっていることが明らかとなった。さらに当初、野尻湖発掘に直接的な関りを持たなかった遺跡地の住民が、炊き出しや交通の便宜をはかったり、外部からの見学者向けに遺跡のガイドをつとめたりしている。全国から集まる調査参加者の探求や学びの場が、地域の文化をも変えたのである。

[参考文献] 松下圭一 (1986)『社会教育の終焉』筑摩書房

 

(紹介文執筆者: 土屋 正臣 / 2020年7月9日)

本の目次

序 章
    第1節 埋蔵文化財行政の立ち位置
    第2節 新たな社会を切り拓くための社会教育
    第3節 文化財保護行政と社会教育行政の望ましい関係構築に向けて
    第4節 行政発掘の現状と市民参加の問題点
    第5節 分析の対象と視座

第I部 市民参加型発掘調査の系譜

  第1章 発掘調査史
    第1節 発掘調査の持つ政治性
    第2節 月の輪古墳をモデルとする発掘調査の教育的意義
    第3節 文化財保護行政への市民の直接関与が困難な歴史的背景
    第4節 記録保存のための発掘調査の増大
    第5節 記録保存型発掘調査に対する社会教育的性格の付与
    第6節 市民参加型発掘調査を問い直す必要性

  第2章 野尻湖発掘前夜——戦後研究者集団の問題意識と地域社会
     第1節 調査地の被害から〈知〉の共有化へ
     第2節 地質学研究者コミュニティの大衆観
     第3節 地団研における地域社会と研究者の関わり方の実践
     第4節 大衆観のズレと地団研の民科脱退
     第5節 理想と実践のひずみ
     第6節 地団研外部からみた僻地方針
     第7節 「僻地方針」という思想はどのように発掘調査に適用されたのか
     第8節 戦後研究者の問題意識は具現化されたのか

  第3章 地域研究史における野尻湖発掘の位置
     第1節 信濃博物学会と戦後地域研究
     第2節 信濃博物学会と野尻湖発掘
     第3節 信濃教育会による研究者招聘の意味
     第4節 戦後地域研究の特徴
     第5節 信州ローム研究会の活動
     第6節 新潟県新井高校による野尻湖総合研究
     第7節 フィールドワークの社会教育的側面の源泉

第II部 発掘調査における市民参加の転換

   第4章 野尻湖発掘における集団的学び、〈知〉の創出の萌芽
     第1節 野尻湖発掘の成立
     第2節 第一次発掘から第四次発掘参加者の実像
     第3節 初期の野尻湖発掘参加者における〈知〉の「形成」・「伝達」・「還元」の位相

  第5章 調査体制、調査手法、調査対象・領域の連環と集団的学び
     第1節 長期休止期間における第五次発掘への胎動
     第2節 野尻湖発掘の再開——第五次発掘
     第3節 発見至上主義からの脱却
     第4節 第六次発掘と調査体制、調査手法の変化
     第5節 第六次発掘前後における参加者の学びのかたち
     第6節 僻地方針から地元主義・大衆発掘へ

  第6章 ローカルな〈知〉、再編成される〈知〉
     第1節 第七次発掘と野尻湖友の会
     第2節 調査手法の転換とローカルな〈知〉の組み込み——野尻湖昆虫グループ
     第3節 友の会の展開と調査手法の浸透——第八次・九次発掘
     第4節 地団研と野尻湖発掘
     第5節 地域イメージの変化
     第6節 組織再編と新たな〈知〉の創造——第一一次発掘「足跡古環境班」

  第7章 市民参加型発掘調査のジレンマ
     第1節 開発行為と野尻湖発掘——第六・七回陸上発掘
     第2節 市民参加型発掘の陥穽——第一三次発掘

 

関連情報

書評:
小森真樹 評 (『REPRE』第31号 2017年11月11日)
https://www.repre.org/repre/vol31/books/sole-author/tsuchiya/

市川寛也 評 (『文化資源学』第17号 2019年6月)
http://bunkashigen.jp/journal/j017.html