近代日本の統治と空間 私邸・別荘・庁舎
わたしたちは近現代日本の歩みについて、多くのことを知っていることになっている。とりわけ国家統治に関わる事柄についてはそうである。ところが、ではその決定はどこで行われたの、その登場人物たちはどこに住んでいたの、と聞かれると多くの人は答えに窮してしまうのではないだろうか。
現代にも少なからず当てはまるかもしれない。わたしたちはともすれば城郭や屋敷跡が観光地になっている近世以前と比べても、近現代の統治の実態をよく知らない。そのことはもちろん、空間抜きの政治史や政治学が存在しえないことを意味しないけれども、「永田町」や「霞ヶ関」が具体的にどのような空間なのか頭から知らぬというわけにもいくまい。「竹平町」や「早稲田」など、地名が当然のように組織や人の呼称であった近代日本を扱うなら、なおさらである。
その穴を少しながら塞ぐのが、この大きめの物体の役目である。東京奠都から1930年代に至るまで事例を多く積み重ね、国家統治に関わる空間の動態を、時代の文脈を示そうとする。大坂遷都論から書き起こされる第一章では皇城炎上から宮城完成まで、関東内遷都論に見られるように統治の中心が不安定に留め置かれたことがその後の国家統治の光景を規定したことなどを論じている。第二章では統治の中心が次第に安定化するに従って、統治エリートの邸宅配置も変化してゆく様子が描かれる。伊藤博文の小田原滄浪閣を嚆矢として「遠隔本邸」から「地方からの手」を伸ばす元老たちの行動類型が析出されるだろう。第三章では当時の有力統治エリートがいかに複数の邸宅を利用したか、山県有朋を主たる例として明らかにする。第四章では統治エリートの別荘地が、第五章では政党の空間が、第六章では大臣官邸や庁舎や果ては大衆運動の空間までが分析の俎上に載る。そこまで読めば、分散した国家統治の中心が引力と斥力を及ぼし合い、政策決定にまつわる空間が膨張と収縮を繰り返し、1930年代になってようやく、東京都心で政策形成・政策決定過程のほとんどが完結するかたちに帰着したことが了解されるだろう。
こうして穴を塞いでみると、国家統治の像がすっかり違ったかたちで立ち上がってくるはずだ (そうであって欲しい)。具体的な政局と直接には関連しなくとも、私たちがどこに住むか、どこに座るかといった空間的な振る舞いから始まって、空間は本質的に「政治的なるもの」なのである。わたしはそれを「政治=空間」と呼び、本書序章で分析枠組みを提示している。従ってわたしにとってこの研究は国家統治に関わる「政治=空間」研究ということになる。
このテーマには20年か30年後に取り組みたいと考えていた。奠都から1930年代まで国家統治に関わる空間の総体を政治的に読み解こうとすれば、資料も知識も「土地勘」も膨大でなくてはならないのだから。しかし、いまこの物体は圧倒的な早産で産み落とされてしまった。それでも本書が政治と空間という学際領域の肥沃を示し、いずれ読者を含む学際的なネットワークへと繋がれば著者としては本望である。
(紹介文執筆者: 佐藤 信 / 2020年10月23日)
本の目次
第一章 国家統治の中心の確立――皇城から宮城へ
第二章 邸宅と政治動態
第三章 統治エリートの邸宅利用――山県有朋を中心に
第四章 別荘地
第五章 政党とその空間
第六章 空間秩序の完成――大臣官邸を中心に
終章 政治=空間と公私の政治
関連情報
長谷川香 (東京藝術大学美術学部建築科講師) 「政治」から「空間」へ、「空間」から「政治」へ (『建築討論』)
https://medium.com/kenchikutouron/%E4%BD%90%E8%97%A4%E4%BF%A1%E8%91%97-%E8%BF%91%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E3%81%A8%E7%A9%BA%E9%96%93-%E7%A7%81%E9%82%B8-%E5%88%A5%E8%8D%98-%E5%BA%81%E8%88%8E-f2b51e7aaf26
伊藤之雄 評 (『週刊読書人』 2020年12月11日)
https://dokushojin.stores.jp/news/5fd04e6df0b1084d976fc5ab