海辺に立ちその雄大さに心打たれること、いつもの街並みがふと心に迫るものに見えてくること、旅先で地のものを食べることを通じてよりその土地と近づけたような感覚になること――私たちはふだん、自然や都市などの環境を、感性を通じて享受すること、つまり美的に鑑賞することを繰り返しています。さらに私たちは、自分がした環境の美的鑑賞の結果をただ自分のうちに留めるのではなく、他者と共有することでそれを公共的なものとし、他者とともに世界をより深く理解していく営みへと参加することもできます。本書はこの営みを「環境の批評」と呼び、そのメカニズムを明らかにしようとするものです。
本書の背景にあるのは、環境美学、特に「英米系」と著者が呼ぶイギリス、カナダ、アメリカを中心に1960年代後半から発展してきた学問分野です。当時、我々の感性のはたらき一般について考えるはずの美学は、その考察対象を芸術作品に限定する傾向にありました。環境美学は、環境を主題とする美学を復興させることを目指して興った美学の一分野なのです。また同時に、当時はますます深刻化する環境破壊に人々の目が向き始めた時代でもありました。様々な学問分野がこの問題を考えるために立ち上がっていきます。環境美学はたんに美学の一分野であるというだけではなく、こうした様々な分野と協働しつつ環境問題について考える学際的な分野でもあります。
美学というと、「美とは何か」という、重要で、しかしどこか遠く感じる大きな問いを追い求める分野だと理解する人もいるかもしれません。しかし上述のように、環境美学は私たちの日常生活と関わる次元から生まれる問題に迫っていくものであり、その研究成果をうまく用いれば、たとえば自然保護や都市計画、あるいは地域おこしなど、耳馴染みのある社会問題との接続の可能性も開かれます。しかし、まずは広義の哲学の一分野とされる美学だからこそできることを極めてからでないと、そうした実践との接続も空虚なものに終わるでしょう。本書は、すでに半世紀と少しを数える英米系環境美学のなかで培われてきた諸理論を〈環境の批評を説明する理論としてどのような構造を持っているのか〉という観点からもう一度評価し直すことで、これまでに明らかにされていることと、まだ明らかにされていないことを丹念に腑分けします。そのうえで本書独自の理論を構築し、私たちは環境のなかの何をどのようにして美的に鑑賞しているのか、そしてその鑑賞の結果をどのようにして人々と共有するのか、という問いに答えます。その過程で、居住者と観光者では環境の美的鑑賞に仕方はどのように違うのかという、私たちの多くの人生に関わってくる問題にも触れることになります。
本書は確かに美学の範疇に属するものですが、しかし広く環境という問題について考えたい人にとって、思考の出発点となる理論を提供するものになると期待しています。
(紹介文執筆者: 青田 麻未 / 2021年4月30日)
本の目次
第1章 環境としての世界とその批評―英米系環境美学とはなにか
第1節 美学からの環境へのアプローチ
第2節 英米系環境美学のスタイル
第2章 知識による美的鑑賞の変容―カールソンの環境美学
第1節 ネイチャーライティングと環境批評家
第2節 知識によって支えられる環境批評
第3節 影を潜める主体―カールソンの達成点と問題点
第3章 諸説の再配置―環境批評理論としての評価
第1節 認知モデル/非認知モデル、そしてそのボーダーライン
第2節 環境の批評はできない―ゴドロヴィッチ、キャロル、バッドとフィッシャー
第3節 環境を批評する―サイトウ、バーリアント、ブレイディ
第4章 フレームをつくる―鑑賞対象の選択と参与の美学
第1節 バーリアントの参与の美学とその展開可能性
第2節 ミクロな変化のフレーミング―個別の活動と統括的活動
第3節 美的鑑賞の始まりはどこか―美的快の源泉としてのフレーミング
第5章 観光と居住―統括的活動とフレーミング
第1節 行って帰ってくる―観光と居住の円環構造
第2節 観光という統括的活動―ずれては重なるフレーム
第3節 居住という統括的活動―時間的厚みのあるフレーム
第6章 環境批評家とはだれか―美的判断の規範性
第1節 ブレイディによる規範性の再定義
第2節 コミュニケーションと規範の生成
第3節 批評家たちの協働―環境の漸進的な把握のために
結
あとがき
参考文献
人名索引
事項索引
関連情報
【#美学ラジオ】第一回「環境を美学する」篇 ゲスト: 青田麻未 (ナンバユウキYouTube 2020年11月15日)
https://www.youtube.com/watch?v=2ZXwkW9HX0A&t=1s
書評:
坂東 晴妃 評「サウンドスケープ概念の観点から (新著小特集 環境美学)」 (『フィルカル: Philosophy & Culture』Vol.5, No.3 2020年12月25日)
http://philcul.net/?page_id=545