東京大学学術成果刊行助成 (東京大学而立賞) に採択された著作を著者自らが語る広場

死体と死体の首をかかげる人たちのイラスト

書籍名

国民国家と不気味なもの 日露戦後文学の〈うち〉なる他者像

著者名

堀井 一摩

判型など

408ページ、四六判

言語

日本語

発行年月日

2020年3月31日

ISBN コード

9784788516786

出版社

新曜社

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国民国家と不気味なもの

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「不気味なもの」とは何か。精神分析理論の教えるところによれば、それは、自己とは異質なもののように見えながら、実は自己にとって古くからなじみのあるものである。それが異質に見えるのは、社会の標準や規範から逸脱するがゆえに、自己の心の奥底に、そして自己が帰属する社会の周縁に長らく抑圧され、不可視のものとされていたからだ。この抑圧されたものが何らかの契機に不意に回帰したとき、私たちは不気味さを覚える。「不気味なもの」を目の当たりにしたとき、私たちはたじろぎ、不安を覚え、ときにはそれを排除しようとするかもしれない。しかし、不気味なものはけっして他人事ではない。不気味な他者たちは押し殺されてきた私たちの分身であり、私たち自身の「生きられなかった」可能性なのである。文学は、社会の掟に反するがゆえに抑圧された「不気味なもの」がかろうじてその姿を垣間見せる場であり、私たちは文学テクストを読むことを通じて、これまで抑圧してきた自己の、ありえたかもしれない姿に再会できるのだ。
 
本書は、日露戦後の文学空間に現われた「不気味なもの」のさまざまな諸相を追跡する試みである。第一部では、日露戦争を契機とする国民化と、抑圧の破れ目から湧出する不気味なものを描いた文学テクストを扱った。第二部では、大逆事件を中心として、日露戦後の保守反動的な政治と「不気味なもの」とのせめぎ合いを描いたテクストを取り上げた。
 
本書で取り上げた「不気味なもの」たちをいくつか紹介したい。たとえば、泉鏡花の「高野聖」には、旅僧の宗朝が山中異界で出会う不気味な動物が描かれている。彼らは、異界に住む魔女によって動物の姿に変えられた男たちの成れの果てであった。「高野聖」が発表された日清日露戦間期は、ロシアとの対峙に備えて富国強兵政策が推し進められ、国民統合と動員の体制が整備されていった時期である。「高野聖」に書き込まれている参謀本部編纂の地図、徴兵制、国家衛生学も、近代的国民軍の要請によって整備されたものであり、人間の身体を壮健な天皇の兵士へと組織するものである。このような背景に定位してみれば、「高野聖」の動物的他者たちは、兵士として戦うことのできない状態にまで退化させられた脱国民的身体を表している。「高野聖」は、動物的身体に対する宗朝のアンビヴァレンスを描くことで、国民化されない身体への憧憬を密封していたのだ。
 
また、近代史上最大の冤罪事件とされる大逆事件において、無政府主義者は、外部からやって来て国家の身体に感染するコレラやペストのような伝染病の隠喩で語られた。このような隠喩的認知の枠組みが、第二次桂内閣の社会主義弾圧政策、その極致である大逆事件の捏造を構造化していた。幸徳秋水らは国民国家にとって不気味な伝染病として社会から「隔離」され、最終的には死刑という形で「殺菌」されたのである。
 
国民への包摂と国民からの排除の圧力がますます強まっている昨今、国民概念を改めて問い直し、オルタナティヴな道筋を思考する手がかりとして本書を手にとっていただければ幸いである。

 

(紹介文執筆者: 堀井 一摩 / 2021年9月14日)

本の目次

序章
 
第1部 日露戦争と不気味なもの
 
第1章 国民の分身像——泉鏡花「高野聖」における不気味なもの
1 「高野聖」の不気味さと近代性
2 近代国家と国民軍
3 宗朝と薬売り——聖と俗の分身関係
4 宗朝と次郎——動物的身体へのアンビヴァレンス
5 孤家の女と「代がはり」幻想
6 脱国民のヘテロトピア——本章のまとめ
 
第2章 日露戦争と不気味なもの——櫻井忠温『肉弾』
1 自己犠牲の物語としての『肉弾』
2 「大和魂」と軍人間の友愛
3 明治の「軍人精神」と『肉弾』
4 戦死の美学と「不気味なもの」——『肉弾』の戦争表象
5 「肉断」のゆくえ——本章のまとめ
 
第3章 〈銃後〉の戦争表象——夏目漱石「趣味の遺伝」
1 旅順という物語場
2 「帝国臣民」のパロディとアイロニー
3 「仮対法」の修辞構造
4 〈銃後〉の戦争表象——不気味な狂神と「乃木将軍」
5 「万歳」の反響と〈銃後〉の批評——本章のまとめ
 
第4章 性差別に祟る亡霊——泉鏡花「沼夫人」
1 「沼夫人」における恋愛幻想
2 日露戦時体制における軍人の妻の貞操規範
3 「不倫の恋」のコード——夢の現実化としての轢死
4 性差別に祟る亡霊
5 脱国民化する亡霊——本章のまとめ
 
第5章 近代国家と殉死——乃木希典の「忠君」と武士道
1 乃木殉死の波紋
2 不気味なものとしての殉死
3 乃木賛美論——「忠君愛国」論と殉死
4 武士道論と殉死
5 情動の共同体
6 乃木を媒介とした国民統合——本章のまとめ
 
第6章 メランコリーを生成する「心臓」——夏目漱石『心』における殉死の問題
1 『心』における「ナショナリズム」と殉死
2 先生の「恋」と血のレトリック
3 ナルシスの恋
4 メランコリーと死の欲動
5 「国民哀悼」のメカニズム
6 殉死と国家イデオロギー——本章のまとめ
 
第7章 検閲のドラマ、ドラマの検閲――芥川龍之介「将軍」における「秩序紊乱」と「風俗壊乱」
1 検閲制度と「将軍」
2 軍隊における「秩序紊乱」
3 軍隊における「風俗壊乱」
4 検閲のドラマ、ドラマの検閲——本章のまとめ
 
 
第2部 〈大逆〉事件と不気味なもの
 
第8章 社会主義という「伝染病」——山県有朋「社会破壊主義論」と大逆事件
1 大逆事件の認識論
2 社会主義という「伝染病」——山県有朋の社会主義認識
3 社会主義に対する「防疫」体制
4 「予言の自己成就」としての大逆事件
5 回帰する大逆——本章のまとめ
 
第9章 「逆徒」の遡及的形成——大逆事件と平出修
1 秘密裁判と小説的プロテスト
2 大逆事件の法廷——平沼騏一郎と平出修の攻防
3 無政府主義の「信念」と司法権力
4 「逆徒」の遡及的形成
5 憑依する大逆——本章のまとめ
 
第10章 神話の「抹殺」、歴史の「怪物」——『基督抹殺論』と「かのやうに」における近代史学
1 「思想的大逆」としての南北朝正閏論
2 考証史学の「抹殺論」と皇国史観
3 『基督抹殺論』と「抹殺論」
4 「かのやうに」と「抹殺論」
5 天皇制と歴史の「怪物」
6 「抹殺論」と歴史的不気味なもの——本章のまとめ
 
第11章 動物のアナキズム——大杉栄の「生の哲学」と芥川龍之介「羅生門」
1 大杉栄と芥川龍之介における動物の主題
2 大杉栄の動物論——「家畜」と「野獣」
3 人間/動物の境界としての羅生門
4 鴉の生存原理、肉食獣の生存原理
5 氾濫/反乱する〈動物〉——本章のまとめ
 
終章
 

関連情報

受賞:
第43回 サントリー学芸賞〔芸術・文学部門〕 (公益財団法人サントリー文化財団 2021年)
https://www.suntory.co.jp/news/article/14024-1.html

書評:
副田賢二 (防衛大学校教授) 評「自らを絶えず更新してゆく文学的想像力」 (『週刊読書人』 2020年6月26日号・3345号)
https://dokushojin.com/review.html?id=7272
 
高原到 評「きんようぶんか」 (『週刊金曜日』 2020年5月22日)
http://www.kinyobi.co.jp/tokushu/003029.php