東京大学学術成果刊行助成 (東京大学而立賞) に採択された著作を著者自らが語る広場

若草色の表紙と墨絵

書籍名

近世日本の政治改革と知識人 中井竹山と「草茅危言」

著者名

清水 光明

判型など

528ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2020年7月29日

ISBN コード

978-4-13-026610-9

出版社

東京大学出版会

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近世日本の政治改革と知識人

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本書は、近世日本の政治改革に在野の知識人がどのように関与したのかという点を明らかにしたものです。具体的には、懐徳堂の学主・中井竹山 (1730-1804) が寛政改革を主導した老中首座・松平定信へ内密に提出した献策「草茅危言」五巻五冊を取り上げ、寛政改革期の諸政策との関係を捉え直した上で、その形成過程と受容過程を中長期的なスパンで跡付けました。
 
この「草茅危言」は、手に取ってみると分かりますが、冒頭の巻之一には朝廷改革に関する遠大な政策構想 (新しい制度の創設等) が記されています。その構成や印象から、どうしても実現困難な政策構想のように位置づけられてきました。こんな「儒者料簡」の大部な献策を提出しても為政者は困惑するだけだろうと思う人も多いかもしれません。近世日本は、科挙制度がない武士が支配する世襲身分制社会でしたから、儒学者が政治に関与することは稀でした。ですので、この位置づけは至極当然のようにみえます。
 
ところが、竹山自筆本の「草茅危言」を書誌学的に考察していくと、彼が最初に提出したのは最後の巻である巻之五であったことが分かります。そして、この巻の政策構想は、全て竹山が住む大坂に関するものでした。しかも禁令の布達が中心なので、比較的容易に実行に移すことができます。竹山は、まずこの巻の内容を定信がどれくらい真剣に実行するかを自分の眼でチェックし、その成果と課題を厳しく指摘した別の密書も提出してさらに実行具合をチェックした上で、(朝廷改革構想を含めた) 日本全国に関する政策構想を記した他の巻を順次提出していきました。
 
これが何を意味するかと言いますと、竹山は、まず短期的に行う必要のある政策構想と、それを踏まえて中長期的に行うべき政策構想とを、時間の奥行きのなかに配置していくかたちで提言を行っていったということです。しかも、彼は、時に或る為政者たちと連携し、時に或る為政者たちを揺さぶり、政局を動かしながら政策構想の実現を図っていきます。
 
このように、寛政改革期の政治過程のなかに「草茅危言」の各巻の提出順序や関連文書等を配置し直していくと、現行の「草茅危言」を冒頭から読んでいくのでは気が付かない竹山の戦略的な芸当を動態的に浮かび上がらせることができるのです。そして、この辺りは、(むろん近世と現代とでは前提や条件は大きく異なりますが) 政府と有識者の関係等の今日的な問題を考える上でも一定程度の示唆を与えるかもしれません。
 
もっとも、竹山は定信が三十年間老中を務めることを期待していたのですが、寛政改革は約六年間で頓挫しました。要するに、「草茅危言」の短期の政策構想 (民間社会の統制政策) と中期の政策構想の一部 (武家の文教政策) は一定程度実行できたが、そこから長期の政策構想 (朝廷改革構想等) に移行することはできなかった、ということになります。
 
ところが、竹山の没後しばらくすると、「草茅危言」は写本や木活字本の形態で徐々に読まれるようになります。このとき、「草茅危言」が社会に公然と広く流布するきっかけになったのが、天保改革期の出版統制の変更 (一部規定の緩和) でした。この変更によって、今度は朝廷改革構想に注目が集まり、対外危機と相俟って政局のなかで様々に提示された政策構想に大きな影響を及ぼしました。この出版統制の変更は、「草茅危言」の受容過程の画期であるのみならず、近世日本の学知がその蓄積を踏まえながら幕末の思想空間へと切り替わっていく重要な転轍点であると思われます。
 
定信に内密に提出され、竹山の戦略的な芸当によって短期と中期 (の一部) の政策構想を一定程度実現した寛政改革期。そして、天保改革期の出版統制の変更 (緩和) によって広く公然と読まれ、長期の政策構想の一部が実現した明治維新期。短期と中長期の政策構想とが兼ね備わった「草茅危言」の複雑な来歴を中長期的なスパンで辿ることは、近世から明治維新への連続面・断絶面を総体として把握する上でも少なからぬ示唆を与えるのではないかと考えております。

 

(紹介文執筆者: 清水 光明 / 2021年4月28日)

本の目次

序 章 近世中後期の政治・社会と知識人――「居士」・中井竹山と「草茅危言」の挑戦
 
第I部 「草茅危言」を見直す――書誌学的考察と政治過程分析
   第一章 寛政改革との関係――各巻の執筆年代・提出順序および関連文書の検討から
 第二章 為政者たちの接近――寛政元年の政治過程を中心に
 第三章 書誌学的考察――竹山自筆本の検討から
 
第II部 田沼時代からの射程――「草茅危言」の形成史と政治・社会 (1)
 第四章 女帝を詠む――後桜町天皇の十年間と政策構想の模索 
 第五章 大番頭・加番との交流――師弟関係の構築から政治的連携へ
 第六章 科挙と察挙――人材登用制度の模索と東アジア    
 
第III部 寛政改革期の諸相――「草茅危言」の形成史と政治・社会 (2)
 第七章 「御新政」と「災後」――天明の京都大火と政策構想の模索
 第八章 松平定信を語る――政治情報と献策
 第九章 ロシアの出現とその波紋――対外認識と政策構想
 
第IV部 政治改革の終焉と「草茅危言」の行方――「立言以治人」の思想
 第十章 寛政改革の終焉と竹山のその後――「立言以治人」の思想
 第十一章 「集大成」へ――竹山の晩年と「逸史」献上
 
終 章 寛政改革から明治維新へ
 
あとがき