東京大学学術成果刊行助成 (東京大学而立賞) に採択された著作を著者自らが語る広場

オーケストラの写真

書籍名

生きている音楽 キューバ芸術音楽の民族誌

著者名

田中 理恵子

判型など

388ページ、A5判、上製

言語

日本語

発行年月日

2021年8月

ISBN コード

978-4-8010-0588-4

出版社

水声社

出版社URL

書籍紹介ページ

学内図書館貸出状況(OPAC)

生きている音楽

英語版ページ指定

英語ページを見る

本書はキューバの首都ハバナにおける芸術音楽を焦点として、その演奏・学習・創造に携わる音楽家たちの実践を描いた民族誌です。
 
キューバは豊かな民衆音楽と芸術音楽の伝統が息づく音楽大国として知られています。しかし国家に支えられてきた芸術音楽が、ソ連崩壊から今日まで続く困難の中で実践され続ける (そこに在り続ける) ことは、決して自明のことではありません。今日のキューバで音楽という音の流れが形づくられることは、一体いかなることなのか?――本書の出発点はきわめてシンプルです。
 
そもそもキューバ芸術音楽の研究は、人類学にとってかなり新規なものです。それは関連する周辺分野においても同様です。例えば「芸術音楽」の研究では、非西欧キューバ社会の芸術音楽は周縁的に扱われるのみでした。また「キューバ」の音楽研究では、様々な要素が混淆するキューバ芸術音楽 (西洋伝来の音楽であり、アフリカの音楽要素を内包し、ロシアの音楽教育法やアメリカの作曲法を深く取り入れた様相) に光が当たることはありませんでした。
 
こうしてキューバ芸術音楽を通してみると、未だ「芸術」音楽に西欧というオリジナリティを求め、「民族」音楽に土地=民族=音楽という同一性を想像するという、私たちの先入観の問題が浮き彫りとなるのです。
 
このことを踏まえて本書は、フィールドで遭遇した音や言葉ないしは事物の、揺れ動きや響き合いを真摯に受け止めることから始めています。そこで見られたのは、日々踊り暮らすような日常ではなく、また革命イデオロギーに浸る物語でもありません。人々が揺さぶられ続けてきたハバナの日常を経験した上で、いかにハバナに在り続けるか、いかに音楽を奏で続けるかを模索する、そこに「在る」ための動的なせめぎ合いが次第に明らかになります。
 
さらに本書では、芸術音楽家たちがハバナでの日常に身を置きながら音楽を創造してきたという事実を深く受け止め、音楽家たちが生きるように、生と音楽の多様な層を横断しながら全体を描くという独自のアプローチを試みています。この方法は、キューバ芸術音楽をめぐる営みを芸術・民族・社会・個人といった領域に還元せずに一貫してそれらを重ね合わせて論じる、対位法的民族誌とでもいった新しいスタイルを示すものでもあります。
 
そのため「キューバ芸術音楽」の書にもかかわらず、本書にはまったく音楽の記述がなされない箇所があります。読者はその異色さに驚くかもしれません。しかしハバナでは音楽がないように見える光景の向こうに、あるいは人々の経験の奥底に音楽が響いているのです。そのような音楽が読者にも喚起されることが、まさに本書の目論見の一つです。
 
現在の日本においても、私たちは <3.11> やコロナ禍の経験などから「日常」が自明ではなくなることを目の当たりにしました。いかにここに在り続けるのかを突きつけられた私たちにとって、本書が少しでも参照点となればと願ってやみません。

 

(紹介文執筆者: 田中 理恵子 / 2022年2月9日)

本の目次

はじめに
 
I
序章 ハバナの生と音楽に向けて
1 挿話 
2  調査の概要
3 本書の構成 

第一章 ハバナの生と音楽の現在
1 「生きている」生と音楽 
2 ラテンアメリカに生きる 
3 生成/出来事としての音楽 
4 おわりに 

第二章 ハバナの生の空間
1 ハバナの人々と音楽 
2 統治時代と革命政府 
3 三つの調査地 
4 音響空間の過去と現在 
5 そこに在り続ける 

第三章 内と外のはざまで
1 キューバの歴史と時間をめぐって 
2 アメリカとのせめぎあい 
3 キューバの内/外 
4 ハバナに「生きている」 
5 情熱と社会変化 

II
第四章 楽器と人との相互に触発する関係――学習プロセスを焦点に
1 楽器に憑かれる 
2 オラリティとモノの人類学 
3 接触と学習プロセス 
4 不均衡の動き 
5 融合と否定の相互依存 
6 「生きている」関係 

第五章 音楽の複層性とその移行
1 「ひとつ」の音楽 
2 音楽の再配分 
3 複数の音楽の同一性 
4 同一の多重性 
5  音楽家による分節化
6 演奏をめぐる主体の変換と継続 

第六章 オーケストラの生成――集団の生成としての音楽実践
1 音楽が聴こえる 
2 ラテンアメリカのオーケストラ 
3 劇場での音楽 
4 ハバナのオーケストラ 
5 リハーサルでの連鎖のプロセス 
6 「現在の」音楽として 

III
第七章 流れる音の向こうへ
1 ピアノ奏者の手 
2 ポジションの移行 
3 音楽空間の変化 
4 居住空間の変換 
5 ハバナに流れゆくもの 

終章 音楽的人間
1 複雑な全体の経験へ 
2 民族誌的記述のまとめ 
3 音楽の経験的次元 
4 生と音楽の人類学 
5 物質・場所・身体の共鳴と不共鳴 
6 人間へ 

   注 
    参考文献 
    人名索引 
    事項索引 

    あとがき 

関連情報

受賞:
第1回東京大学而立賞受賞 (東京大学 2020年)
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/research/systems-data/n03_kankojosei.html

書評:
桜井敏浩 評 (『ラテンアメリカ時報』2021年秋号No.1436 2021年10月24日)
https://latin-america.jp/archives/50432