ベトナムにおける「美術」の近代化とは、いかなる現象であったのか。本国と植民地、前近代と近代、東洋と西洋など、幾重にも交錯しているゆえ、その実態が見えづらくなっているベトナム近代の「美術」を丁寧に読み解き、1887年から1945年までのフランス植民地下に限定したベトナムの「美術」の誕生とその歩みを明らかにしたのが本書である。
これまでの研究は、1925年のインドシナ美術学校の開校によって、ベトナムに「美術」がもたらされたと主張するものであった。確かに、ベトナムがBeaux-arts (美術) という概念に出会ったのは、フランスの統治下である。しかしながら、支配者であったフランスが植民地に「美術」をもたらして「近代化」させたという見解は、いささか単純すぎよう。本書は、多くの新資料の発見によって、ベトナム人画家たちはフランスから受け入れたものを脱構築しながら自らの文化形式として「美術」を創りあげることに成功したという見取り図を提示した。
議論のためには、まずは、フランスとベトナム、それぞれが求めていた「美術」を確認し、「美術」という言葉が新しい翻訳造語であり、原語との間にどのような記号論的なずれがあったのかを確認しなければならない。そこで本書は、第一部にて、言語横断的視座に立ちながら、複数の言語 (仏・越・中) で書かれた資料を照合し、歴史を立体的に再現することを試みた。それによって見えてきたのは、フランスとベトナムの「美術」をめぐる駆け引きである。
第二部では、その両者の駆け引きに焦点を当てた。お互いが「ルネサンス」を合言葉にベトナム美術の創出を試みているが、両者の「ルネサンス」の相違が梃子となり、運動はベクトルを大きく変えていく。間接的ではあるが、日本もベトナム美術の創出に関与していたことも明らかにした。フランス側からは「ジャポニスム」という19世紀欧州の現象の「延長」として、ベトナム側からは同じ旧漢字圏からの「近代化」のモデルとして、日本の美術や工藝の技術、表現、教育法、日本人教師、そして、岡倉覚三の近代化思想などがベトナムに持ち込まれたことを紹介した。
第三部では、初期の画家たちによるベトナム美術創出の格闘と戦略を具体的に記した。この部は、これまで日本の読者にはほとんど知られてこなかった近代ベトナム絵画についての導入にもなっている。
こうしたベトナム美術の軌跡は、アジアにおける美術・藝術の近代化がどのようになされたかを問うものであり、日本も含めたアジアの問題として示唆されよう。我が国におけるベトナムの近代美術に関する書籍は、「皆無」とも言える悲惨な状態にあり、本書はその空白部を補うことになろう。
(紹介文執筆者: 二村 淳子 / 2022年3月1日)
本の目次
第一部 美術と技術 1887~1932年
第一章 フランスからみたベトナム藝術:「安南藝術」とは何か?
第一節 「安南藝術」の語り手と具体的内容
第二節 「安南藝術」の性質
第三節 「安南藝術」とジャポニスム
第二章 三度の博覧会:「美術」との邂逅と工藝の領有
第一節 一九〇二年 ハノイ博覧会
第二節 一九〇六年 マルセイユ植民地博覧会
第三節 一九二二年 マルセイユ植民地博覧会
第四節 フランス植民地藝術家協会とベトナム
第三章 植民地における技術教育:手仕事の軽視を乗り越える
第一節 アール・ゼ・メティエ準備校の導入
第二節 百科全書の精神と富国
第三節 「美術」不在の「応用美術学校」
第四章 開智進徳会の「サロン23」:ベトナム初の「美術」展覧会
第一節 開智進徳会と「闘巧美藝」のねらい
第二節 展示された作品と混乱
第三節 ベトナム「美術 (ミートゥアット)」としての絵画の条件
第五章 ベトナム新知識人たちの「美術」概念:ペトリュス・キーからナム・ソンまで
第一節 辞書におけるBeaux-arts訳の変遷
第二節 クインの考える「美術」
第三節 ナム・ソンの「美術」
第二部 ふたつの「ルネサンス」 1924~1931年
第六章 植民者たちの「ルネサンス」と装飾の復興
第一節 ロマンティック・コロニアリズム?
第二節 ナショナル・アイデンティティとしての「装飾」
第三節 アルベール・サローの「ルネサンス」
第四節 タルデューのインドシナ美術学校における「ルネサンス」
第七章 ファム・クインと岡倉覚三の「ルネサンス」
第一節 「ギリシア・ローマ」というカノンとの対峙
第二節 東アジア近代化の座標軸としての「ルネサンス」
第三節 理想の範囲と茶書: 「東洋の理想」と、「茶の本」
第八章 ベトナム知識人たちの「安南ルネサンス」
第一節 「原住民藝術ルネサンス」
第二節 ベトナム側の「ルネサンス」
第三節 二つの回帰運動
第四節 抵抗文化としての「安南ルネサンス」
第九章 インドシナ美術学校の制度検討:フランス植民地政府の美術教育
第一節 公文書に見るインドシナ美術学校の在り方
第二節 ボザールである根拠、およびその理由
第三節 曖昧さが及ぼした結果
第一〇章 インドシナ美術学校、実現されなかった二つの計画
第一節 消えた陶藝クラス
第二節 幻のハノイ美術館
第十一章 インドシナ美術学校長タルデューの役割
第一節 ヴィクトール・タルデューについて
第二節 仏安藝術友好会の活動と趣旨
第三節 グルドンによる藝術学校構想
第三部 フランスとベトナム 1932~1945年
第十二章 ナム・ソンの『中国画』:架け橋としてのデッサン
第一節 画家ナム・ソンの『中国画』概要
第二節 ナム・ソンの『中国画』への二つの疑問
第三節 ペトルッチとテーヌからの受容
第四節 ナム・ソンにとってのデッサン
第五節 頭脳と手仕事の相克
第十三章 ファン・チャンとベトナム絹画の誕生
第一節 画家グエン・ファン・チャン
第二節 ファン・チャンの「発見」
第三節 絵画と「民族性」
第十四章 絹の上のアオザイ美人像:レ・フォー、マイ・トゥ、ヴ・カオ・ダン
第一節 ハノイからパリへ
第二節 「フランコ=アンディジェンヌ」絵画
第三節 宗主国の「鏡」から祖国の「国華」へ
第十五章 マイ・トゥの「アンティミテ」
第一節 フランスでの活躍とその背景
第二節 人々の暮らしの中の藝術
第三節 絹画が紡ぎ出すポリフォニー
第十六章 ベトナム漆画の誕生: 漆藝から漆画へ
第一節 ベトナム漆画誕生史
第二節 アリックス・エイメ、石河壽衛彦、石川浩洋
第三節 工藝と美術の屈曲点
終章
あとがき、謝辞、図版、参考文献 (ファム・クインによる『東京の理想』と『茶の本』書評全文ほか)
関連情報
白百合女子大学文学部フランス語フランス文学科准教授、及び、国際日本文化研究センター客員准教授。静岡県出身。東京大学大学院総合文化研究科博士課程中退(比較文学比較文化コース)、博士(学術)。東アジアの近代、フランス語圏文化、ガストロノミーに興味あり。
受賞:
第1回東京大学而立賞受賞 (東京大学 2020年)
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/research/systems-data/n03_kankojosei.html
第七回 スミセイ女性研究者奨励賞
研究テーマ:描かれた女性像―20世紀初頭の東アジア人画家による女性表象 (住友生命 未来を強くする子育てプロジェクト 2013年)
https://www.sumitomolife.co.jp/about/csr/community/mirai_child/women/2013/women06.html
自著解説:
新刊『ベトナム近代美術史』あらすじ (二村研究室note 2021年7月31日)
https://note.com/junquo/n/n5dcb0da01ad1
書評:
稲賀繁美 評「ヴェトナムの近代とは何だったのか」 (『あいだ』第252号18-26頁 2019年11月20日)
https://inagashigemi.jpn.org/uploads/pdf/aida252.pdf
稲賀繁美 評「本国と植民地、前近代と近代、東洋と西洋との交錯」の狭間に探測を下ろす偉業――二村淳子著『ベトナム近代美術史――フランス支配下の半世紀』(本体五〇〇〇円・原書房)を読む (『図書新聞』No.3519 2021年11月13日)
http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3519&syosekino=15385
関連書籍:
稲賀繁美 編『映しと移ろい 文化伝播の器と蝕変の実相』 (花鳥社、2019年)
https://kachosha.com/books/9784909832122/
二村淳子『常玉 SANYU 1895-1966 モンパルナスの華人画家』 (亜紀書房、2018年)
https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=861
にむらじゅんこ『フレンチ上海』 (平凡社、2006年)
https://www.heibonsha.co.jp/book/b159654.html
関連記事:
特任研究員 澁谷由紀: ベトナムのプロパガンダ絵画 (U-PARLホームページ 2021年7月13日)
http://u-parl.lib.u-tokyo.ac.jp/archives/japanese/column41