東京大学学術成果刊行助成 (東京大学而立賞) に採択された著作を著者自らが語る広場

ライトブルーの表紙

書籍名

ふわふわする漱石 その哲学的基礎とウィリアム・ジェイムズ

著者名

岩下 弘史

判型など

224ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2021年3月22日

ISBN コード

978-4-13-086063-5

出版社

東京大学出版会

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ふわふわする漱石

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夏目漱石の作品には、夢と現実のあいだ、生と死のあいだ、有と無のあいだなど、対立するもののあわいが描かれる。『夢十夜』や『漾虚集』(「漾虚」とは「虚」を「漾 (ただよ)」うという意味である)といった幻想的な短編集においてはもちろんのこと、『明暗』などの長編小説においてもそれは同様である。
 
重要なことに、漱石は「ふわふわ」という語を用い、このあわいを漂うさまを表現する。「余裕派」とも称された漱石の小説には、深刻な主題が扱われていてもどことなく「ふわふわ」したところがあり、その意味で、この語は漱石文学の不思議な魅力をよく説明していると言えよう。
 
この語が含意するイメージの背景には、同時代を代表する米国の思想家ウィリアム・ジェイムズの議論があった。ジェイムズといえば、まずは「プラグマティズム」が思い浮かぶかもしれない。だが、彼が最初に世界的な名声を得たのは心理学においてであり、そこで強調されたのが「意識の流れ」という学説である。
 
漱石は、心の流動性を強調するこの説を自身の哲学的基礎に据えた。この世界の基本的な存在様式を「流れ」として捉えたのである。だからこそ漱石のテクストではこの基礎的な「流れ」を「ふわふわ」と漂う存在がしばしば登場する。
 
このように、根本的なところで共鳴する漱石とジェイムズだが、この両者の関係について徹底的に探究したのが本書である。まず第一章と第二章では、漱石の『文学論』に注目した。同著において重要な役割を果たす (F+f) という公式、さらに「文芸上の真」という概念は、『心理学原理』や『宗教的経験の諸相』といった著作に現れるジェイムズ思想と深い関係を持っている。
 
また、第三章、第四章では「文芸の哲学的基礎」や「創作家の態度」を取り上げ、漱石の「哲学的基礎」の分析をおこなった。そのなかで、なぜ漱石のテクストでは「ふわふわ」することが描かれるのか、それはいかにジェイムズの思想と関連するのかが明らかになっている。さらに、この「哲学的基礎」を踏まえ、よく知られた「自己本位」という思想の新たな意義やそれがもたらす問題点も明らかにした。
 
最後に、第五章においては、『道草』や『明暗』といった漱石晩年の小説の検討をおこなっている。この二作品においては、人と人が「融け合う」という表現が重要な意義を持つが、これは漱石が熟読したジェイムズの『多元的宇宙』という著作と深い関係がある。それを理解することは、「則天去私」という語に暗示される謎めいた漱石晩年の思想の理解にもつながるだろう。
 
以上のように、本書は「ふわふわ」する漱石に注目することから出発し、その背景にあったジェイムズの思想を合わせて考えることで、これまで知られていなかった漱石の新たな側面を明らかにしている。日本近代文学とアメリカ哲学を代表する両者に関心がある方にはぜひ手に取っていただきたい一冊である。
 

(紹介文執筆者: 岩下 弘史 / 2022年1月11日)

本の目次

はじめに
 
第一章 (F+f) とジェイムズ心理学をめぐる微妙な関係
第一節 『文学論』の動機 
第二節 (F+f) と心理学
第三節 「F」と (F+f) の意義
第四節 『文学論』解読
 
第二章 『文学論』における「文芸上の真」
第一節 「文芸上の真」の背景
第二節 漱石の「文芸上の真」
第三節 『宗教的経験の諸相』との共鳴
第四節 『宗教的経験の諸相』が示唆する「真の事実」
 
第三章 「文芸の哲学的基礎」と「真に」存在するもの
第一節 漱石の「哲学的基礎」
第二節 「理想」の意義
第三節 「還元的感化」の仕組み
 
第四章「創作家の態度」と「ばらばら」な世界
第一節 「創作家の態度」の「極端」な世界観
第二節 「自己本位」の語り
第三節 「ばらばら」な人間と世界
 
第五章『多元的宇宙』と漱石晩年の思想
第一節 『多元的宇宙』と「融け合う」世界
第二節 『明暗』における『多元的宇宙』の残響
第三節 「則天去私」に暗示される思想
 
おわりに

 

関連情報

受賞:
第1回東京大学而立賞受賞 (東京大学 2020年)
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/research/systems-data/n03_kankojosei.html

書評:
服部徹也 評「漱石研究とジェイムズ研究双方の最先端の水準が出会うところで、アクロバットを試みる――今後の漱石研究者が避けて通ることのできない一冊」 (『図書新聞』第3509号 2021年8月28日)
http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/shinbun_list.php?shinbunno=3509