東京大学学術成果刊行助成 (東京大学而立賞) に採択された著作を著者自らが語る広場

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書籍名

翻訳を産む文学、文学を産む翻訳 藤本和子、村上春樹、SF小説家と複数の訳者たち

著者名

邵 丹

判型など

531ページ、四六判

言語

日本語

発行年月日

2022年4月5日

ISBN コード

978-4-7754-0284-9

出版社

松柏社

出版社URL

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翻訳を産む文学、文学を産む翻訳

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村上春樹という作家の文化的ルーツの一つに七〇年代の翻訳文化があることを見定めた本書は、実際の翻訳書や若者文化の勃興のもとで誕生した「新たな」文化空間について論を重ね、一種の村上春樹前史という観を呈する。本書の独創性および学術的・社会的意義として、とりわけ、下記の四つが指摘できる。
 
1. 村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』を問題提起の契機として、日本における「若者文学」が誕生した際に否応なしに刻印された時代性、別名、「七〇年代性」を明らかにした。「七〇年代性」は、「翻訳文体の脱構築」および「読者と作者の密な関係性」によって代表される。前者の時代背景として指摘できるのは、七〇年代において、大きな物語がフェイク、いわば虚構としてしか機能しなくなったため、リアリティの喪失という感覚の変容がもたらされた。その結果、従来の写実主義やリアリズムといった文学的手法がしだいに無力化されていき、そこで、ポストモダン時代の「言文一致」が行われた。旧き「文」が自己革新としてあたらしき「言」を獲得して行こうとする過程において、アメリカ小説の翻訳文体が大きな役割を果たした。後者について言えるのは、七〇年代に、作者は、読者が仰ぎ見る存在から、いわば、読者と等身大な存在になった。ゆえに、一九七九年に出た『風の歌を聴け』に「七〇年代作家」と言われるブローティガンとヴォネガットの影響が色濃く反映されたことに、一種の歴史的必然性が読み取れる。
 
2.「翻訳」というパースペクティブから、七〇年代における現代日本文学とアメリカ文学が有機的に結合するその瞬間を捉えた。その前の状況といえば、『ライ麦畑でつかまえて』との相似から庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』にまつわる剽窃騒動が記憶に新しい。しかし、当初、翻訳調文体と評された村上春樹の登場によって、日本語文学の中にも自意識的に日本語の枠を脱境界する文学の流れが形成されるようになった。
 
3. 伝統的な文学研究の枠組みを突破し、社会学から「場」や「ハビトゥス」といった有効な概念を積極的に取り入れながら、七〇年代における越境的な翻訳規範の形成および人的「つながり」の創出について考察した。さらに、インタビューおよび実地調査という研究手法を活用し、本書を出版した時点で、藤本和子や津野海太郎をはじめ、当時の現場証人たちに対して総計12件のインタビューを行なった。
 
4. 七〇年代における「文壇的階位秩序」の解体の原因として、文学様式の変容、および、現代読者群の台頭を提示した。村上春樹は、作家になる前に何よりもまず読者であり、アメリカ文学の翻訳家になってからは、さらに、特権的な読者となった。「読者の時代」と言われる七〇年代において、かつて近代文学という想像的共同体の発生装置の末端に置かれた無力な読者が、「近代読者から現代読者への転移」を経て力を持ち得るようになったことを実証した。
 

(紹介文執筆者: 邵 丹 / 2022年7月15日)

本の目次

序章
 世界文学としての村上春樹の作品
 七〇年代末頃の文学趣味の変革 ―― 村上春樹の登場
 七〇年代の発話困難 ―― 翻訳を通した自己発見
 先行研究のまとめ ―― 三つのアプローチとそれへの補足
 同時代的想像力とは何か ―― 二つの事例研究の構想
 
第一章 七〇年代の翻訳を検討するための理論的枠組み
 より大きな文脈を読み解く
 翻訳の政治性 ―― 言葉や文化の力関係
 文化的慣性 ―― 無視できない地域性や伝統の力
 「多元システム理論」と「記述的翻訳研究」
 エヴェン=ゾハルと多元システム理論
 トゥーリーと記述的翻訳研究
 
第二章 七〇年代の翻訳が置かれた歴史的な文脈
 理想の時代 ――「太陽族」と呼ばれる戦後派青年像
 夢の時代 ―― 若者の誕生に伴う「反乱」という形での激痛
 虚構の時代 ―― 文化の再編成とサブカルチャーの細分化
 七〇年代の大きなパラダイムシフト ―― 近代読者から現代読者への転移
 近代読者の歩み ―― 先行する読者論
 七〇年代における現代読者の肖像 ――「新大衆」という消費者層の台頭
 七〇年代の現代読者像 ―― 文学全集と雑誌から見る読者層の二重構造
 戦後四半世紀を振り返る ―― 書物の商品=モノ化
 
第三章 ひとりの訳者、複数の作者 ―― 藤本和子の翻訳
 「エクソフォニー」の系譜に連なる女性翻訳家 ――「サブカルチャー」的な生き方
 六〇年代の小劇場運動における藤本和子の参加
 立ち上がるマイノリティ、女性たちー黒人女性の「声」の復元
 強かな反逆、企てられた革新 ―― 日本におけるブローティガン文学の翻訳受容
 
第四章 ひとりの作者、複数の訳者 ―― 日本語で構築されたカート・ヴォネガットの世界
 新しい小説の書き手カート・ヴォネガット
 Welcome to the Monkey House ―― 日本におけるカート・ヴォネガット作品群の受容
 複数の翻訳家によるカート・ヴォネガット世界の構築
 伊藤典夫と『屠殺場5号』(1973年) 、『スローターハウス5』(1972年)
 池澤夏樹と『母なる夜』(1973年)
 浅倉久志と『スラップスティック』(1979年)
 飛田茂雄と『ヴォネガット、大いに語る』(1984年)
 Translator as a Hero ―― ヴォネガット受容の中心的な役割を担うSFの翻訳
 翻訳一辺倒時代の『SFマガジン』―― SF専業翻訳者の第一世代
 「SFの鬼」福島正実の文学路線 ―― SFの定義をめぐる論争
 七〇年代における知的労働の集団化 ―― SF界の翻訳勉強会の発足
 
終章「若さ」に基づく文化的第三領域の生成 ―― 二つのケース・スタディが示すもの
 ポリティカル・コレクトネスへ向かうカウンターカルチャー
 文学的な地位向上を経験するSF
 七〇年代の翻訳文化 ―― ブローティガン、ヴォネガットとの共振
 展望 ―― 文化的秩序の「脱構築」のあとに

関連情報

受賞:
第2回東京大学而立賞受賞 (東京大学 2021年)  
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/research/systems-data/n03_kankojosei.html
 
本書に関するインタビュー:
村上春樹を育てた翻訳文化、あるいは藤本和子の若さについて ── 邵丹インタビュー (HILLS LIFE DAILY 2022年6月25日)
https://hillslife.jp/culture/2022/06/25/translation-and-creation/
 
トークイベント:
『翻訳を産む文学、文学を産む翻訳』(松柏社) 刊行記念 「新しい翻訳 女性たちの系譜をたどる」 邵丹×岸本佐知子×ハーン小路恭子 2022年8月13日 14:00~15:30 青山ブックセンター本店大教室
https://aoyamabc.jp/collections/event/products/20220813
 
邵丹×柴田元幸 「1970年代の日本語を求めて」『翻訳を産む文学、文学を産む翻訳:藤本和子、村上春樹、SF小説家と複数の訳者たち』(松柏社) 刊行記念 2022年7月10日 12:00~14:00 本屋B&B
https://bookandbeer.com/event/bb220710a_1970s/
 
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