東京大学学術成果刊行助成 (東京大学而立賞) に採択された著作を著者自らが語る広場

青い表紙、 J. F.オーファーベック (1789~1869) による絵画《イタリアとゲルマニア》、イタリアとゲルマニアを擬人化した2人の女性の肖像

書籍名

音楽のなかの典礼 ベートーヴェン《ミサ・ソレムニス》はどのように聴かれたか

著者名

清水 康宏

判型など

308ページ、四六判

言語

日本語

発行年月日

2023年1月30日

ISBN コード

9784393932292

出版社

春秋社

出版社URL

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学内図書館貸出状況(OPAC)

音楽のなかの典礼

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まず、本書のタイトルを見てください。『典礼のなかの音楽』、ではなく『音楽のなかの典礼』です。本書はカトリック教会の典礼のなかでどのような音楽が使用されてきたのか、といったことを解説するものではなく、音楽自体のなかで宗教 (儀礼) がどのように実現されると考えられていたのか、あるいは音楽と宗教がどのように重なり合うと考えられていたのか、ということを考察したものです。注目する音楽は、ベートーヴェンの教会音楽である《ミサ・ソレムニス》。とくに1850~70年代におけるドイツ語圏の音楽批評家たちが、このミサ曲をどのように解釈し、どのように歴史のなかに位置づけようとしたのか、ということを明らかにしています。そこから、当時の批評家たちが考えていた、「芸術」、「宗教」、そして「教会」という三つの入り組んだ関係を見ていくのが本書のテーマです。
 
続いて、本書の表紙も見てください。この美しい絵は「ナザレ派」の画家として知られるJ. F.オーファーベック (1789~1869) の《イタリアとゲルマニア》という作品です。その名の通り、「イタリア」と「ゲルマニア (ドイツ)」を擬人化した女性二人の友情が描かれています。この絵はカトリックとドイツとの関係を扱う本書の内容を連想させるものです。本書の序論に登場するドイツ・ロマン派の作家E. T. A. ホフマンは、パレストリーナの音楽のような古いイタリアの教会音楽の宗教性を高く評価しながらも、技術的な面ではベートーヴェンの音楽のような同時代の器楽のほうが優れていると考えていました。19世紀前半に生きたホフマンは、古いイタリア音楽の精神性を継承しつつ、そこに同時代の芸術表現である器楽を統合していくことに近代の教会音楽の可能性を見出そうとしていたのかもしれません。しかし、その二つのあいだの葛藤、つまり、教会への適合性 (カトリック的な宗教性) と時代に即した自律的な芸術性とのあいだの葛藤は、ホフマンだけにとどまらず、とりわけ世紀後半のドイツ語圏におけるカトリックの音楽批評家たちにおいても問題となりました。彼らはその葛藤を、ベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》のなかに見ることになったのです。
 
カトリックの批評家たちにとって《ミサ・ソレムニス》は、単に自律的な芸術音楽か、あるいは他律的な教会音楽かということを問うものではなく、芸術と宗教それ自体の関係を問うような、より根本的な問題を突きつける作品でした。豊かな芸術性と宗教性を備えているこのミサ曲に、彼らは新時代の教会音楽としてどのような可能性を見出したのでしょうか。「宗教芸術」や「宗教音楽」に関心のある方、そして、自律的な近代芸術と制度的な教会典礼は対立するものであると漠然と考えている方にも、ぜひ本書で彼らの議論を知っていただきたいと思います。
 

(紹介文執筆者: 清水 康宏 / 2023年6月12日)

本の目次

序論 「楽聖」の「問題作」
 1 《ミサ・ソレムニス》とはどのような音楽か
 2 一九世紀のドイツ語圏における《ミサ・ソレムニス》論
 3 「芸術」「宗教」「教会」
 4 ホフマンの問い
 5 なぜベートーヴェンのミサ曲が問題となったのか
 6 《ミサ・ソレムニス》研究と「世俗化論」
 7 本書の構成
 
第I部 プロテスタントによる《ミサ・ソレムニス》論
 
第一章 新時代の宗教音楽としての《ミサ・ソレムニス》
 1 《ミサ・ソレムニス》の“声楽の困難さ”と“器楽の優位”
 2 《ミサ・ソレムニス》における「聖」と「俗」との「和解」
 3 声楽と器楽が渾然一体となる《ミサ・ソレムニス》
 
第二章 ベートーヴェンの「神秘主義」的教会音楽
 1 《ミサ・ソレムニス》のなかの「疑念」
 2 ベートーヴェンの「楽器の世界」
 3 「神秘主義」的教会音楽としての《ミサ・ソレムニス》
 4 言葉と音が一体となる「音楽ドラマ」の失敗
 
第三章 「フモリスト」ベートーヴェンの教会音楽
 1 「見せかけのミサ曲」としての《ミサ・ソレムニス》
 2 音楽の「錯誤」としての「超越」
 3 「フモリスト」としてのベートーヴェン
 4 《ミサ・ソレムニス》は“教会音楽”ではなく“芸術音楽”?
 
第II部 カトリックによる《ミサ・ソレムニス》論
 
第四章 “未来のドラマ”としての《ミサ・ソレムニス》
 1 《ミサ・ソレムニス》論とヘーゲル哲学
 2 《ミサ・ソレムニス》による「新しい道」
 3 “未来のドラマ”としての《ミサ・ソレムニス》
 
第五章 《ミサ・ソレムニス》の“弁証学”
 1 ベートーヴェンの音楽の三分類
 2 《ミサ・ソレムニス》の“弁証学”
 3 「真の教会様式」としての《ミサ・ソレムニス》
 
第六章 「教会音楽」と「宗教音楽」
 1 「教会音楽」と「宗教音楽」との区分け
 2 「教会音楽」ではないウィーン古典派の三巨匠の教会音楽
 3 宗教的な感情と礼拝
 
第七章 音楽における「教会的」とは何か
 1 「非教会的」なハイドンとモーツァルトのミサ曲
 2 「非教会的」であるが宗教的な崇高さを持つベートーヴェンのミサ曲
 3 音楽のカトリック(普遍)性
 4 《ミサ・ソレムニス》は“芸術音楽”であるがゆえに“教会音楽”?
 
結論 典礼と芸術
 1 一九世紀半ばのドイツ語圏におけるカトリックの動向
 2 ミサ曲と「ドラマ」
 3 教会音楽、宗教音楽、芸術宗教
 

あとがき
ミサ・テキスト対訳
参考文献
索引

関連情報

受賞:
第36回「辻荘一・三浦アンナ記念学術奨励金」 (立教大学 2023年11月15日)
https://www.rikkyo.ac.jp/news/2023/11/mknpps000002dbrg.html

第3回東京大学而立賞受賞 (東京大学 2022年)  
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/research/systems-data/n03_kankojosei.html

書評:
瀬尾文子 評 (『音楽学』第70巻1号 2024年10月15日)
https://www.musicology.jp/ongakugaku/contents/
 
沼口隆 評 (『RICM MUSICA SACRA:立教大学教会音楽研究所報』第9号 2024年8月20日)
https://www.rikkyo.ac.jp/research/institute/icm/ricm.html

関連論文:
「音楽における『教会的』とは何か――フランツ・クサーヴァー・ヴィットの教会音楽論」 (『宗教研究』94巻3号 pp. 25-48 2020年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/rsjars/94/3/94_25/_article/-char/ja/
 
「『教会音楽』と『宗教音楽』 ――アルベルト・ゲレオン・シュタインの教会音楽論」 (『音楽学』64巻2号 pp. 113-126 2018年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ongakugaku/64/2/64_113/_article/-char/ja/
 
「ルートヴィヒ・ノールの《ミサ・ソレムニス》論――『フモリスト』ベートーヴェンの教会音楽」 (『美学』69巻1号 pp. 113-144 2018年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bigaku/69/1/69_133/_article/-char/ja
 
「ベートーヴェンの『神秘主義』的教会音楽――アドルフ・ベルンハルト・マルクスの《ミサ・ソレムニス》論」 (『美学藝術学研究』36巻 pp. 19-43 2018年)
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/49792

「『新ドイツ派』周辺における《ミサ・ソレムニス》論の展開とその意義」 (『美学藝術学研究』33/34巻 pp. 49-74 2015年)
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/16643