「人間ではないもの」とは誰か 戦争とモダニズムの詩学
本書の構想は、戦前一九二〇年代頃と、現代の奇妙な繋がりを感じたことに端を発している。一九八〇年代に東京郊外に生まれ、私は地平線まで果てしなく続く住宅街の中で育った。
日本の、特に都市部の街並みは、一般的に様々な建築様式が混じりあい混沌としている。どこまでも続くコンクリートの街並みは歴史を捨象しており、「今はいつで、ここはどこなのか」それを分からなくさせてしまう。さらに子供時代、テレビなどメディアで放映される光景には、UFOなどオカルト的な番組も多かった。そうした中で私の内面もいささか混沌としたものになっていたように思う。
こうした、都市化やメディアの問題、ジェンダー概念の変容などは、実は1920年代頃より本格化した。そこで、この頃に書かれた詩作品をひもとくと、現代の私たちにおける主体の危機とも通じるものが顔を出していることに驚かされることになる。現在いる場所を見つめなおし、私たちは「今どこにいるのか」を確認する上でも、この時期に一つの鍵が眠っていると考えられるのだ。
一九二〇年代から言論弾圧の強くなる一九三〇年代後半にかけては、詩の中に動物や機械といった「人間ではないもの」の表象が爆発的に登場した時期である。この時期は特に、テクノロジーや産業機械の発展、職業婦人の増加やモダンガール現象に伴うジェンダー概念の変化、都市化、日本も含む植民地帝国の拡大など、社会構造が大きく変動した時期だ。このことを踏まえると、「人間ではないもの」のイメージは、従来の「人間」概念が揺らいでいたことの反映だとも考えられる。
「人間ではないもの」のイメージはとりわけ、一九三〇年代までのモダニズム詩において飛躍的に増え、日本の全体主義化が進み、アジア太平洋戦争に突入するにつれ急速に収束したことも興味深い。これは、日本社会における社会構造の変化に伴って、従来の文化的規範が攪乱されたが、まもなくそれらを覆う統一的規範(例えば大日本帝国の臣民としての規範)が社会を覆い尽くしてしまったことを示唆しているようにも考えられるからである。
そこで本書では、「動物・機械、人間」というキーワード、つまり規範的人間と、その他者という切り口から詩を読み解き、人間概念がどのように変遷していくかを追っていく。当時の人々が、どのような主体の危機に直面し、どのように乗り越えようとしたか、その格闘の場面をドキュメントするものでもある。
天使と悪魔、モンスター、アンドロイドなど「人間ではないもの」は常に様々な表現作品の中で人気を呼んでいる。私たちの心には「人間ではないもの」になることへの憧れが眠っているのかもしれない。本書は、その理由の一端を探る試みとしても読めるだろう。
(紹介文執筆者: 鳥居 万由実 / 2023年3月6日)
本の目次
序章
1 人間の「主体」とイデオロギーの関係
2 本書の構成
第一部
第二部
3 モダニズムとは何か
第一部 モダニズム詩における「人間ではないもの」の表象
第一章 ジェンダー規範と昆虫――左川ちか
はじめに
1 「何者でもないわたし」
2 永遠なる他者「詩のミューズ」
3 「詩のミューズ」の殺害
4 人間ではないものに内面を託すこと
第二章 人間主体を抹消する機械――上田敏雄
はじめに
1 人間を詩から抹消する
2 分裂する自我
3 大衆消費社会と自己意識
3-1 広告の影響
3-2 劇場としての都市空間
3-3 劇場空間への風刺
4 『仮説の運動』
5 「燃焼する水族館」
第三章 主体の解体と創造――萩原恭次郎
はじめに
1 農村に安らう身体
2 都市環境における身体の変化
2-1 人工空間
2-2 交換価値のない魂
2-3 無用の機械としての肉体
2-4 枯れていく自然
3 規律を離れた無用の身体
4 新しい主体への創造と破壊
4-1 首のない身体――全体に従わない部分
4-2 機械による感覚の解体
4-3 メディアによる存在感覚の変容
5 結び直される主体
第二部 戦争詩における「人間ではないもの」の表象
第一章 戦時下の理想的な人間主体
はじめに
1 空間軸に位置付けられる主体
2 時間軸に位置付けられる主体
3 個人の集合体への溶融
4 そして沈黙が支配する
第二章 自己と他者が出会う場所――高村光太郎
はじめに
1 清らか・純潔であろうとする傾向
2 「純粋な」動物に託される自己
3 動物園における「見る/見られる」
4 戦争詩における動物性の反転
第三章 戦争の中の機械と神――大江満雄
はじめに
1 プロレタリア詩人時代
1-1 機械の肉体
1-2 機械の精神
2 転向後の変化
2-1 故郷という原点への回帰
2-2 「鷲」の登場
2-3 みずから狂気を選ぶこと
2-4 国の滅びと個人の発見
2-5 肉体の抽象化
2-6 機械と神が残したもの
第四章 「人間ではないもの」として生きる――金子光晴
はじめに
1 抵抗詩以前の動物
2 戦時下における権力構造と動物
2-1 流民/苦力
2-2 犬/天使
2-3 おっとせい
2-4 鮫
3 自画像としての「人間ではないもの」
3-1 アブジェクトとしての自画像
3-2 へべれけの神
3-3 「大腐爛頌」
終章
1 動物と機械表象が登場する詩
2 現代とこれからの展望
註
参考文献一覧
初出一覧
あとがき
索引
関連情報
第3回東京大学而立賞受賞 (東京大学 2022年)
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/research/systems-data/n03_kankojosei.html
書評:
野島直子 評 (宇波彰現代哲学研究所 2023年2月10日)
https://uicp.blog.fc2.com/blog-entry-390.html
関連論文:
「金子光晴の詩集『鮫』におけるヒエロニムス・ボッシュの影響」(『言語態』第17号 2018年3月)
http://phiz.c.u-tokyo.ac.jp/~gengotai/html/revue_17.html
「1930年代モダニズム詩における、女性の自己表現の方策――左川ちか、山中富美子らの作品を手がかりにして」 (『言語態』第15号 2016年3月)
http://phiz.c.u-tokyo.ac.jp/~gengotai/html/revue_15.html
インタビュー:
「「07.03.15.00」が意味するもの。――鳥居万由実インタビュー」 (ふらんす堂ウェブサイト 2015年12月18日)
http://furansudo.com/archives/205