本書は、主にワイマール共和国から現在に至るドイツ憲法学の発展を、その学問的構造 (「憲法」、「国家」、「政治」、「民主政」といった基本概念の果たす役割の変遷) や、民主政の諸相 (議会政、政党、民主政原理など)、連邦国家や多層的秩序 (EUから地方自治まで)、それに基本的人権といった諸領域を横断する形で多角的に分析し、これを日本の状況と比較することで、現在の日本憲法学が抱える問題を新しい光の下で照らし出すべく試みるものである。内容は、著者が2005年から2015年の10年間に公表した論文から主要なもの15本を選び、これを体系的に配列するとともに、新たに3つの章を書き下ろすことで構成される。このため、それぞれの章は独立した内容を有しているが、しかし同時に全体は統一した問題意識によって貫かれており、このため単なる寄せ集めではなくいわば一種の連作として、全体として一個の自立した作品を成すものとして読まれることを意図している。
以上のような成り立ちのため、本書の内容をここに簡潔に要約することは困難を極める。いくつかの論点のみを紹介するなら、第一に、本書の思考を貫く前提は、憲法学という学問の構造が国や時代によって可変的であるという認識である。同じく憲法という対象を法学的に論じる営みであるにも拘わらず、現代の日本とドイツではその学知のあり方に大きな違いがあるし、他方同じドイツの中でも、ビスマルク帝国期とワイマール共和国期、それに戦後の連邦共和国の特に1960年代以降では、重要な変化が生じている。そこで第二に、かような変化が何によって生み出され、何を意味しているかを解明することが本書の課題となる。ここで主要な関心の対象となるのは、戦後ドイツが憲法裁判所制度の定着とそこでの判例の飛躍的発展によって、憲法の役割の増大と法治国家の強化を成し遂げたが、その反面で憲法学的思考からかつてワイマール期に存在した多様性と理論的豊かさが失われてしまった、という状況である。そこで失われた可能性が何だったのか、戦後の進歩や成熟に内在する論理とはいかなるものなのか、かような発展を前提とした上でなお憲法学にかつての理論的な豊かさを取り戻す試みはいかなる形で可能なのか。本書はこうした問いを様々な角度から考察していく。第三に、かようなドイツ憲法学の発展史と比較し対照することで、これと大きく異なる特質を持つ日本憲法学の特性もまた自ずと浮かび上がってくる。その背後に透けて見えるのは、敢えて単純化するなら、憲法学という学問に社会が与える任務・課題の国ごとによる違いである。日本憲法学の様々な議論には、憲法の正統性の弁証者としての憲法学という役割理解が一定の影響を与えているものと考えられる。すなわち憲法学という学問の内的構造の分析からその背後に見えてくるのは、それぞれの国の戦後社会の発展のあり方と、そこにおいて憲法が占める意義・役割という問題であるように思われる。本書の分析の直接的主題は様々な具体的論点を題材にした学説分析であるけれども、それを通してより大きな問題連関へと読者の思考を誘うことができるなら、著者としてこれに勝る喜びはないと考えている。
(紹介文執筆者: 社会科学研究所 教授 林 知更 / 2017)
本の目次
1 戦後日本と憲法――第一共和政の苦闘?
2 戦後憲法と憲法学――普遍と特殊
I 憲法学の変容
第1章 危機の共和国と新しい憲法学
――カール・シュミットの憲法概念に関する一考察
1 危機と憲法学
2 政治的単一体の体系とその動揺
3 流転する秩序
4 「憲法」という分析視角
第2章 国家論の時代の終焉?
――戦後ドイツ憲法学史に関する若干の覚え書き
1 はじめに
2 戦後ドイツにおける国法学の展開
3 国家論の衰退が意味するもの
4 「二つの戦後社会」の距離――わが国への示唆
第3章 「政治」の行方
――戦後憲法学に関する一視角
1 戦後憲法学の出発
2 戦後ドイツ憲法学と「政治」
3 再び日本へ
第4章 国家学の最後の光芒?
――ベッケンフェルデ憲法学に関する試論
1 立憲君主政からの離脱
2 国家理論の刷新
3 憲法理論の場所
4 国家学としての憲法学?
第5章 国家理論からデモクラシー理論へ?
――憲法学の変遷とその意義をめぐって
1 はじめに――学問の変遷
2 「国家」――多次元的機能とその解体
3 「憲法」――法と法学の間
4 「デモクラシー」――新たな視座を求めて?
5 おわりに――憲法学の歴史的位相
II デモクラシーの諸相
第6章 議会制論の現在
1 議会の世紀の終わり?
2 「原理」への希求
3 諸権力の分節の中の議会
4 コードの乱立の中で
第7章 政治過程における自由と公共
1 公共性の配分
2 公共なき憲法論?
3 近代的思惟の行方
第8章 政党法制
――または政治的法の諸原理について
1 はじめに
2 問題の諸次元
3 政党の憲法上の地位
4 秩序モデルの探究
5 おわりに――憲法原理の所在
第9章 憲法原理としての民主政
― ドイツにおける展開を手がかりに
1 設問の変容
2 「型」としての民主政原理
3 日本への示唆
III 多層的秩序の憲法理論
第10章 連邦と憲法理論
――ワイマール憲法理論における連邦国家論の学説史的意義をめぐって
1 連邦国家をめぐる問い
2 連邦と法学的国家論――ビスマルク帝国
3 連邦と新しい憲法理論――ビスマルク帝国からワイマール共和国へ
4 連邦国家論の行方
第11章 EUと憲法理論
――ドイツ公法学における国家論的伝統をめぐって
1 はじめに
2 国家か憲法か
3 理論と解釈
4 連邦と多層的システム
5 ヨーロッパと民主政
6 おわりに
第12章 連邦・自治・デモクラシー
――憲法学の観点から
1 本稿の主題
2 国家論の中の連邦と自治
3 多層システムの中の連邦と自治
4 多層的デモクラシーと憲法学
IV 日本憲法学の行方
第13章 戦後憲法学と憲法理論
1 はじめに――ポスト「戦後民主主義」時代の憲法学?
2 立憲主義憲法学の黄昏?
3 戦後ドイツ憲法学の変容
4 戦後憲法学を越えて
5 結びに代えて
第14章 憲法秩序における団体
1 本章の課題
2 自由と秩序
3 「憲法」と「立憲主義」
4 自由の諸条件と憲法
5 憲法学の可能性
第15章 論拠としての「近代」
――私人間効力論を例に
1 主題
2 議論の磁場
3 リュート判決再訪――またはリュートから見た三菱樹脂
4 日本憲法学の「近代」
第16章 「国家教会法」と「宗教憲法」の間
――政教分離に関する若干の整理
1 政教分離原則の動揺?
2 制度・共同体・個人
3 結びに代えて
終章 戦後憲法を超えて
1 ふたつの戦後憲法と憲法学
2 戦後憲法を超えるために
初出一覧
あとがきと謝辞
人名索引