本書は、建築学者 (野城、安藤、吉田、志手) と経営・経済学研究者 (藤本、富田、渡邊、向井、森) のコラボレーションによる学術書である。定期的に東京大学の生産技術研究所やものづくり経営研究センターに集まり、討論を繰り返し、数年をかけて1冊の本にまとめた。2017年の日本建築学会著作賞を受賞した。
特殊な産業と見られがちだった建築業を、「広義のものづくり」という新たな観点から相対的に再解釈し、新たな知見を得る。ここで「広義のものづくり」とは、付加価値を担う設計情報の「流れ」によって顧客満足や付加価値を生み出す一連の経済活動を指す。設計とは、建築物や製造物などの人工物の実現に先立って、それの (1) 機能、(2) 構造、(3) 工程、およびそれらの関係に関する構想と情報を指す。
建築物や製品のアーキテクチャ (設計思想) には、機能要素群と構造要素群が多対多対応で複雑に絡むインテグラル型と、それらが1対1対応で単純なモジュラー型があるが、日本の建築物は、製造物と同様、欧米に比べ、よりインテグラル型 (調整集約的) である傾向がみられる。
本書は3部構成で、第1部は建築ものづくり論の基礎編である。第1章 (藤本) は、広義のものづくり論と建築物の関係を明らかにする。第2章 (安藤) は、日本の建築物がインテグラル・アーキテクチャ寄りであることを関係レントの概念を用いて論じる。第3章 (吉田) は、建築の設計・施工における、機能実現のための価値創造過程を示す。第4章 (野城) は、建築物を構造 (プロダクト) 面よりむしろ顧客に対する機能(サービス)の面から分析せよと提唱する。
第2部では、建物のアーキテクチャ論を展開する。第5章と第6章 (吉田・安藤) は、単品受注生産の建築ものづくり過程を類型化し、日本の建築物のインテグラルな性格と、モジュラー化の可能性を考察する。第7章 (志手・藤本) は、住宅、マンション、工場、オフィスなどの領域別に、アーキテクチャの位置取り戦略を論じる。
第3部では、日本の建築業が直面する課題である「価値実現」、つまり顧客満足と利益獲得の両立について考察する。第8章 (富田) は建築業における重層的な顧客システムを主な領域別に事例分析する。第9章 (向井・藤本) は、一品一葉である建築物の価格設定の特徴は、「価格が機能と連動しにくいこと」だと論じる。第10章 (渡邊・森・向井) は、ゲーム理論や情報経済学を応用し、不確実性が増す場合に情報非対称性を緩和する第三者の役割が重要だと主張する。第11章 (野城・藤本) は、大型人工物の設計施工プロジェクトに適した組織は、自動車などに有効な重量級プロダクトマネジャー方式よりむしろ、複合的プロジェクトを統括する円卓会議方式だとみる。
総じて本書では、建築業が従来の構造対応 (坪単価) の価格設定ではなく、「潜在的サービスの創発的な発生源としての建築物」に対し機能対応の価格設定を行うことを提案している。
(紹介文執筆者: 経済学研究科・経済学部 教授 藤本 隆宏 / 2019)
本の目次
1. なぜ建築業のものづくり分析を行うのか
1.1 問題意識: 「普通のものづくり産業」としての建築業
1.2 既往研究 (1): 建築学における建設産業研究
1.3 既存研究 (2): 公共工事の経済学的研究
1.4 本書の立場:民間建築業における設計概念の重要性
2. ものづくり経営学と建築学
2.1 建築学における「ものづくり」研究
2.2 「広義のものづくり論」と建築
2.3 ものづくり経営学と建築学のコラボレーションの成果は?
2.4 本書の構成
第I部◆ものづくり経営学から見た建築
第1章 建築物と「広義のものづくり」分析 (藤本)
1. 「広義のものづくり」とは: 良い設計の良い流れ
2. 建築物のものづくり分析 (1): ストック側面
2.1 建築物への基本概念の適用
2.2 固有技術としての建築学
2.3 建築のアーキテクチャ
3. 建築物のものづくり分析 (2): 建築物のフローの側面
3.1 設計者と利用者の分業
3.2 利用プロセス
3.3 設計プロセス
3.4 実現 (realization) のプロセス
4. 建築における設計循環の全体像
4.1 製品・工程のストック・フロー
4.2 設計情報の循環としての「ものづくり」
4.3 流れの制御と「ものづくり組織能力」
5. 建築物の機能と構造
5.1 人工物の構造・操作・機能
5.2 建築物の構造・操作・機能
5.3 建築物の「機能」のわかりにくさ
6. 建築の産業分析: 現場発の視点から
6.1 分析枠組み
6.2 他産業との知識共有をめざして
6.3 建築物・建築プロセス・顧客システム
6.4 競争力と価値実現:価格が機能を反映しない
6.5 建設企業のものづくり組織能力
6.6 建築物の設計思想 (アーキテクチャ)
まとめ: 新たな視点からの建築産業論
第2章 日本型建築生産システムの成立その強み・弱み
ゼネコンを中心とした擦り合わせ型アーキテクチャの形成と課題 (安藤)
はじめに
1. 日本の建設産業の強み:取引リスクと関係レントによる説明
2. 日本型建築生産システムの特性
2.1 ゼネコンによるレント独占と発注者の利害
2.2 市場と市場における行動様式の特性
2.2 建築産業の組織間関係と組織の行動特性
2.4 価格の不確定性
2.5 生産プロセスとアーキテクチャの特性
3. 転換を境に最大化した構造的リスク:強みが弱みに
4. 持続可能な建築産業と強みの保持に向けて
4.1 持続可能な市場のイメージ
4.2 発注者の役割の顕在化と多様な調達方式の必要性
4.3 新たな市場とものづくりアーキテクチャ
4.4 建築産業の技術革新力と魅力の保持
5. 設計施工一貫方式の今後
5.1 日本の設計施工一貫方式と欧米のデザインビルドは別物
5.2 日本と欧米におけるCM, DBのアーキテクチャの位置取り戦略
5.3 買い手市場におけるデザインビルドのグローバルな潮流
5.4 インテグラルな日本の建築産業のゆくえ
第3章 建築における価値創造
建築設計、建築施工において求められる「機能」の実現 (吉田)
はじめに
1. 建築の競争環境:発注側、受注側ともにジレンマを抱える仕組み
1.1 つくる前に契約をしなければならない発注者のジレンマ
1.2 建築分野の慣行を推し進めることによる受注者のジレンマ
1.3 発注者と受注者にとっての危険性
2. 建築分野における健全な競争環境の構築
2.1 設計プロセスの精査
2.2 つくり手による機能と使い手による機能の相違
2.3 価値共創の概念と建築における「発生機能」の差異
2.4 建築に必要な使い手視点の価値創造
3. 建築におけるこれからの価値創造の方向性
第4章 プロダクトからサービスへ (野城)
1. 人工物としての建築と建築の機能
1.1 建築が提供するサービスが問われている
1.2 建築を使いこなし、その機能を引き出す
2. 市場の変容と建築の考え方の変化
2.1 ストックの時代からフローの時代へ
2.2 経時的カスタマイゼーションという考え方
2.3 海外市場でも賢い住まい方・使い方を支えるエンジニアリングが求められている
3. 使い方・住まい方のカスタマイゼーションへ
3.1 生活の質を向上させる機能のカスタマイゼーション
3.2 スマート建築の本当の意味
4. ストック時代の産業枠組み
4.1 プロシューマ―
4.2 サービス・プロバイダーという業態
4.3 垂直統合の桎梏を越えて
5. サービス・プロバイダーのビジネスモデル
5.1 事例1: 「すまいのコンシェルジェ」
5.2 事例2: 機器・部品のリース・レンタルによる機能売り
5.3 事例3: エネルギーを賢く使うためのサービス
6. サービス・プロバイダーが定着・展開するための諸条件
おわりに
第II部◆建築ものづくりの特徴
第5章 建築の特徴のとらえ方 (吉田・安藤)
1. 建築の基本的な特徴
1.1 単品受注生産としての建築の特徴
1.2 機能面に課題が残る建築設計
1.3 標準化や生産システムの固定に課題が残る建築施工
1.4 発注方法と機能・構造・工程創造の関係性
1.5 機能・構造・工程創造における顧客システムの影響
2. 類型化による建築の全体像の把握
2.1 現状の類型化の問題点
2.1 使い手から見た類型化の必要性
3. 価値創造の視点から見る建築の類型化
3.1 建築の主要機能に着目した類型化
3.2 ユーザーの特徴から見る類型化
3.3 ユーザーの要望の特徴から見る類型化
4. 多様な建築に関する正確な理解の必要性
第6章 「アーキテクチャ」から見た日本のものづくり (安藤・吉田)
1. はじめに
1.1 アーキテクチャと建築
1.2 アーキテクチャによる建築ものづくり分析
1.3 本章の構成
2. 建築ものづくりの「アーキテクチャ」による記述
2.1 機能
2.2 構造
2.3 機能―構造
2.4 機能―構造―工程
3. 日本の建築ものづくりのアーキテクチャ
3.1 日本の建築における「構造」のアーキテクチャの傾向
3.2 国内建築の「機能―構造」アーキテクチャの傾向
4. 日本の建築における機能―構造―工程―生産組織の関係性
5. 構成様子の重層性から見たアーキテクチャの特性
5.1 アーキテクチャのポジショニング
5.2 3階層のポジショニング分析による建築生産システムの評価
6. 建築産業の組織特性と製品アーキテクチャの関係性
6.1 日本の建築組織間の擦り合わせを前提とした関係性
6.2 建築におけるモジュラー化とオープン化
6.3 国内建築産業におけるモジュラー化の促進によるメリットとデメリット
7. 構造―工程アーキテクチャを擦り合わせる構工法計画
7.1 複合化構法と多工区同期化工法
7.2 インターフェイス・マトリクスによる多工区同期化構工法計画
8. 建築ものづくりのアーキテクチャとBIM
8.1 BIMとアーキテクチャの型の整合性
8.2 アーキテクチャから見たBIMの課題
8.3 インテグラルか、モジュラーか
第7章 建築におけるアーキテクチャの位置取り戦略 (志手・藤本)
はじめに
1. アーキテクチャの位置取り戦略とは
1.1 中アーキテクチャと外アーキテクチャ
1.2 アーキテクチャ・ポジションの4類型
1.3 アーキテクチャのポートフォリオ (合わせ技) 戦略
2. 日本の建築物とアーキテクチャの位置取り
2.1 利用システムの機能要求・意匠要求・制約条件と外アーキテクチャ
2.2 建築物自体の機能要求・意匠要求・制約条件と中アーキテクチャ
3. 建築物のアーキテクチャ位置取り戦略の諸類型
4. 人工物の階層構造と中外アーキテクチャの分析
5. 住宅分野の分析
5.1 戸建住宅
5.2 マンション
6. 非住宅分野の分析
6.1 製造施設 (ハイテク分野)
6.2 賃貸オフィス
6.3 病院
7. その他の分野
7.1 リフォーム・リニューアル (R&R) 市場
7.2 海外市場
8. まとめ
8.1 建築物のタイプとアーキテクチャ戦略
8.2 中アーキテクチャ・外アーキテクチャとプロセス改善
8.3 建築生産プロセスとポジショニング戦略
8.4 ポジショニングを考慮した建築マネジメントへ
第III部◆建築ものづくりにおける課題と展望
第8章 建築の顧客
建築は誰が評価するのか (富田)
1. 建築の顧客とは
2. 顧客システム
3. 建築物の顧客システム
4. 建築の顧客システムの分析
4.1 刑務所:島根あさひ社会復帰促進センターの事例
4.2 市庁舎:立川市役所の事例
4.3 同窓会館:A会館の事例
5. ディスカッション
5.1 顧客システム・アプローチの有効性
5.2 顧客システム知識の蓄積
おわりに
第9章 建築物の価格設定
建築物の価格はなぜ決まりにくいのか (向井・藤本)
はじめに
1. 建築価格決定の不確実性・不安定性
2. 機能と価格に関する従来の経済分析
3. 建築物の価格設定の特徴と進化
3.1 人工物・経済財としての建物の特徴
3.2 価格の根拠:留保価格とマークアップ戦略
3.3 日本の建物価格設定ルーチンの発生
3.4 結果としての価格設定ルーチンの構造
3.5 価格設定ルーチンの機能と逆機能
3.6 日本の自動車産業との類似点と相違点
4. 個別の建物 (物件) 取引における価格
4.1 分析の前提
4.2 マンションの場合
4.3 戸建て注文住宅の場合
4.4 リフォームの場合
5. 建築の価格設定の関する問題解決に向けて
おわりに
第10章 建築産業の契約に関する分析
ゲーム理論と情報の経済学の応用 (渡邊・森・向井)
はじめに
1. ゲーム理論
1.1 ゲーム理論とは何か
1.2 囚人のジレンマ
1.3 囚人のジレンマの解消と繰り返しゲーム
2. 情報の経済学
3. 基本的な契約モデル
3.1 逆選択
3.2 モラルハザード
3.3 逆選択とモラルハザードの混合 (False Moral Hazardモデル)
4. 契約後に生じる事態への対処
4.1 バジャリ=タデリス・モデル
4.2 仕様・設計変更に関するモデル
4.3 発注者と受注者間のプリンシパル・エージェント問題の解消
まとめ
第11章 建築の組織論
どのような組織, どのようなマネジャーが必要か(野城・藤本)
1. はじめに: なぜ, 統合者 (system integrator) が重要か
2. 製造業の製品開発プロセスにおける統合者 (開発リーダー) のあり方
3. 建築の活動はプロジェクトを基盤とする
3.1 プロジェクト組織とは何か
3.2 グロアクによるテクノロジー・パラダイム論
3.3 巨大建築物における設計・生産組織のあり方:仮説
4. 建築プロジェクトにおけるシステム統合にかかわる論点
4.1 論点1: 設計生産インターフェイスのあいまい性
4.2 論点2: プロジェクト組織における内部調整構造の変化
4.3 論点3: プロジェクト組織の外部連携の拡大
4.4 論点4: 技術課題の相互関連性
5. 建築プロジェクトにおけるまとめあげの事例
5.1 設計者による直営方式の系譜
5.2 施工・生産者によるイニシアティブの系譜
5.3 円卓定期定例会議:現代社会におけるまとめあげの一様態
6. 建築プロジェクトにおける統合者像
終章 建築産業のものづくりのあり方 (執筆者一同)
1. 本書が提示した論点
2. 浮かび上がってきた建築産業の課題
3. 今後の展望と提言
3.1 建物は複雑化するのか
3.2 アーキテクチャ発想の能力構築競争
3.3 新たな形式の人工物創造能力の向上
3.4 優れたディマンドチェーンの構築と進化
4. 結語:開かれた建築業を目指して
関連情報
2017年 日本建築学会著作賞
https://www.aij.or.jp/2017/2017prize.html
書籍紹介:
自著を語る 書籍の窓『「広義のものづくり論」は越境する』 (有斐閣)
http://www.yuhikaku.co.jp/static/shosai_mado/html/1605/10.html
書評:
『建築ものづくり論』門脇耕三 評 (WEB版『建築討論』 2016年1月25日)
http://touron.aij.or.jp/2016/01/384
ザ・ブックス 『建築ものづくり論』古阪秀三 (京都大学教授) 評 (『月刊建築技術』2015年11月号)
http://www.k-gijutsu.co.jp/products/detail.php?product_id=840