東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

白い表紙に淡い灰色とブルーの四角い模様

書籍名

垂直の声 プロソポペイア試論

著者名

ブリュノ・クレマン (著)、 郷原 佳以 (訳)

判型など

376ページ、A5判、上製

言語

日本語

発行年月日

2016年4月15日

ISBN コード

978-4-8010-0163-3

出版社

水声社

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垂直の声

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私たちがフィクション作品を読む理由のひとつは、現実には存在しない人物たちが生き生きと語り、行動する姿を思い浮かべることができるからだろう。このことを、フィクションの言語は不在の人物に顔と声を与える、と表現することができるかもしれない。けれども、それは本当にフィクションに限ったことだろうか。私たちは日常の会話においても、相手の言葉によって、自分が一度も会ったことのない人のことを思い浮かべることができる。言語のこのような作用は、理論的な書物、評論や哲学書を読むときにさえ起こっている。「不在の者を呼び出し、声を与えて語らせる」というこの作用は、修辞学においてはひとつの文彩として分類されている。プロソポペイア (活喩法) というのがそれであり、語源的には、「顔=仮面 (プロソポン)」を「制作する (ポイエイン)」技法という意味である。プラトンの対話篇『クリトン』において、ソクラテスが国法そのものに語らせることで友人を説得する一節はその代表例だ。
 
ベケット研究の第一人者にして、文学的テクストと哲学的テクストとを問わずに縦横無尽にテクスト分析を行ってきたブリュノ・クレマンは、本書で、古代から現代に至るさまざまなプロソポペイアの分析に取り組んでいる。とはいえ、本書は狭義の修辞学の書物とはいえない。確かに、まずは、修辞学の泰斗ピエール・フォンタニエの『言葉の綾 (Les Figures du discours)』などにおいてもプロソポペイアの好例として挙げられてきた、プラトン『クリトン』、アウグスティヌス『告白』、ラシーヌ『フェードル』、ルソー『学問芸術論』の一節が取り上げられる。けれども、本書ではこれら古典的なプロソポペイアにまったく新しい分析が施されると共に、テクストがプロソポペイア、すなわち不在の者の現前化を要請するとはいったいいかなることなのか、という問いが提起される。本書で行われているのは、小説においてたえず起こっている非現実の形象の出現を可能にする原理の探求だと言ってもよい。その結果、プロソポペイアはもはや文彩――なしで済ませることもできる言語の彩り――の学としての「修辞学」の内部には収まることができず、むしろ、思考そのものの条件であることが示される。そのため、本書では「figure」を「文彩」ではなく「比喩形象」と訳している。私たちの思考が要請しているのは、それなしでも済ますことのできる装飾的表現ではなく、最初から虚構性を孕んだ形象だからである。
 
ではその「比喩形象」とはいかなるものか。本書は、上記の古典的なプロソポペイアに加えて、ブランショ、フーコー、ニーチェ、サロート、ベケット、ハイデガー、等々といった広範囲なテクストのうちにプロソポペイアの声を見出しながら、それらがテクストの流れ、思考の流れを揺るがす「他者」を到来させることを明らかにしてゆく。というのも、プロソポペイアの声の主は定かでなく、かつ、その声は多重だからである。本書は、プロソポペイアを根源的な比喩形象として分析することで、私たちの思考がそのような「他者」による呼びかけを必要としていることを示唆している。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 准教授 郷原 佳以 / 2017)

本の目次

第一章  声のための比喩形象
第二章  他なる声
第三章  見せかけの声、本気の声
第四章  近い声、遠い声
第五章  垂直の声
訳者解説 他なる声、他なる生、比喩形象 (フィギュール)
訳者あとがき

関連情報

書評:
たけだはるか「統一性を超えた複数的な思考のために」『ふらんす』2016年8月号、白水社、72頁

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