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白い表紙にアブストラクトな水色の模様

書籍名

シリーズ・キーワードで読む中国古典 1 コスモロギア 天・化・時

著者名

中島 隆博 (編)、 本間 次彦、林 文孝 (著)

判型など

218ページ、四六判、上製

言語

日本語

発行年月日

2015年9月

ISBN コード

978-4-588-10031-4

出版社

法政大学出版局

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コスモロギア

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本書は、「キーワードで読む中国古典」シリーズ全五巻の第一巻である。このシリーズは、ラインハルト・コゼレックが提唱した「概念史」を、中国古典において展開するものだ。その第一巻として、この『コスモロギア』は、中国哲学におけるコスモロギア (宇宙論、世界論) を、天・化・時という三つの概念から考えたものである。中国哲学において、天は究極の根拠に見えるが、しかし決して安定しておらず、また、化という変化は、ある閉じた系の中の変化にとどまらず、この世界そのものを変容させかねない変化に関わる。そして、時はクロノロジーとしての時間に収まるものでもなく、具体的な空間性によって生成してくる。
 
第一章は、この巻の編者である中島隆博が書いたもので、中心的な問いは、中国において天は不安定な根拠であり、したがって、それに依拠する人間の世界もまた根本的な不安定さを免れないのではないか、というものだ。司馬遷の「天道是か非か」がその典型的な議論であるが、多くの中国の思想家は、なんとしても天を安定した根拠とし、「天人合一」によって、人間の世界に正統性を与えようとした。近代になり、西洋的な普遍に直面すると、こうした天の思想はいったん退いたが、最近では、「言説の権利」を回復する流れの中で、再び天の議論が脚光を浴びている。
 
第二章は、本間次彦が担当したもので、化という生成変化を概念史として論じた。『易』とその解釈を丹念に辿ることで、中国哲学が人事を含む宇宙の変化をどう把握しようとしたのかが明らかになった。すべては変化する。『易』はそこに何らかの規則を見出し、その規則を利用して、変化に介入し、それを加速したり、遅延したり、あるいは方向を転換したりする。しかし、規則のない偶然性もまた変化にはある。たとえば『荘子』において記述される変化には、そのような偶然性の影がつきまとっており、規則を逸脱する可能性が残されている。そして、人が行うことができるのは、こうした逸脱の可能性を信じながら、変化の方向をより望ましいものにするという介入なのだ。
 
第三章は、林文孝が担当したもので、近代的な概念である時間に還元できないような時が有する意義を明らかにした。たとえば、王夫之はその史論において、三つの次元を区別し、理における変化、勢における変化、そして時における変化を考えた上で、その時において人間が歴史に介入できるとした。そして、その時は、抽象的な時間概念ではなく、時宜を得ると謂われるような、具体的な状況のことである。では、時間はどうなっているのか。林によると、それは道である。すなわち、道は日が沈み月が昇るとか、川が休まず流れていくとかいった間断なき持続をとおして捉えられる。それは、持続的な運動性と密接不可分のものとして表象された、時間としての道である。
 
まとめるなら、中国のコスモロギアにおいては、天・化・時という概念が相互に連絡しながら、次のことを示している。人間は天に大きく規定されながらもそれをはみ出し、変化に翻弄されながらも変化を統御し、時宜を得た判断を行って、この世界に善を実現しようとするのである。
 

(紹介文執筆者: 東洋文化研究所 教授 中島 隆博 / 2017)

本の目次

総説 (中島隆博)
1  天、化、時
2  各章概観
 
第一章  天について (中島隆博)
1  孔子──天を怨まず
2  墨子──天の欲することをなす
3  孟子──人から天への通路
4  荘子──人は天を損なう
5  荀子──天の領分、人の領分
6  董仲舒──天人合一
7  王充──無為の天と有為の人
8  唐代の天論──天が乱れる
9  宋代の天論──天人相関の回復
10 明代の天論──理としての天を越えるもの
11 清代の天論──理としての天への批判
12 近代の天──西洋的普遍に直面して
13 現代の天──天下という中国的普遍
 
第二章  化について (本間次彦)
1  生成変化する世界と『易』
2  乾坤と易簡──『易』繋辞上伝第一章
3  無為と『易』──鄭玄
4  天地と三となる──『中庸』からの道
5  「天地の和」としての楽──『礼記』楽記
6  風を移し俗を易える──楽の効用
7  生成変化する世界を別様に表現する──『易』繋辞上伝第五章
8  陰陽と道──朱子・王夫之・戴震
9  日新と生生──張載
10 日新と生生、そして、鬼神──朱子・王夫之
11 修己から治人へ──教化の新たな構想
12 万物一体の仁──ドジョウとウナギの関係論
13 近代以降の新展開
14 『荘子』からの出発法
15 身体の操作的構築
 
第三章  時について (林 文孝)
1  「時」は「時間の流れ」を意味しない
1  「時に習う」とはいつ習うのか?
2  『易』の時
3  「時中」、「聖の時なる者」
2  「時間性」を表す概念は「道」ではないか?
1  『老子』の「道」
2  朱熹の「川上の嘆」解釈と「道」の姿
3  「消息」
3  終末論について
1  『皇極経世書』
2『太平経』
4  「古・今」、「過去・現在・未来」
1  「古」と「今」
2  中国における「過去・現在・未来」
 
余説
文化本質主義を越えて (中島隆博)
本文の余白に / から (本間次彦)
天と化についてのコメント (林 文孝)
 

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