住まいと町とコミュニティ
本書は、2007年から2016年にかけてのほぼ10年間に、各種雑誌等に寄稿してきたものの中から18編を選んで1冊にしたものであり、建築のレベルからまちづくり・都市計画レベルまでのハード部門から、さらにはコミュニティ形成といったソフト部門までを網羅している。
「住まい」と「町」と「コミュニティ」の三者は、例えば行政レベルや専門家レベルであれば、分けて仕事をすることも可能であろう。というか、日本の縦割り行政の中では、どうしてもこの三者が互いに他の優位に立とうとして、しのぎを削っているようにも感じられる。これを別な視点で見れば、この縦割り行政自体が日本独特の産業界・産業構造を育み、それぞれ「住まい」「町」「コミュニティ」の三者の利益代表として、各省庁部局の縦割り合戦に参加しているようにも見える。
しかし、いったん一生活者の視点に立てば、この三つはどうしても分けられない。例えば、大災害後に建設される大量の仮設住宅には「住まい」の供給という視点はあるが、住宅以外の医療福祉や就労機会確保の領域を含む諸機能を有する「町」の分野や、隣近所と付き合いながら弱っている人をみんなで助ける「コミュニティ」分野との連携がないために、なかなか住みづらそうであることは、このことを端的に表しているだろう。このことは、住宅地の再開発や、昨今流行の空き家対策や縮退居住地対策にも言えることである。だからあえて、今の日本社会が不得手とする『住まいと町とコミュニティ』という総合的なタイトルとなっている。
本書は、序・第一部・第二部・第三部に分けることができ、どこから読んでも良い。
序では「コミュニティ」なるものがなぜしばしば議論になるのか、本当にコミュニティは必要なのか、といった疑問に正面から挑んでいる。結果は本文を読んでもらおう。
第一部は、筆者がこれまで日本各地で行ってきたサーベイで目撃してきた、含蓄の深い事例について、住宅の間取りや住宅周りの空間の設計が、我々の日々の暮らしを結構豊かにしてくれる可能性を論じている。
第二部は、日本の住宅地づくりにこれまで影響を与えてきた、または、今与えつつあるアメリカの住宅地を例に挙げ、日本に影響を与えているエッセンスについて解説している。また、欧米では普通に町のシンボルとして残っている近代の集合住宅が、日本では再開発の名目で一つも残っていかないことの理由を考察している。
第三部は、日本の住宅地をつくり変えて行く際に考えていかねばならないことのいくつかにつて、事例をあげながら解説している。とりわけ、20世紀中に建設された住宅地にとって必要なのが「多様性」であることは、災害の復興過程のまちづくりに端的に現れている。災害復興住宅であろうが、炭鉱住宅であろうが、郊外戸建住宅団地であろうが、そのエッセンスは変わらないのだ、というのが、本書の主張である。
(紹介文執筆者: 工学系研究科 教授 大月 敏雄 / 2019)
本の目次
第一部
路地の魅力と「路地を耕す」ということ
路地にお花畑を耕した人々
行商のおばちゃんと出入りの大工さんの重要性
足まわりを耕す
集合住宅の屋上を耕す
第二部
住まいと町の計画学
ディズニーのまちにみる多様性
アクセサリー・アパートメント
ジョージタウンとバック・アレイ
ニューアーバニズムの聖地:シーサイド
歩車分離の聖地:ラドバーン
日本の集合住宅はなぜ残らないのか?
第三部
成熟化の21世紀型住宅地
賃貸住宅と若者の都市復権を!
同潤会と不良住宅地区改良事業–東日本大震災を念頭に
災害多発国としての心構え
分野横断型の「復興デザイン研究体」の試み
縮退先進地としての炭鉱住宅に学ぶ