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白い表紙に小豆色の帯

書籍名

中公選書 ジョルジュ・ペレック 制約と実存

著者名

塩塚 秀一郎

判型など

456ページ、四六判

言語

日本語

発行年月日

2017年5月9日

ISBN コード

978-4-12-110028-3

出版社

中央公論新社

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ジョルジュ・ペレック

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ジョルジュ・ペレックとは、Eの文字が一度も使われない長編小説『煙滅』や、集合住宅内の人・物・出来事を徹底的に書き尽くす大小説『人生 使用法』など、大胆な実験的作品で知られているフランスの作家 (一九三六~一九八二) です。「二十世紀後半における最も革新的な小説家の一人」(ジャブロンカ) とも称され、没後三十年以上を経た現在、フランスでの注目度はいよいよ高まっています。本書は、この「世にも稀なる風変わりな文学的個性」を、日本の一般読者に紹介することを目指しています。
 
ペレックの作品はその実験性ばかりが注目されがちですが、愛読者たちはしばしば情感を込めてこの作家への愛着を語っています。たとえば、アメリカの人気作家ポール・オースターにとって、ペレックの『Wあるいは子供の頃の思い出』は、「この二十年のあいだに読んだ、もっとも親しみを感じさせ、心を動かす本のひとつ」だとのこと。とはいえ、Eの文字を使わないといった「制約」のもとでの創作と、愛読者が口にする親しみや痛切さは、いったいどのようにして結びつくのでしょうか。機械的操作の極致でありおよそ人間的なものとは無縁に思われる「制約」と、作者や読者の「感情」がどう関連しうるのか、本書が考察しているのは、ペレックの「秘密」をめぐるこうした問いなのです。
 
そもそも、言いたいことがあるのなら、ストレートにそれを書けばいいではないか、そう思われるかもしれません。でも、「いわくいいがたいこと」を、それでも切実に表現したいときには? 自由に書けと言われても筆が動かないかもしれないし、いったん思いが溢れ始めると制御がきかず収拾がつかなくなるかもしれない……表現に際してペレックが「制約」を必要としたのは、アウシュヴィッツにおける「母の死」が、出来事の想像を絶する悲惨さという意味でも、自らは目撃していないという意味でも、まさしく「いわくいいがたいこと」であったからなのです。
 
とはいえ、ペレックにおける「制約」の効用は、感情の氾濫を制御することにとどまりません。第二次大戦後、両親と幸福に過ごした界隈に戻ったペレックは、永遠に続くかと思っていたささやかな「日常」が、ユダヤ人一斉検挙の嵐を経て、一瞬にして消え去ったことを思い知るのでした。日常ははかなく過ぎ行くものなのに、そう意識して眺める者は少ない。慣れすぎて当たり前になっているからです。そんなとき、特定の文字で始まる名前の通りだけを歩くとか、ひとつの広場を三日間にわたって観察し続けるとか、「書くこと」から「生活」へと移された「制約」は、私たちにとって見えなくなっていた日常を、視線の角度を変えて可視化するための方法となるのです。「制約」とは、特別な過去を背負った一個人が頼らざるをえなかった特殊な表現方法なのではなく、ありふれた日常を生きる私たちが、生の新たな一面を見出すためにも役立ちうる「姿勢」なのではないでしょうか。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 准教授 塩塚 秀一郎 / 2018)

本の目次

はじめに
第1章  制約が語る  『煙滅』におけるリポグラムの意味
第2章  制約下の自伝  『Wあるいは子供の頃の思い出』におけるフィクションと自伝
第3章  制約と自由の相克  『人生 使用法』における諸プロジェクトの表象
第4章  発見術としての制約  『さまざまな空間』はなぜ幸福な書物なのか
おわりに―「大衆的な作家」
 

関連情報

書評:
「規則の果てに生まれる独創性」円城 塔 評 『朝日新聞』(2017年7月30日掲載)
https://book.asahi.com/article/11576171
 
新島 進 評 雑誌『ふらんす』(2017年8月号掲載)
https://webfrance.hakusuisha.co.jp/posts/115
 

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