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書籍名

レーモン・クノー 〈与太郎〉的叡智

著者名

塩塚 秀一郎

判型など

230ページ、四六判

言語

日本語

発行年月日

2022年5月6日

ISBN コード

9784560098981

出版社

白水社

出版社URL

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レーモン・クノー

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レーモン・クノーのいくつかの小説は、ぶらぶらしているばかりで、生産的なことはおよそ何をやらせてもダメという落語の与太郎みたいな連中を主人公に据えている。まわりからは愚か者だと思われている彼らのことを、自分のことを十分に知りつつ完全に満ち足りた状態にある「賢者」に他ならないと喝破したのが、哲学者アレクサンドル・コジェーヴだった。彼らは確かにあまり世の中の役には立っていないものの、たいした欲も持たず幸せそうにしている。私はまずこういうキャラクターが大好きになった。
 
ところが、こういう一見ぼんやりした登場人物を生み出したクノーのほうは、膨大な知識を蓄え博識で知られる作家だったという。クノーのなかで、学問とか知識といったものには、いったいどういう意味づけがされているのだろうか。そんな疑問を抱いていた頃、たまたま読んだエッセーにこんな一節を見つけた。「レーモン・クノーは、もしこういう表現が許されるなら、《正体が摑まえにくい》作家の一人だといえるだろう。いわゆる《難解な》作家とも少し違う。〔…〕それでいて、彼の作品全体が、あるいは文学に対する彼の構えそのものが、いささかわれわれの文学的通念からはずれているのである」(三輪秀彦)。この言い方を借りるなら、私は知に対する「通念からはずれたクノーの構え」が気になり始めていたのだ。
 
クノーは自ら企画した百科事典の広告文に、「嘘と誤りについての巻」も用意するつもりだと書いている。結局この目論見は実現しなかったのだが、「真実」の集成であるはずの百科事典に「嘘」や「誤り」まで含めようと考えるあたりに、知に対するクノーの独特な考え方がみてとれるだろう。クノーには、まことしやかな物言いや有無を言わさず押しつけられる真実への警戒感があるようだ。百科事典というものは、みずから権威となり絶対的な規範になる危険をはらんでいるものだが、「嘘と誤りの巻」にはそのような百科事典の病を中和する意図が込められていたとも考えられよう。
 
クノーは詩人としても知られており、結構な数の詩集を刊行している。『運命の瞬間』所収の一編では、冒頭から「詩なんてまったくたいしたものじゃない」と言い放たれる。だが、続く行では「せいぜいアンティル諸島のサイクロンか / 中国海のタイフーンといったところ」と巨大災害と比較され、逆説的に「詩」の大きさが歌われていることが判明する。「たかが文学、されど文学」といった言い方はどんな分野においても意味をなすことだろうが、この両面のうち、「たかが」と言える羞じらいをもったフランス作家は思いのほか少なく、尊大で大仰な物言いばかりが目につくなかで、クノーのこうした姿勢は貴重である。そのような知に対する、あるいは文学に対する、クノーの特異なスタンスを明らかにするとともに、魅力溢れるクノー的登場人物を広く紹介したいと思って書き上げたのが本書である。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 塩塚 秀一郎 / 2023)

本の目次

はじめに――クノー事始め
 
第1章 遊園地と礼拝堂 『わが友ピエロ』――ピエロの場合
第2章 映画と夢想 『ルイユから遠くはなれて』――ジャックの場合
第3章 千里眼と戦争 『人生の日曜日』――ヴァランタンの場合
 
おわりに
あとがき
 
レーモン・クノー作品邦訳リスト

関連情報

書評:
福田宏樹 評「世の中をついでに生きる賢者たち」 (朝日新聞 2022年7月2日)
https://book.asahi.com/article/14660460
 
書籍紹介:
新刊コーナー (『綴葉』No.412 2022年11月10日)
https://www.s-coop.net/about_seikyo/public_relations/images/teiyo-412.pdf

[対談] 塩塚秀一郎×三ツ堀広一郎「文学における笑いと遊び――レーモン・クノーの持つ〈賢者〉・〈庶民の知恵〉・〈とりとめのなさ〉」 (図書新聞 2022年9月17日)
https://dokushojin.stores.jp/items/63180873852d44088714b369
 
塩塚秀一郎「異色の知性派作家が描く、「世の中ついでに生きている」魅力的なお調子者たち」 (ALL REVIEWS 2022年5月20日)
https://allreviews.jp/review/5855

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