東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

木目のような表紙

書籍名

新潮新書 決定版 日中戦争

著者名

波多野 澄雄、戸部 良一、松元 崇、庄司 潤一郎、 川島 真

判型など

287ページ、新書

言語

日本語

発行年月日

2018年11月16日

ISBN コード

978-4-10-610788-7

出版社

新潮社

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決定版 日中戦争

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本書は、2006年から2010年までおこなわれた日中歴史共同研究のメンバー (波多野、戸部、庄司の各先生、および川島) に、日本財政史の松元崇先生を加えて実施された研究会の成果である。日中戦争史研究は、2010年代も一層進展してきた。日本史研究は従来以上に精緻になるとともに、中国史研究では蔣介石日記を始めとする新たな史料の利用が進み、かつ欧米史研究などグローバルな観点から日中戦争史研究を捉える傾向が強まった。他方で、政治外交史や軍事史だけでなく、宣伝、心理、さらに財政、経済、送金、そして留学生、文化交流など多元的な研究が展開してきた。これらの論点を可能な限り包括的に議論すべく共同研究を進め、この共同研究が一段落した段階で書籍化の話が出た。そして、2018年2月には日本国際問題研究所にて執筆者メンバーを報告者、北海道大学の岩谷將教授をディスカッサントとした日中戦争史セミナーを開催し、書籍化への基礎とした。
 
本書の特徴は三点あろう。第一に、日中戦争史のプロセスが政治、軍事過程として実証的に描かれている点である。歴史認識問題が多く議論される中で、史料に基づく実証研究が最も説得力を持つ。この点は、波多野、戸部両先生の担当された各章に見られるだろう。第二に、財政史の観点が取り入れられたことだ。戦争と財政という課題は極めて重要であるが、従来、必ずしも十分に検討されてきたわけではない。大蔵省、財務省勤務の経験を有する松本崇先生の分析は、これまで学界では指摘されてこなかった視点を提供する。第三に、国際的な観点からの日中戦争という観点が取り入れられている点だ。庄司先生の担当された章にはドイツ、あるいはより広い国際的な観点が示されている。この点について言えば、川島の担当した各章、つまり中国の視点を示した部分も該当するだろう。
 
他方、川島の担当した章には傀儡政権に関する内容も含まれている。日中戦争は「戦争」と言いながら、宣戦布告を伴う戦争ではなかった。1941年12月9日に重慶の国民政府が日本に宣戦布告をしても、日本側は宣戦布告をしていない。それは南京の国民政府 (汪精衛政権) を承認していたからだ。満洲国も含めて、そうした傀儡政権はなぜ必要とされ、そして何をしていたのか、ということもまた重要な論点である。
 
「決定版」というのは編集部がつけたタイトルで、執筆者の考え方ではない。このような新書が「決定版」にはなり得ないし、歴史研究の世界に「決定版」などというものは存在しないだろう。だが、本書が多くの読者の目に触れることで日中戦争がどのような戦争であり、研究によって何がどこまで明らかになってきているのかということを社会に伝えることができれば幸甚である。
 
歴史認識問題が大きな課題となる現在、国際社会で活動する人々には、自らの育った国や地域の歴史について説明し、同時に自らとは異なる歴史観を許容し、時には客観的に議論できる資質も求められる。そうした側面でも本書がもし社会や教育現場で役立つことがあればと願ってやまない。
 
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 川島 真 / 2019)

本の目次

はじめに 日中歴史共同研究から一〇年

       第一部 戦争の発起と展開
第一章 日中戦争への道程
張作霖爆殺/石原莞爾の構想/満洲事変の拡大/独立国家案/犬養首相の和平工作/犬養構想の挫折/リットン報告書/不抵抗方針/国際連盟脱退/日中関係安定化の模索
 
第二章 日中戦争の発端
梅津・何応欽協定/華北分離工作/衝突事件の頻発/綏遠事件と西安事件/対中政策の再検討/盧溝橋事件とその後のエスカレーション/和平の試み/船津工作/第二次上海事変
 
第三章 上海戦と南京事件
日中戦争勃発前の陸海軍の構想・計画/一方、国民政府も「受けて立つマインド」に/海軍は不拡大方針ながらも全面戦争に備える/空軍に自信を持った蒋介石の対応/陸軍も不拡大方針を放棄/海軍航空部隊による爆撃/蒋介石の上海への固執/進撃する陸軍、追認する指導部/南京陥落/南京事件/日中双方の過信と誤り
 
第四章 南京/重慶国民政府の抗日戦争
国民政府という呼び方/国民政府、抗戦開始/蒋介石も認識していた農村の重要性/国民参政会と共産党/武漢陥落と重慶への移動/さまざまな和平工作/国防最高委員会の設置と総力戦/国民政府の四川省依存と重慶空襲/日本の仏印進駐と宣伝戦/中国共産党の抗日根拠地/太平洋戦争の勃発と日中戦争
 
       第二部 戦争の広がり
第五章 第二次上海事変と国際メディア
当初は日本にも好意的だった国際世論/圧倒的な効果をあげた「悲惨な写真」/アイコン化した蒋介石夫妻/内閣情報部、「写真報道事業」に着手するも……/米国世論は中国支持が圧倒的/宣伝巧者の中国/日本が宣伝戦に失敗した要因/活かされなかった近衛の提言
 
第六章 「傀儡」政権とは何か――汪精衛政権を中心に
中国では「偽」政権と呼ばれる「傀儡」政権/対日協力者は中国では「裏切り者」とされる/映画「萬世流芳」の世界/満洲国建国の論理/「傀儡」性をめぐって/満洲国に関わる中国人/華北の自立性と南京国民政府/冀東防共自治政府と冀察政務委員会/三つの対日協力政権/汪精衛の「脱出」/汪精衛政権の成立/汪精衛政権の宣戦布告/華僑問題/「傀儡」政権の存在意義
 
第七章 経済財政面から見た日中戦争
金解禁不況と満洲事変/高橋財政の時代/国内経済を犠牲にしての満洲の発展/東京ラプソディー/失われた軍への抑制機能/経済的な敗戦/予算・金融統制の有名無実化/対英米協調路線の破綻/誤った情勢判断と対英米開戦
 
       第三部 戦争の収拾
第八章 日中戦争と日米交渉――事変の「解決」とは?
「国際的解決」か「局地的解決」か/内向化していく東亜新秩序構想/「局地的解決」構想の後退/「日米諒解案」と日中和平条件/アメリカの回答と頂上会談構想/日支和平基礎条件/ハル覚書の衝撃/「甲案」「乙案」と日中和平問題/ハル・ノートの「国際的解決」構想と日本/仮に「日中直接交渉」が実現していたら……
 
第九章 カイロ宣言と戦後構想
戦後国際秩序の形成/蒋介石の「算盤」/カイロ会談/カイロ宣言の内容/カイロ宣言の「重要性」/カイロ宣言と歴史研究
 
第一〇章 終戦と日中戦争の収拾
「負けた気がしない」敗戦/歴史のif―ポツダム宣言の受諾を拒否し、戦争を継続していたら/分離された日米戦争と日中戦争/武装解除をめぐる駆け引き―支那派遣軍・国民党軍・中共軍/国民政府軍と日本軍の接近/中ソ友好同盟条約と中共の方針転換/復員・引揚げ―送還計画の迷走/居留民の「現地定住」方針と挫折/「留用」とその波紋/山西の日本軍/「以徳報怨」の波紋
日中戦争関連年表
参考文献
 
 

関連情報

書評:
板谷敏彦 (作家) 評 これまで多くを語られることのなかった“歴史”を平易に解説 (『週刊新潮』 2019年1月17日迎春増大号)
https://www.bookbang.jp/review/article/562479
 
ブックレビュー (朝雲新聞社 2018年)
http://www.asagumo-news.com/homepage/htdocs/bookreview/2018/181213b.html
 
『讀賣新聞』書評 2018年11月19日
 

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