本書は、言語同士が接触するときにどのような現象が起こるのか、それによって日本語がどのような影響を受けてきたか、そしてこれから受けることになるかを、言語学、文学、英語教育など言語に関わる研究を専門とする12人の研究者がそれぞれの専門的な立場から論じた12編の論考から成る論文集である。さかのぼれば、2017年に明海大学で行なわれた「語り尽くそう『英語という選択』」というシンポジウムが元になっている。著者の多くは、その登壇者である。
筆頭編者たる嶋田珠巳は、プロローグにおいて、日本語の変化と言語接触に関する本書の問題意識を述べたのち、第1章で自身専門とする言語接触 (著者自身による単純化した定義によれば「異なる言語が出会うこと」) という現象を概説し、第2章では、林徹が言語学の立場から外来語対固有語という単純な二項対立に潜む問題点を指摘する。第3章では、上野善道がアクセント研究におけるフィールドワークの手順を記述することで言語研究のあり方を紹介し、第4章では、遊佐昇が漢語・漢文が日本語にどのような影響を与えたかを概説する。第5章、第6章において、安田敏朗と真田真治は、それぞれ近代日本の国語政策と方言研究から見た日本語の変化を議論する。狩俣繁久、宮岡伯人、栩木伸明による第7、8、9章は、言語が生態系を有するものと捉え、それぞれが専門とする琉球語、エスキモー語、アイルランド語という個別言語をめぐる言語事象を扱っている。筆者・斎藤兆史による第10章は、英語の急速な流入による日本語の変化を問題視している。第11章の執筆者である岡ノ谷一夫は、科学者の立場から生物の生態系と言語生態系のアナロジーを設定し、日本語と英語の関係を外来種論争の観点から議論している。編者の一人である大津由紀雄は、最終章において、現在の日本の英語政策に対する問題提起を行なっている。エピローグにおいて、嶋田は、全章の議論を踏まえ、とくに現代における日本語と英語との関係に関する問題を提起しつつ、本書を締めくくる。
本書は、それぞれ日本を代表する研究者による論考を集めた論文集でありながら、著者全員の意向として、できるだけわかりやすく、言語接触に関する入門書としても読めるような、さらには大学の教養課程の教科書としての使用にも耐えるような書き方を工夫した。最後の「読書案内」もそのような意図で付されたものである。
(紹介文執筆者: 教育学研究科・教育学部 教授 斎藤 兆史 / 2019)
本の目次
1 言語交替が起こる
2 英語は日本語を脅かすのか
3 英語が混じる日本語
4 どこまでの「変化」ならゆるされるのか
5 本書へのいざない
第I部 言語接触を考える基礎――言語接触とはどのようなもので,そもそも言語とはなにか
第1章 言語接触とはなにか (嶋田珠巳)
1 接触はことばをかえる
2 言語接触のとらえかた
3 身近な言語接触
4 言語接触とその帰結
5 言語が替わるときに実際に言語に起きていること
6 接触による言語変化
7 言語接触が問題になるとき
8 言語接触研究のおもしろさ
第2章 言語における固有と外来 (林 徹)
1 「コトバ」という言葉の曖昧さ
2 言語はどこにあるのか?
3 「コトバ」の多義性の理由
4 外来語
5 固有語
6 まとめ
第3章 人間の言語能力と言語多様性――言語に向き合う視点 (上野善道)
はじめに
1 きっかけ
2 記述の視点
3 歴史・比較研究の視点から
4 言語の保存復興に関連して
第II部 日本語の歴史を考える視点――日本語にもある,さまざまな出会いの経験.そこにある「言語接触」とは
第4章 日本語と漢語・漢文 (遊佐 昇)
はじめに
1 漢語って中国語
2 日本語の漢語との接触
3 中国の言語の統一
4 日本への漢字の伝来
5 漢字の学問
6 ことばとしての漢語――江戸期の接触・唐話
7 中国における中世口語の発見とその展開
第5章 近代日本の国語政策 (安田敏朗)
1 はじめに――国語政策・国語・言語接触
2 言語接触と言語不通――青田節『方言改良論』から
3 国語政策概観――漢字制限・かなづかい・標準語
4 未完の国語政策――村上広之を例に
5 おわりに
第6章 日本語の現代的諸相 (真田信治)
1 はじめに――日本語のドメイン
2 英語の特権化
3 「言語」と「方言」
4 方言の格上げ
5 地域語における中間的スタイルの形成
6 おわりに――「手話言語」に触れて
第III部 文化の生態系を考える視点――言語は人々の生活においてどのような機能を担っているのか
第7章 言語接触からみた琉球語――琉球語の多様性の喪失 (狩俣繁久)
1 琉球列島における言語接触
2 琉球語の多様性
3 琉球語における言語接触
4 近代以降の言語接触
5 しまくとぅばの継承
6 新たな言語衝突――多様性の危機
7 多様性の維持
8 言語研究者の仕事
第8章 文化 (生態系) を映しだす言語の <かたち> (宮岡伯人)
1 言語の <かたち> への注目
2 言語と「環境」のあいだ
3 環境適応としての文化,そして言語
4 ことばの「カタチ性」
5 言語の「かたち」からみた言語接触 (危機と消滅)
第9章 英語詩の中のアイルランド――シェイマス・ヒーニーの場合 (栩木伸明)
1 植民地支配に起因する二重性
2 地名は風景と歴史を内包する
3 『冬を生き抜く』の背景をなす時代と場所
4 シェイクスピアの問いにジョイスが答えるのはなぜか
5 ハイブリッドな詩,母語としての英語
6 「英語はわたしたちのものなのだよ」と亡霊が語る
7 ローカルなるものに信を置く詩人――結論に代えて
第IV部 日本語の未来を考える視点――英語は日本語の将来にダメージを与えるのか
第10章 英語化する日本語とその未来 (斎藤兆史)
1 言語の乱れは変化か
2 言語の運用効率
3 言語の生態系は守れる / 守るべきものなのか
4 言語の急速な変化は「死者たち」との対話を困難にする
5 日本語の英語化
6 最近の英語化の傾向
7 内容語から文へ,そして言語交替へ
8 日本語の「かいぼり」と保全活動
第11章 外来種論争から考える日本語と英語 (岡ノ谷一夫)
1 科学者としての私と英語をめぐる状況
2 生物多様性
3 外来種と生物多様性
4 生物多様性と環境頑健性
5 生物多様性と文化多様性
6 文明の頑健性・脆弱性
7 地球文明の画一性と英語の寡占化
8 科学における上位下達な課題設定
9 言語多様性の積極的維持――多言語主義
第12章 英語侵略に抗うための,ことばの教育 (大津由紀雄)
1 英語狂想曲
2 学校英語教育の変遷と現状
3 英語狂想曲状況の行きつくところ
4 ことばを操る力
5 素朴言語学
6 今後への期待
エピローグ――この本をまとめるなかで考えたことなど (嶋田珠巳)
1 世界は英語を選択するのか
2 言語接触の環境を見るということ
3 さらに,言語の未来を考えるために
4 「生態系」のアナロジーと言語多様性
5 「多様性を守る」ことの難しさ
6 今後の英語教育をおもう
7 言語に対する,おもに2つの価値基準「応世」と「伝世」
8 人にとって言語とはなにか
9 中国語との接触,英語との接触――日本語の歴史的な流れのなかで
10 本書のおわりに
読書案内
1 まずはここから
2 言語学
3 社会言語学
4 言語と方言,ことばと暮らし
5 変わりゆく言語――危機言語,多言語使用,ことばの現在・未来
6 歴史・文化交流・植民地
7 ことばと人の営み――文学,教育
8 心・脳・進化
9 ことばの教養