東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

白い表紙

書籍名

大日本古文書 家わけ第十七 大德寺文書別集 德禪寺文書之一

判型など

452ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2020年4月24日

ISBN コード

978-4-13-091266-2

出版社

東京大学出版会

出版社URL

書籍紹介ページ

英語版ページ指定

英語ページを見る

日本史学は史料を分析することによって研究を進めるわけであるが、その史料のなかで大きなウェイトを占めるのが古文書である。『大日本古文書』は1901年の第一冊刊行以来、史料編纂所が編纂、刊行を続けている基幹史料集である。編纂とは、現代人にとっては難解なことも多い、主に墨筆で書かれた文字を、楷書体を基本とする現在通用している字に翻刻し、人名や地名、作成された年号のない文書には可能な限りそれを推定した注釈を加えることである。そして、それを刊行することで、古文書を利用しようとする人々に供与することを目的としたシリーズが『大日本古文書』である。そのなかで、『大日本古文書 家わけ第十七 大德寺文書』は、鎌倉時代の禅僧、大灯国師宗峰妙超が京都紫野に開いた大徳寺に伝わった古文書を編纂している。本冊からはその別集として、宗峰妙超の弟子である徹翁義亨が開いた徳禅寺の所蔵する文書を編纂・刊行する。
 
徳禅寺の文書には一つの大きな特徴がある。それは異なる性格を持つ二つの文書群によって構成されている、という点においてである。徳禅寺文書は、いわゆる「一般的」な、すなわち現在まで保存されるべきものという意識のもと残されてきた文書群と、語弊を恐れずに言えば「廃棄」された古文書が、偶然にも現在に残された文書群とによって構成されているのである。
 
廃棄された、とはどういうことかといえば、この文書群は襖の裏側から出てきたのである。1984年、徳禅寺が所蔵する狩野探幽の手になる襖絵を修理した際、その下張から大量の古文書が発見された。原型を保っている古文書も一部存在するが、そのほとんどが破られた状態であった。襖の仕立ての都合上破られた可能性が高く、決して単に破り捨てられたというわけではないのであるが、いずれにしても、襖が製作された江戸時代に不要のものとして廃棄され、その仕立てのために再利用されたという事実に変わりはないであろう。
 
そのため、徳禅寺文書は残される意識のもとに現在に伝わった他の文書群とは異なる様相を示し、例えば現代で言うところのレシートや注文書、請求書や家計簿のような、日常的な文書を多く含んでいることが一つの特徴である。実は襖の裏から出てくる文書 (下張文書) において、こうした帳簿のような史料が多いことは既に知られているのであるが、ほとんどの場合、江戸時代以降のものである。この点、徳禅寺の襖下張文書は、古いものでは12世紀頃からの、中世文書を多く含むという点、また通常であれば保存される文書、大徳寺山内においても他では保存されるような性格の文書が、下張にされてしまっているという点において、極めて特異な下張文書群なのである。
 
このように徳禅寺文書は分析対象として非常に興味深い内容を持つものであるが、襖下張ゆえの難しさがあるのも事実である。仕立てに際し破られたことで、多くの文書が断片化しており、そこに書かれた情報をどのように読み取るか、とくに分析にあたって、どの時期のものであるのかを特定することが重要であるが、これが簡単ではない。しかしこうした困難を乗り越えることが研究の醍醐味である。初学書とはいえないが、ぜひ手に取っていただき、分析にチャレンジしてみていただきたい。
 

(紹介文執筆者: 史料編纂所 助教 小瀬 玄士 / 2021)

本の目次

大日本古文書 家わけ第十七 大德寺文書別集德禪寺文書之一
目次
〔德禪寺方丈襖下張文書 一表〕
一 〔年月日未詳〕 某注文(断簡)…………  一
二 明徳三年八月  紀伊高家西荘文書文書案…………  二
(下略)

関連情報

自著解説:
所報 刊行物紹介 (『東京大学史料編纂所報』第55号p.50-52 2019年)
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/55/pub_komonjo-iewake-17-01.html

このページを読んだ人は、こんなページも見ています